21世紀COEプログラムによる活動記録

2003年度 第1回研究会

日時: 2003年12月6日
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 光塩館
タイトル: 古代イスラエルと一神教の背景
講師: 月本昭男 (立教大学文学部)
要旨:
一神教の成立をめぐっては、多神教世界の中で止揚され一神教が誕生したとみる「宗教進化論」、そもそも原初の宗教が一神教であったとする「原始一神教説」など、様々に論じられてきた。しかし、唯一神教が宗教進化の最終段階か、それとも宗教の原初形態かという議論は実証不可能である。また歴史上の一神教が西アジアの乾燥地帯で誕生していることから、厳しい自然条件下で共同体のイデアとしての「一なる神」への信仰が育まれたとする風土的解釈もされるが、古代西アジアにおいて多神教はごく一般的な現象であった。
そしてまた、古代イスラエル唯一神教の成立に関しては、古代メソポタミアの精神世界を旧約聖書に結びつける汎バビロニア主義、アマルナ時代のエジプトにおける宗教改革とヤハウェ一神教を結びつける見解、ペルシア宗教が古代イスラエルの普遍的絶対一神観に影響を与えたとする解釈などがある。だが、いずれも十分な説得性を備えているとは言えず、ヤハウェ唯一神教の成立の解明には、自覚的な宗教運動を念頭に置き、古代イスラエル思想史を細心に跡付ける必要があろう。
そもそも一神教とは、神という上位概念の存在を想定し、その属性の神顕現が多様であることを認めながら、その背景には統一的なものを持ち、神としてしか言い得ない統一的存在を受け止める「唯一神性論」である。これはきわめて自覚的な宗教意識であると言うことができる。古代イスラエルにおいても、ヤハウェ専一運動と呼ぶべき、神ヤハウェのみを崇拝する潮流があった。これは政治や社会の変動とも関連する運動であり、王国時代においては、その自覚的担い手は、預言者、祭司たちであった。それらは王国滅亡後の捕囚期に理論化され、申命記学派の手によってイスラエルの民の歴史が編まれた。
近年の考古学的調査によって、当時のイスラエルの実情を窺い知ることができる貴重な碑文資料が複数発見されている。ヒルベト・エル・コムやクンティレット・アジュルドからは、「ヤハウェとそのアシェラ」という記述がみられ、また紀元前5世紀のアラム語の契約書では、ヤハウェにアナト女神が(ピトス碑文)。これらの碑文資料は、当時のイスラエルが、実際には多神教世界であったということを物語っている。
イスラエルにおける唯一神教はこのような中で、少数のきわめて自覚的な人々によって提唱され育まれた。その特質は、初期イスラエルの神観を継承しつつそれを展開し、イスラエルがその「弱さ」ゆえに神から「選ばれた」とする点にある。これらのことを古代西アジアに位置づけるならば、一神教が、当時の強大国であったエジプトでも、アッシリアでもない、文化的にも政治的にも辺境であった弱小の民イスラエルの中に生まれたところに、その逆説性を見ることができよう。
また、その後のディスカッションでは、時代情況の役割(手島勲矢大阪産業大学助教授より)、一神教の概念規定の問題(B.ジークムンド同志社大学教授より)らが取り上げられ、今後の課題として残された。
(CISMOR奨励研究員・神学研究科博士後期課程 千巌 ふみ)

『2003年度 研究成果報告書』p.109-126より抜粋