21世紀COEプログラムによる活動記録

2005年度 第1回研究会

日時: 2005年4月2日(土)~3日(日)
場所: 同志社大学 室町キャンパス 寒梅館
タイトル: 「革命後26年のイラン・イスラーム体制をめぐる」座談会
講師: 松永泰行(同志社大学一神教学際研究センター客員フェロー
要旨:
  今回は、同志社大学で開催された「イラン研究会」年会の1セッションを本特定研究プロジェクトとの共同研究会として行い、参加者全員(後記)によって座談会形式で議論を試みた。1972年革命は、現代イランにおける西欧理解についての本研究プロジェクトの基点ともなるため、その位置づけは重要である。座談会では、様々な専門からの意見交換が可能となり、啓発的かつ意義深いものとなった。
  座談会では「革命をいかにとらえるか」ということにあたって、特に「イラン人性」に論点が集まることがあった。
  「イラン人性」を考えるにあたって、最初に富田氏からظاهر とباطن(外面と内面)という概念が提示された。これに対して、上岡氏や羽田氏からこの対立概念で考えることによる過度の単純化の危険性が指摘されたが、ヌウハ氏からはظاهر とباطن といった場合、アラブでは通常神学(特に神秘主義)の文脈で考えるのに対して、イランで一般に普及している用語には差異があり、イラン的思考や行為を特徴付ける点で興味深いとの意見も出された。
またソンボリー氏からは、「イラン人性」という枠組みに対して疑問が提示された。氏によれば、一口に「イラン人」と言っても、一歩踏み込んで「ファールスィー(ペルシア語を母語とする人々)」と言えば、「アラブ」や「トルク」という対立概念がでてくる。また、各出身地域によっても差異があり、その幅も南部や北部というおおまかな区別から、村落内にいたるまで分別単位のレベルが存在する。
  上岡氏からは、ある地域や民族の「基層文化」という側面では、イランでも革命前と後で変わらない部分があるという指摘がされた。そしてイランの場合は、これはゾロアスター教的要素を持っているという。これに対して、国民性という側面は歴史的に形成されるものであり、これは過去の出来事を再解釈する契機に遭って作られていくものだという。イラン革命もそうした出来事の1つであり、国民性と併せて見る場合はこれから議論され再解釈される過程となるだろうという。
  また藤元氏からは、イラン人性を考える際に文学、特に詩は重要な位置を占めているのではないかとの指摘がされ、勝藤氏は、イラン近代文学者の重要性を主張した。
  革命のとらえ方についてはまた、嶋本氏からそれが西欧文化への挑戦であったという見方、中田氏からは近代化へのプロセスの一部ともとらえられるという見方、また時代の流れであったとの見解も多くみられた。他にも様々な意見が述べられたが、アメリカ主導のグローバル化が進められていく中、イラン革命のとらえ方について、これからも特に注意して研究を進めていくべきということには意見の一致がみられた。
(COE研究指導員 中村明日香)
<座談会参加者>
司会:中田 考(同志社大学教授)
NOUH, Samir(同志社大学客員教授)
SONBOLI, Nabi(在日イラン・イスラーム共和国大使館 リサーチ・アタシェ)
勝藤 猛(元大阪外国語大学、岩手県立大学教授)
上岡弘二(日本オリエント学会 会長)
北村 徹(同志社大学 博士前期課程)
嶋本隆光(大阪外国語大学助教授)
谷 正人(大阪大学 博士後期課程修了)
高尾賢一郎(同志社大学 博士前期課程)
富田健次(同志社大学教授)
中村明日香(同志社大学CISMOR 研究指導員)
羽田亨一(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授)
藤元優子(大阪外国語大学助教授)
水田正史(大阪商業大学教授)
村上明子(北海道大学博士後期課程)
守川知子(京都大学人文科学研究所 学術振興会特別研究員)
森田豊子(大阪外国大学・鹿児島大学非常勤講師)
山中由里子(国立民族学博物館助手)
山根朋子(同志社大学 博士前期課程)
横田 徹(同志社大学 博士後期課程)