21世紀COEプログラムによる活動記録

2004年度 第1回研究会

日時: 2004年6月12日
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 扶桑館
タイトル: アメリカとシオン―聖地エルサレムをめぐる諸問題
講師: 臼杵 陽 (国立民族学博物館地域研究企画交流センター)
タイトル: イスラエル=アメリカ関係の現在―イメージと現実―
講師: 池田 明史 (東洋英和女学院大学国際社会学部)
要旨:
 本研究会において、臼杵、池田両教授は、それぞれの専門的観点から、アメリカとシオンおよび、アメリカとイスラエルとの関係を論じた。
  臼杵教授は、冒頭において、(聖地)エルサレムという場に焦点を当てて「シオンとアメリカ」について考察することの重要性を指摘したうえで、この問題をめぐる最新の研究動向を紹介し、続いてアメリカ(人)における聖地観の形成(過程)へと議論を進めた。
  教授によれば、アメリカ人の聖地観形成過程においては、主として、聖書の直接的投影である「新しいエルサレム」としてのアメリカという(自己)イメージ、「ユダヤ・キリスト教的伝統」を共有しつつ、ユダヤ教徒を「聖書の民」と捉える見方、および、「野蛮なトルコの暗黒支配と抑圧される東方キリスト教徒」というイスラーム、ムスリムに対するマイナス・イメージの3要素が特に強く作用しているという。
  加えて教授は、第2次世界大戦後、アメリカにおいて政策への影響力を強めつつあるキリスト教徒シオニスト(Christian Zionists)の重要性に言及し、その背景と聖地観、活動について論じた後、若干の異なる問題についても触れ、アメリカ(人)と聖地観の項目を締めくくった。
  続いて教授は、議論の後半において、1844年のエルサレムにおける米総領事館設立に始まり、第2次世界大戦後の国連によるパレスチナ分割決議の採択を経て、クリントン政権時の米議会によるエルサレム大使館法(Jerusalem Embassy Act of 1995)の承認へと至る時期の、アメリカによるエルサレム問題への対処の過程を概観した。
  最後に教授は、この発表はあくまでアメリカとシオンをめぐる「精神史」の分析に向けての準備作業であることを強調しつつ、それぞれの人間がエルサレムに関わるイメージの中でエルサレム像が築かれる点に注意を喚起し、外交史の分析以前に、政治指導者のもっている聖地に関する思考をエルサレムとの関わりの中で検討してゆくことの重要性を指摘して発表を締めくくった。
  池田教授は、まず、中東におけるアメリカのイメージから議論を始める。教授によれば、「堕落した王政諸国と提携して、虎視眈々と石油資源の独占を狙い、その手先としてイスラエルを使嗾しアラブ・イスラーム世界に敵対する域外勢力」という中東におけるアメリカの一般的なイメージは、①東側の牽制、②西側のエネルギー保全、③イスラエルの安全保障の三本柱からなる、冷戦期アメリカの中東戦略の帰結であった。
  そして、以上のような中東におけるアメリカのイメージには、往々にして、イスラエルを背後から支配するアメリカ、および、アメリカを裏から操作するイスラエルという両方の意味を含む、いわゆる「イスラエル=アメリカ一体論」が伴っていたのである。
  しかし、教授によれば、一見「一体」に見える両国の関係にも、自身のアイデンティティー、および、冷戦の期間中は特にその脅威認識をめぐって(アメリカの根本的な敵=ソ連、イスラエルの敵=アラブ)一定の距離が存在したとされる。
  けれども、1967年以降におけるイスラエル国防軍の対米依存度の高まりや、1980年代におけるアメリカの対イスラエル援助の顕著さ(全てが借款ではなく供与)に見られるように、冷戦期間中における両国関係は、基本的にアラブ側のイメージに合致するものであった。
  最後に教授は、冷戦終結以降の両国関係について、特に9.11.以降の「対テロ戦争」の文脈において両国が互いの脅威認識を収斂させ、緊密化の度合いを強めつつあると結んだ。
  廣岡氏は、臼杵報告の中で言及された「ユダヤ・キリスト教的伝統」の具体的な中身および、その他の事項について質問する一方、内田氏は、池田報告の中で若干言及されたところの「シャロン構想」に関して、自身の観点から発表者と異なる見解を述べるなどした。
  続くディスカッションは、両コメンテーターの質問に対して発表者が補足説明を行う形で始められ、3時間にわたって多岐にわたる白熱した議論が展開された。
(CISMORリサーチアシスタント・法学研究科博士後期課程 水原 陽)

『2004年度 研究成果報告書』p.304-328より抜粋