21世紀COEプログラムによる活動記録

2007年度 第2回研究会

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日時: 2008年2月22日(金) 14:00-17:00
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 寒梅館6階大会議室
タイトル: 「一神教と多神教 ―日本宗教の観点から―」
講師: 末木文美士(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
要旨:

 氏はまず「仏教を研究してきた立場からすれば、一神教と多神教は必ずしも対立する関係にあるとは考えません」と言って、発表を始められた。そのことは、浄土真宗大谷派の改革者として名高い清沢満之の理論を手がかりにして説明される。清沢は、《倫理》は有限な人間どうしの間で成り立つものであるが、それに対して《宗教》は、絶対無限の存在と有限な人間との間で成り立つものである、と規定した。これは一種の他者論であるといえよう。ただし、そこには「死者」の存在も含めて考えなければならない。われわれは身近な死者であれ、戦争における死者であれ、「他者としての死者」ともかかわって生きているのである。そうした世界観を図にすると次のようになる。

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  倫理》は、了解可能な領域のものであるが、それに対して《他者》は、何らかの関係をもっているにせよ、簡単には了解できない領域に位置する。前者は「顕」の領域、後者は「冥」や「幽」の領域と言いかえることができるかもしれない。
  では、一神教的な神はどこに位置するのかというと、《他者》の領域をも超え出た極限に位置する、ということになる。そう考えると、一神教と多神教は必ずしも矛盾するものではなくなるのである。そのように氏は、清沢の理論を軸にして、そこへ和辻哲郎の倫理学、田辺元の死の哲学、西田幾多郎の絶対無の思想などを加えながら、一神教と多神教の思想的構造を明らかにしていった。
そして氏の考察はさらに、日本宗教思想史へと進んでいく。日本で一神教の神にあたる存在は、天皇の存在にほかならない。とりわけ、いわゆる近代の天皇制を理論化するときには、かなりキリスト教への対抗意識が働いたと考えられる。アマテラスと天皇を直結させることで、多神教的なものを一つの系譜に集約させ、まとめあげていったのである。
  そういった一元系譜論的な天皇論は、中世の後期あたりから形成されてきた。その頃、仏教では、浄土真宗や禅が単純な原理にのっとり、神道では、唯一神道が根源的な神を求めるようになっていく。そういう流れのなかで初めて、北畠親房などの天皇論が形成されるようになったのである。
  またキリシタンも、そういう一元系譜論の流れのなかで受容されていくのであるが、キリシタンが残した大きな影響一つに「権力者崇拝」がある。信長にしろ、秀吉にしろ、家康にしろ、自らを絶対的な存在として祀らせようとした。世俗の権力者が、宗教的な絶対性をも獲得しようとしたのである。そしてそれが、近代の天皇制の原型になっていった。しかも、天皇は、神へつながっているがゆえに、単なる権力者よりもはるかに強く崇拝されたのであった。
  氏は、天皇論を中心とした以上ような考察を軸に、そこへ儒教における日本的華夷論、近代の天皇制と家父長制とのつながり、対抗神話としての古代史、といった議論を織り交ぜながら、日本宗教思想史における一神教と多神教の関係を浮かび上がらせていった。
(CISMORリサーチアシスタント・京都大学人間・環境学研究科博士後期課程 藤本龍児)

『2007年度 研究成果報告書』p.163-175より抜粋