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ローマ教皇のイスラーム発言の背景―教皇のヨーロッパ理解の問題点
2009年09月03日
(2006/10/12記)
一神教学際研究センター長 森 孝一
昨年秋から今年2月にかけて、ヨーロッパとイスラーム世界を激しく対立させた「ムハンマドの風刺画事件」に続き、今回はローマ教皇ベネディクト16世のイスラームについての発言をめぐって、ヨーロッパとイスラーム世界は再び、宗教と文明の共存についての課題について厳しく問われることとなった。
「ムハンマドの風刺画事件」と今回の「ローマ教皇のイスラーム発言問題」を比較すると、問題の当事者が今回は「ヨーロッパ精神の一つの中心」とも言うべきローマ教皇であったことから、「ムハンマドの風刺画事件」以上に、重大な影響力をもっていると考えられる。
イスラーム世界各地で教皇の謝罪と発言の撤回が求められている講演は、9月12日にドイツのレーゲンスブルク大学で大学関係者を対象に行われたものである。教皇は1969年から1977年まで、この大学の神学部教授として教義学を教えていた。今回の講演(「信仰、理性、そして大学―思い出と考察」)は、教皇就任後の最初の訪問と講演であり、いわば教皇にとっては「故郷に錦を飾る」ものであったと言える。当日は1500名の研究者が講演に集まった。
講演の全文を読んでみると、ヴァチカンでの30年近い勤めの後に、久しぶりにかつて教鞭を執った大学に戻り、大学関係者を前で講演を行うということで、身内同士の気安さとともに、久しぶりの大学での神学的講演であるという、ある種の「気負い」が表れているように感じた。(Catholic World Newsのウェブ・サイトに掲載されている講演全文の英語訳テキスト http://www.cwnews.com/news/viewstory.cfm?recnum=46474)
イスラーム世界が厳しく批判した箇所は、講演のなかで教皇が引用したミュンスター大学のテオドール・コーリー(Theodore Khoury)教授の著作『イスラームと西欧世界』(Der Islam und die westliche Welt: Religioese und politische Grundfragen, Primus Verlag GmbH, 2001.)からの引用箇所であった。
それは、14世紀末のビザンツ帝国皇帝マヌエル2世パレオロゴスと一人の教養あるペルシア人との対話である。対話の内容は、人間と神について、ヘブライ語聖書(旧約聖書)、ギリシア語聖書(新約聖書)、そしてクルアーンという三つの法の関係についてなど、キリスト教とイスラームの信仰についての広範な議論であったが、教皇は「対話そのものにとっては周辺的なことであるが」と断ったうえで、「信仰と理性」の問題が今回の講演のテーマであると語っている。しかしその直後に、マヌエル2世とペルシアの教養人の対話のなかで取り上げられた、イスラームの「ジハード」の問題を紹介し、「宗教と暴力」の問題がこの講演にとっての「中心的な問題」(central question)であると述べている。教皇にとって、「信仰と理性」の問題と「宗教と暴力」の問題は、同じ次元の問題であることを伺わせる。引用箇所は以下の通りである。
ムハンマドが新たにもたらしたものは、ただ悪と非人間性(evil and inhuman)である。彼は刀によって信仰を伝えよと説教し命令した。・・・暴力は神性(nature of God)や魂の性質(nature of the soul)とは相容れない。・・・信仰は魂から生まれるのであり、体から生まれるものではない。人を信仰へと導くものは、正しく語られた言葉、適切な理性であり、暴力や恐れではない。・・・理性的な魂に確信を与えるためには、いかなる武器も、死ぬことを恐れさせる手段も必要ではない。
イスラーム世界からの厳しい批判を受けて、9月17日に教皇はヴァチカンの公式サイトにおいて「遺憾の意」を表明するメッセージを発表した。その内容は「私の講演のなかの数行の文章が、ムスリムたちの感情を害するものと受けとめられ、いくつかの国において批判行動がなされたことについては遺憾である」というものであった。同時に「相互に尊敬の念を持って、率直で真面目な対話を行いたい」と呼びかけた。教皇はさらに9月20日には、同じ公式サイトにおいて、「注意深く私の講演を読んでもらえれば、中世の一人の皇帝によって語られた否定的で論争的な言葉は、私の考えではないことは明らかである」と語っている。 教皇の遺憾の意の表明と引用の意図についての説明に対して、イスラーム世界からの反応はそれを是として受け入れるものは少ない。また、ヴァチカンの公式サイトには、講演の全文は掲載されてはいない。
イスラーム世界からの反応の中心は、ジハードを暴力であると受けとめる教皇のイスラームについての理解の不十分さであり、さらにはイスラームと暴力を結びつける西欧のステレオタイプ的なイスラーム理解に対してであるのは確かであろう。しかし、教皇の講演内容の全文を読んでいくと、問題は教皇個人の問題だけに留まらず、今日のヨーロッパ、あるいはキリスト教世界が直面している根本的な問題と関係していることが浮かび上がってくる。それは「ヨーロッパとは何か」というヨーロッパの自己規定の問題であり、とくに「ヨーロッパにとってイスラームとは何か」というヨーロッパの文明理解に関わる重大な問題である。
教皇による「遺憾の意」の表明は翌日の9月18日に、ヴァチカンの公式サイトに掲載された。しかし、9月18日のヴァチカンの公式サイトには、もう一つの教皇の発言が掲載されている。それは「共通の確信―EUの根源」(Shared Convictions: The Source of European Union)と題する発言である。このなかで、教皇は「ヨーロッパ以外の地域で、キリスト教がこれほどまでに、その歴史と文化に影響を与えた地域は他にはない」、「EUの拡大やEU憲法についての議論のなかで、EU内の国家や国民にとってのアイデンティティと精神的根源は何なのかについては常に問われてきた。ヨーロッパ『全体』にとって、もっとも確実な根源は、歴史及びキリスト教と人道主義の伝統によって、この大陸において培われてきた共通の確信と諸価値のなかに見つけ出されるべきである」と述べている。さらに教皇は、「(EU内の)国家は西欧思想の根源とキリスト教精神によって養われてきた『愛の文明』の根源について、子供や若者に教育する義務がある」と語っている。
(http://212.77.1.245/news_services/press/vis/dinamiche/indc_en.htm#start)
これらの発言から読み取れる教皇の「ヨーロッパ理解」は、トルコにまでEUを拡大することには反対するというものであり、EU憲法には「キリスト教的伝統」という表現を入れるべきであるというものであろう。すなわち、ヨーロッパとは本来「キリスト教世界」であり、イスラームとの協調関係は必要だが、イスラームあるいはムスリムはヨーロッパの構成要素なのではなく、異質なものであるというヨーロッパ理解である。このような教皇のヨーロッパ理解、ヨーロッパとイスラームの関係についての理解が、今回の教皇のイスラームについての発言の背景にあることに注目する必要があろう。
それではつぎに、講演の内容について、もう少し詳しく検討してみよう。
教皇が講演で訴えたかった中心的な内容は、「信仰と理性」の調和である。その背景には、今日のヨーロッパにおける「理性」が「信仰や宗教」と切り離された、いわゆる「世俗化」の状態にあることへの教皇の危惧であった。教皇が批判しているのは、ヨーロッパ世界における世俗化だけではない。教皇はキリスト教思想においても、信仰が理性と切り離されて、理性が軽視されることに対して批判的である。教皇はキリスト教信仰における理性軽視の動きを「非ヘレニズム化」(dehellenization)という用語で説明する。
キリスト教史における「非ヘレニズム化」について、教皇は3つの段階があったと指摘する。第1段階は16世紀のプロテスタント宗教改革であると言う。宗教改革はキリスト教信仰の基礎を「聖書のみ」(sola scriptura)に置き、理性による哲学を排除したと考える。第2段階は19世紀と20世紀における「自由主義神学」(liberal Theology)である。すなわち、パスカルが「哲学者の神」と「アブラハム・イサク・ヤコブの神」を区別したように、理性と信仰を分離したと考えている。「非ヘレニズム化」の第3段階は現在である。現在の「多文化主義」においては、個別の文化の価値を高く評価しようとするために、ある文化のなかに移植(inculturate)された宗教の価値を低く評価する傾向がある。このような「多文化主義」的なキリスト教理解によれば、新約聖書をギリシア思想の影響を受ける以前の状態に戻して理解すべきであると考える。
教皇はこのようにキリスト教史における「非ヘレニズム化」について触れながら、一方でキリスト教の歴史には、信仰と理性の融合の流れが存在しており、それこそがヨーロッパの伝統であると主張する。
教皇はキリスト教における理性と信仰の融合の例として、創世記第一章やヨハネによる福音書第一章の「言葉(ロゴス)」と神の結合や、ギリシア哲学とヘブライ的信仰の融合の実例として「セプチュアギンタ(70人訳旧約聖書)」(ギリシア語訳旧約聖書)、そして中世のギリシア哲学と神学の融合をあげている。さらに教皇は、このギリシア哲学と聖書的信仰の融合こそが、ヨーロッパを作り上げた基礎であると結論する。すなわち、教皇のレーゲンスブルク大学での講演と、公式サイトに同時に掲載された「共通の確信―EUの根源」は、教皇の同じ「確信」の表明と理解することができるだろう。
では、何が問題なのか。ヨーロッパのキリスト教的伝統を体現する存在としてのローマ教皇が、キリスト教的伝統の重要性を強調することは間違ったことではないし、むしろ自然なことである。問題は、今日のヨーロッパ、あるいは世界における「文明の衝突」、「宗教の衝突」と呼ばれているような対立・抗争の状況において、教皇のヨーロッパ観とイスラーム観は適切なものであるのかどうかである。もう一度、教皇の講演に戻って見てみよう。
教皇はなぜ「ジハード」に触れたのか。その意図は宗教における「暴力」を「理性」と対立するものであると考えているからである。その意味において、教皇にとっては「暴力」と「非ヘレニズム化」は、反理性という点においては同次元のものであろう。問題は、イスラームにおける「暴力」について語りながら、キリスト教における「暴力」については、まったく触れていないところにある。十字軍やアメリカの戦争の歴史を見ても明らかなように、キリスト教の歴史においても「暴力」とキリスト教信仰は深く結びついていた。
教皇は講演の最後で、「異なった諸文化との対話において、私たちは対話の相手をこの偉大な理性(ロゴス)、すなわち幅のある理性へと招いている」と締めくくっている。このセンテンスだけを読むならば、教皇の主張は正しい。しかし、講演全体をコンテキストとしてこのセンテンスを吟味すれば、「ヨーロッパとキリスト教世界には、理性と調和した信仰の伝統がある。しかし、イスラームにはそれが欠如しているので、暴力に訴えるのではなく、理性的に対話を行おう」を語っていると受け取られても仕方がないのではないか。
9月22日に上智大学で開催された日本基督教学会において、名古屋にあるカトリック系大学である南山大学のマルクス学長は、ヨーロッパにおける「大学の歴史」について講演した。その中でマルクス学長は今回のローマ教皇の講演に触れて、スペインのコルドバ大学の設立は、ボローニャ大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、パリ大学よりも約1世紀早いことを指摘した。トレドと並んでコルドバは、当時、後ウマイヤ朝の文化の中心地であり、ヨーロッパ各地から多くの留学生がコルドバ大学で学んでいた。
ローマ教皇ベネディクト16世は、イスラームによって支配されていた時代のスペインは「ヨーロッパ」ではなかったと考えているのではなかろうか。ギリシア哲学をはじめ、膨大な「理性」の遺産をヨーロッパに伝えていたスペインの中世イスラーム世界は、まさに「理性と信仰」の融合の実例であったのではないか。
教皇はキリスト教の歴史における「暴力」について触れなかったのと同様に、イスラームの歴史における「信仰と理性」の融合の実例については、一切触れてはいない。もし、教皇が講演において、この両方について語っていたとすれば、イスラーム世界からの反発はなかっただろう。
文明と宗教の共存にとって最も必要なものは、共存と対話の相手に対する鋭い感受性である。ただ「相手が傷ついたことについて遺憾である」と言うだけでなく、「相手は何に怒っているのか、何によって傷ついているのか」を感じ取る感受性である。いま教皇とヨーロッパに求められているものは、相手に対する感受性とともに、歴史的事実を「理性」によって受けとめることであろう。
今後の教皇とヴァチカンの対応によっては、今回の教皇の講演によってもたらされた「災い」を、信頼の回復という「福」に転じさせることも可能であろう。教皇がヨーロッパとキリスト教の「良心」として行動されることを切に望みたい。



