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若手研究会 「聖典と政治思想」部門

【2008年度 第1回研究会】

日 時
2008年8月30日(土) 16:00-
開催地
同志社大学 今出川キャンパス  扶桑館2階マルチメディアルーム(1)
タイトル
マルティン・ブーバー『神の王国』 1932年 (KÖnigtum Gottes) を読み進めるにあたって
報告者
堀川敏寛(京都大学大学院)
司 会
平岡光太郎(同志社大学大学院)
要 旨

  マルティン・ブーバー(1878-1965)の『神の王国』を第一期で取り上げるにあたって、報告者は、この著作の成立背景を理解するために、近代ヨーロッパやワイマール共和国および第三帝国におけるユダヤ人を取り巻く状況を概観し、さらにヘブライ語聖書のドイツ語訳を中心としたブーバーの研究活動を紹介した。その後フロアから補足がなされ、部門研究等についての意見が交わされた。研究会には、聖書学、政治思想、社会哲学、哲学、イスラーム研究、キリスト教研究、ユダヤ研究など、多岐に渡る分野の研究者が集まった。
  まず報告者が指摘したのは、ユダヤ人がヨーロッパ社会へ同化してゆく過程で生じた問題である。18世紀にユダヤ人の間に広まったハスカラー運動(啓蒙主義運動)とフランス革命後の市民権の獲得により、ユダヤ人がそれぞれのホスト社会で近代市民として生活してゆく気運が高まった。彼らはヨーロッパ社会への同化を積極的に望み、ユダヤ教への関心も薄れ、それぞれのホスト国を祖国と見なすようになる。しかし、同化が進めば進むほど、ユダヤ人の差別化をはかる動きが強くなり、同時に反ユダヤ主義も盛んになっていったのが各国民国家での実情であった。そうした状況に直面してブーバーは、同化を望んだ西洋ユダヤ人が自身のユダヤ性を見失っていると考え、彼らにユダヤの根源的なものを教示することを望んだのであった。
  ブーバーは1924年より、ローゼンツヴァイクがフランクフルトに設立した自由ユダヤ学院において、教鞭を振るうことになる。成人教育の一環として彼は聖書の思想を教えたが、生徒の多くは聖書になじみのない同化ユダヤ人であった。この時期にブーバーはローゼンツヴァイクと共同でヘブライ語聖書をドイツ語に翻訳しなおしている。この作業の意図は、キリスト教徒であるルターの翻訳ではなく、ユダヤ人自身の手による翻訳を使って、ドイツ系ユダヤ人が彼らの聖書を読むようになることにある。ルターがドイツの民衆言葉で聖書を翻訳したのに対して、ブーバーは音感やリズムといった観点でヘブライ語のニュアンスを損なわないように訳出を試みた。初めに刊行されたモーセ五書(Die funf Bucher der Weisung)の巻末には、ブーバーの小論文「聖書の新たな独語化に際して」が付録されている。そこでは、聖書を朗読する際に語りかけて来る「声を聞く」こと、つまりユダヤ人に対して神が語りかけている事態を決して忘れないこと、さらには、この「声を聞く」ことを通して現実の生活に変革が起こることが切に願われている。
  報告者は、ナチスが政権樹立に際してユダヤ諸団体が団結して創設した「ドイツ・ユダヤ人委員会」(レオ・ベックが初代会長)におけるブーバーの活動にも言及した。外に向かっては不当なユダヤ人迫害に抗議し、内に向かってはユダヤ人の海外移住の援助、ドイツ国内のユダヤ人の生活援助、ドイツの学校から締め出された青少年と成人への教育授業が行われた。ブーバーは成人教育部門を担当した。1933年にフランクフルト大学の教授資格を剥奪されると、主事として就任した自由ユダヤ学院で、1937年まで、ユダヤ教や聖書研究の講義を通して教育活動に従事したのである。
  フロアからは補足として、『神の王国』を含む一連のメシアニズム成立の著作は、Habilitation(教授資格取得論文)のために書かれたとの指摘がなされた。つまり、これらの著作は、エルサレムのヘブライ大学にブーバーを招聘しようとしたゲルショム・ショーレムからの助言に従い、ブーバーがやむを得ずアカデミズムの手法に則って作成したものだということである。ナチス政権が発足したためHabilitationとして研究を提出できなくなり、『神の王国』は本として刊行された。アカデミズムの手法に則ったために、版を重ねるごとに聖書学者との議論が序文の中で紹介されるようになる。同時期に行われた聖書のドイツ語翻訳に関しては、西洋の同化ユダヤ人にもう一度聖書の本源に立ち帰ることを求める一方で、「ドイツ的キリスト者」やその他のキリスト教徒に本来の聖書の姿を見せるというブーバーの目的があったことも指摘された。また「政治的シオニズム」と「文化的シオニズム」という術語が話題にのぼった。そもそも「文化的」とはいかなる状態を意味するのか、「文化的」と形容される事柄が「宗教」と「世俗」という相異なる領域にどのように関連しているのだろうか、文化が政治を包括する概念であるならば、「文化的シオニズム」に内包されている「政治性」はどのように機能することになるのだろうか。ブーバーの著作を読み進めていく上で、こうした問いを立てることが提案された。
  研究会の後半は、まずユダヤ、キリスト教における宗教と政治の関係についての質疑応答がなされた。社会科学の各分野で宗教の議論が排除される傾向が指摘され、イスラームにおける政教関係の大まかな変遷の紹介がされる。これらの話題をもとに本部門研究のタイトルでもある「聖典と政治思想」の可能性が問われた。近代政治思想を形作ったホッブズの『リヴァイアサン』やスピノザの『神学・政治論』などの重要な著作が聖書を扱っていることから、近・現代社会を理解する上でこのテーマが重要性をもつ。また西洋とイスラームを架橋し議論を進めるには、「社会契約」などの諸概念に関する共通理解が必要であり、「聖典と政治思想」や「一神教研究」という枠組みがこの共通理解構築の場となる可能性についても言及された。

(同志社大学大学院神学研究科博士後期課程 平岡光太郎)

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