21世紀COEプログラムによる活動記録

2005年度 第4回研究会

日時: 2006年3月1日(水) 14:00-16:00
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 扶桑館2階 マルチメディアルーム1
タイトル: 「近代ウィーンのユダヤ人の自己認識」
講師: 野村真理 (金沢大学経済学部教授)
要旨:
  野村氏は、まず第一次世界大戦以前のユダヤ人の自己認識問題に近代ヨーロッパ・ユダヤ人問題の凝集した一つのカタチを見ることができるということを指摘した。キリスト教の神の名によって迫害が正当化されていた解放以前のヨーロッパ・ユダヤ人たち。その一つの表れとして高い壁に囲まれたゲットーがあった。このゲットーの壁に穴を開けたのはナポレオンの砲弾であり、ユダヤ人の意識を大きく変えたのはこの砲弾に象徴されるところのフランス革命と啓蒙思想であった。これによって宗教と法律は分離され、「平等」のもとにユダヤ人の生活は確保された。解放以前のゲットーは、行政・裁判・言語等独自の習俗・習慣を有したさながら小民族国家の様子を呈していたが、解放によってユダヤ人たちはゲットーの外に出て、「ユダヤ教徒」ではあっても「ユダヤ人」であることは断念しなければならない、つまり「内面の信仰」と「外面の行為」の分離という根本的変革を要求された。これを積極的に推し進めたのがモーゼス・メンデルスゾーンであり、彼はユダヤ教を信仰するドイツ国民として生きる道を奨励した。これによって同化志向を強めたユダヤ人たちは、1850年以降、移民となって当時ドイツ同化ユダヤ人の都と呼ばれていたウィーンに移住し、身を粉にして働き同化に努める。しかし、このような解放が進んだのはヨーロッパでも西欧のみであり、東欧、つまり旧神聖ローマ帝国版図とポーランド、リトアニアを境にした東側では逆にユダヤ人の迫害が強まり、1880年以降ガリツィアやブコヴィナなどの地域から迫害を逃れるために、ウィーンへ多くの伝統的ユダヤ人たちが流入する。野村氏はカール・エーミール・フランツォースによるアジアとヨーロッパの奇妙に交錯したガリツィア(東欧)という地への回想を、またゲオルグ・クラークによる西欧の世俗化したユダヤ人と東欧の伝統的なユダヤ人が非ユダヤ人たちには本質的に区別されていないのではないかという不安な思いを引用し、東欧ユダヤ人と西欧ユダヤ人の内面的な葛藤を鮮やかに描き出した。また氏は、フランツ・ヴェルフェルとヨーゼフ・ロートから引用し、当時のウィーンのナショナリズムの高揚とそこに微妙な隔たりを感じるユダヤ人の思いを説明した。
  第一次大戦が始まると、難民としてウィーンへ流入してきた東欧ユダヤ人たちによりウィーン全体の食糧不足に拍車がかかる。ウィーンの同化ユダヤ人たちは、難民である東欧ユダヤ人たちに手を貸しつつも、彼らによって同化ユダヤ人である自分たちにも反ユダヤ主義の矛先が向くことを恐れるが、戦後も居座り続けた東欧ユダヤ人たちに対して、とうとう非ユダヤ人たちの怒りが激化する。これに対してユダヤ人側も民族主義を積極的に打ち出し、1918年にローベルト・シュトリッカーによって「ドイツオーストリア・ユダヤ民族評議会」を結成される。これに拒否反応を示した同化ユダヤ人とユダヤ民族主義者の間に激しい対立が起こる中、ユダヤ民族主義者と反ユダヤ主義者とがパレスティナでのユダヤ人国家建設やオーストリア国内での少数民族としてのユダヤ人の権利獲得という面において共鳴関係になるという奇妙な事態が起こる。野村氏は、このように解放から次第に反ユダヤ主義が人種的・民族的な性格を露にしていった戦間期のウィーンにあって、多くのユダヤ人たちが、ユダヤ人でもなければドイツ人でもないようなアイデンティティを奪われた過酷な時代を生きたということを指摘し、発表を締めくくった。
(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 森山徹)