21世紀COEプログラムによる活動記録

2005年度 第3回研究会

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日時: 2005年9月8日(木)13:30~16:30
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 至誠館3階会議室
タイトル: スーダンにおける紛争―イスラームとキリスト教、原理主義をめぐって
講師: イサム・ムハンマド (スーダン・アルニーレイン大学教授)
武岡洋治 (名古屋大学名誉教授)
要旨:
  今回の研究会は、来日中のイサーム・ムハンマド氏と、武岡洋治氏をゲストスピーカーとして迎え、スーダンにおけるキリスト教とイスラーム両過激派間の衝突について発題をいただいた。
  始めに武岡氏が、現地調査のデータおよび体験に基づいて、スーダン社会の現状を説明した。次にムハンマド氏が、スーダンにおける宗教的過激集団について報告を行った。
  宗教的過激派を生む土壌としては貧困などが代表的に挙がるが、ムハンマド氏は、自身の調査によれば、スーダンの事例では経済的要因より、過激派に導引される者が受けた教育と過激派組織指導者の特異性の方がより直接的な原因になっていると主張した。他地域と類似した要因として、国内の南北地域間対立、民族間・部族間対立、その他の社会的・政治的紛争、また、キリスト教、イスラーム諸グループや他の土着信仰の間、そして各宗教勢力内部の対立といった主に文化的な対立問題、また、近隣諸国および海外からの外的影響など、様々な事情の作用も付言した。そしてまた、近年ハサン・トゥラービーのようなイスラーム復興主義指導者が多大な支持を獲得していたことには、スーダンの地域的な要因が作用していたと述べた。
  ムハンマド氏が語るように、スーダン近代にはいくつかの特異な状況が内在していると考えられる。ヨーロッパ支配からの独立運動に関わったのは、先のマフディー運動の継承者であるアブドゥル・ラフマーン・アル・マフディーであった。彼の運動は、「ネオ・マフディー運動」とも称され、クルアーン解釈や神学に関しては依然として独自の解釈があるが、それ以前のマフディー運動と異なり革命的な要素を薄めていた。
  アブドゥル・ラフマーンはスーダンを独立に導いたが、その後マフディー家内の分裂やムスリム・アラブ優位の政治状況に対して南部のキリスト教徒人口が多い地域に不満が爆発し、スーダン内戦が勃発した。後に1969、1989年と2回の軍事クーデターが起こり、1989年クーデター後はクーデターの首謀者であったウマル・アル・バシール将軍とハサン・トゥラービーを指導者とする国民イスラーム戦線(NIF)が政権に就いた。ハサン・トゥラービーは民族・国家を超えたイスラーム共同体の実現を理想として強力なイニシアティブを発揮した。このことは、国内においては非ムスリムを圧迫し、国外では既存のアラブ諸国および近隣諸国の国家元首との相反と、各国の反体制的なイスラーム過激派組織をスーダン国内に呼び込む結果となり、さらにイスラーム主義組織の活動に疑惑をつのらせていたアメリカの干渉をも呼んだ。
  ディスカッションにおいては、現在のスーダンのイスラーム主義運動や、ハサン・トゥラービーの後の若者への影響などが議論された。
(COE研究指導員 中村明日香)

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