21世紀COEプログラムによる活動記録

2005年度 第1回研究会

日時: 2005年7月25日(月)15:00-17:00
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 扶桑館
タイトル: 日本におけるユダヤ論議考
講師: 宮澤正典 (同志社女子大学名誉教授)
要旨:
  日本におけるユダヤ論議は5つの時期に分けられる。
  第1期は1921年(大正10年)~1932年(昭和7年)。ユダヤ問題前史として位置付けられる。日本人は文献(聖書や『ヴェニスの商人』など)を通してユダヤ人を知った。この時期から、日本人とユダヤ人が同じ祖先から出たとする同祖論が唱えられる。国粋主義者たちによる反ユダヤ論が時代をリードするが、これには少数ながら冷静に反論する者たちもいた。
  第2期は1933年(昭和8年)~1945年(昭和20年)。ほぼ、反ユダヤ論一色になる。ナチス時代と並行するこの時期、反ユダヤ論に対する批判は表だってなされることはなくなる。1930年代終わりから40年代にかけては「五相会議におけるユダヤ人対策要綱」が発効する。同盟国であるドイツとイタリアを立てつつアメリカを怒らせないために、ユダヤ人を排斥はしないが、特別扱いはせず、資本家や技術者のように特に利用価値のある者以外は積極的に招くことはしないという政策をとる。1942年から政府は新しいユダヤ人対策を発表していく。それはユダヤ人を厳重に監視し、その敵性活動は排除弾圧するが、利用しうる者は支援するというものである。ジャーナリズムが圧倒的に反ユダヤの傾向を持っていた時期に、政府は基本的には反ユダヤではあったが、外交上、案外冷静な対応を示した。
  第3期は1950年(昭和25年)~1967年(昭和42年)。敗戦後で、ユダヤ人に目を向ける余裕のない時代である。その中でも、ホロコーストの事実が知らされ、それにもめげず建国に励むイスラエルに対して同情的な風潮が目立つ。他方、パレスチナに目を向ける反イスラエルの人々もいた。
  第4期は1967年(昭和42年)~1985年(昭和60年)。1963年の第3次中東戦争がきっかけでパレスチナ派の主張が強まる。日本のジャーナリズムもアラブ側に付くようになる。
  第5期は1986年(昭和61年)~現在。この時期に特徴的なのは、ユダヤ人の知恵とかユダヤ人の金儲けの方法などについて軽い調子で書かれた書物が多く出版されていることである。これらは反ユダヤではないが、何かの契機でユダヤ人を特別視するという点で、健全な本であるとはいえない。
  最後に、ユダヤ人は日本で公的な地位を占めたことはあまりなかったという印象があるが、音楽の世界ではその評価は当てはまらないと言えるだろう。
(同志社大学大学院神学研究科教授 石川 立)