21世紀COEプログラムによる活動記録

2006年度 第1回研究会

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日時: 2007年3月7日(水) 14:00-17:30
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 扶桑館2階マルチメディアルーム1
タイトル: 大川周明と折口信夫 ―明治期の宗教思想家たちと「一神教」―
講師: 安藤礼二(多摩美術大学美術学部助教授)
要旨:

 初めに安藤氏は、明治維新以降の知識人がなんらかのかたちで「一神教」を自らの問題にしてきたということを指摘する。その問題の仕方とは、一神教対多神教という構図ではなく、一神教とどのように向かい合っていくのか、一神教をどのように自らの内に吸収し昇華するのかというものであった。そのような問題への接近の仕方の中で、明治期に多くの知的巨人たちが生まれた。そしてこの「一神教」の問題が最も顕在化したのが第二次世界大戦、「大東亜戦争」であった。安藤氏は、この「大東亜戦争」の思想を考えるときに次の三つの軸を考えることが必要であると言う。一つ目は西田幾多郎を中心とした京都学派、二つ目は大川周明が組織した東亜経済局(「満鉄東亜経済調査局」)、三つ目は折口信夫に代表される民俗学研究である。この三者はいずれも自らの思想の起源を明治末年の宗教改革運動に持っており、井筒俊彦などにも多大な影響を残した。今回の発表は、大川周明と折口信夫に焦点を当てたものであった。
  日本で初めて主体的にイスラームに取り組んだと見なされている大川周明は、東京帝国大学でインド哲学を研究するが、マックス・ミュラーの影響から次第にイスラーム神秘主義へ引かれていく。彼はイスラームのスーフィズムの中に諸宗教の融合の契機を看取する。具体的には、スーフィズムにおいてキリスト教とイスラームの共通性を強調し、このスーフィズムこそがキリスト教とイスラームが互いに出会い、知り、助け合う最良の基盤であると主張した。後に大川はキリスト教ユニテリアンの流れを組む「道会」に入会し、ユニテリアンから神智学的な心霊主義までの影響関係も指摘された。
  折口信夫は、藤無染との影響関係の中で語られた。藤無染は浄土真宗本願寺派の僧侶であり、仏教の他の宗派や海外知識にも秀でていた。無染の残した書籍や論文は少ないが、そこにはいずれも仏教とキリスト教の同一起源についての主張が展開されている。この無染の思想の背景には、「仏教者スウェーデンボルグ」という著書を書き、アメリカでは初めての仏教雑誌『仏光』の発行者でもあったフィランジ・ダーサ(ハーマン・カール・ヴェッターリング)、キリスト教の起源として秘境的仏教解釈を推し進めたアーサー・リリーなどが挙げられる。このような影響の下で、無染の思想は鈴木大拙の著書で有名になった「霊性」という言葉の起源とも結びつきながら、スウェーデンボルグ神学と仏教の融合という明治期仏教改革運動を担った大きな流れと合流していく。志望大学を急遽国学院大学に変更した折口信夫は、この無染のもとで同居し、多くの影響を受ける。このように藤無染との影響関係の中で、後に仏教改革運動と結びついていく折口の思考の理解がより明らかになることが指摘された。
  最後に安藤氏は、一神教をいかに昇華するかという明治期の思想家たちの運動の中から近代日本思想が形成されてきたという側面を指摘し、発表を締めくくった。
(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 森山 徹)