21世紀COEプログラムによる活動記録

2005年度 第6回研究会

日時: 2005年10月28日(金)18:30-20:30
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 扶桑館
タイトル: 近代自由主義とイスラーム―ホメイニーの正義を中心にして(1)
講師: 富田 健次 (同志社大学大学院神学研究科教授)
要旨:

  富田氏はこの回、ホメイニーの「正義」の概念に焦点をおき、特にM. H. Jamshidiによる解釈(Dr Mohammad Hossein Jamshidi, Shahide Sador, Nazarie-ye 'Adalat az Didegahe Farabi, Emam Khomeini, Tehran, 1380 (2001))を例にあげ報告を行なった。以下はその要約である。
  Jamshidiは前掲書中の1章を割いて、ホメイニーの正義についての言説に説明を加えた後、それらを総合してホメイニーの正義論を分析している。ここで特にとりあげられているのは、「神から隠されていない正義、被造物から隠されていない正義」、「正義を行なうことは、人間を正すこと」、「正義とは内面と外面の力全体の調整」、「存在の諸真実全ての知が正義、存在界の真理を理解する力がないことが不正抑圧」、「正義とは極端を避け、中道を行くこと。正義は諸徳のなかで最上のものであり、あるいは諸徳の集合体である。(中略)・・『抑圧(jour)』はその反対で、卑しさの一部ではなく卑しさ全てである」、「正義を愛し、圧制を忌み嫌うのは人間の天性である」、「イスラームにおける全ての職位の基準は正義」、などのホメイニーの言葉である。Jamshidiはこれらを分析しホメイニーの正義に対する見解として、1)創造主の属性である正義、2)人間の良心的な天性である正義、3)中間点、中道の意味としての正義、4)人間の完成への道としての正義、5)社会的性質としての正義などの5点にまとめる。
  つまり、正義は神の属性と考えられ、それゆえ絶対的善で普遍的であり崇拝される対象である。また世界は神の現れでもあり、人間は神の属性全てを持つことから、正義を天性に備えている。そしてまた正義は、極端を避け中庸を行くことであり、それは他の諸事を考慮しながらある明白な秤を意図すること。それは思弁理性と実践理性、そして衝動との間の調整である。さらに正義はまっすぐな道における真の中道であり、従って一であり、これは出発点から神への合一に至るまでの絶対的な完全さを結ぶ線である。一切逸脱せずにこの線を進むことが正義の道である。人間生活における正義は、経済・政治・文化・司法・権利の分野を含み、「抑圧」や「圧制」と対立する。正義はここで個人的概念のうちにとどまらず、社会にも拡大する。社会生活での逸脱も「圧制」である。イスラーム共和国統治の基本的特性で、最も重要なことも正義の具現である。
  ホメイニーはまた、欲望と怒りの力が正義とシャリーアに服従することで国家に正義が具現し合法的な正義の統治が創られるとする。
  富田氏の報告後、ホメイニーの思想、シーア派における正義の思想、そのスンナ派との違いなどをめぐって活発な議論があった。
(COE研究指導員 中村明日香)