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イラク政治におけるサドル派の動向

公開講演会

イラク政治におけるサドル派の動向

  • イラク政治におけるサドル派の動向1
  • イラク政治におけるサドル派の動向2
日時: 2007年07月17日(火)17:00-19:00
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: フアン・コール(ミシガン大学教授)
要旨:
イラクの人々の6割程度がシーア派なわけだが、近代政治を見てみると彼らは政治権力からは遠い位置にあった。二十世紀前半には英国によってスンナ派君主が置かれ、その後はスンナ派によるバアス党政権が確立した。1950年代に世俗主義、アラブ民族主義を掲げたバアス党はイラク全土に勢力を広げ、共産党がそれに続いた。
このような歴史を通してアメリカはイラク戦争当初、シーア派を世俗的であると見なしていたが、それは大きな誤りであった。1958年に既に、シーア派の聖職者であるムハンマド・バキー・アル=サドルはバアス党政権に対抗し、イスラーム法の下で統治されるイスラーム国家の設立を目指すダアワ党を設立していた。しかし1979年のイラン革命に強い警戒心を示したサダム・フセインはそれに余波を受けないようにとダアワ党の活動を強く取り締まり、ムハンマド・バキー・アル=サドルを始めとした多くのシーア派指導者が処刑されるに至った。
湾岸戦争の際にもフセインから弾圧を受けた後、シーア派には二人の突出した指導者が現れた。慎重派の大アヤトラ・アリー・シスターニーと若い急進派のムハンマド・サディーク・アル=サドルの二人である。ムハンマド・バキー・アル=サドルの従兄弟であるサディーク・アル=サドルは当時の東バグダードで貧民による民兵組織を設立した。組織は社会福祉などによりその支持を広め、フセインに対して公然と反対姿勢を示した。結果彼は暗殺されてしまったが、その息子であるムクタダ・サドルがその後を継いだ。アメリカは当初ムクタダ・サドル及び彼を指導者としたシーア派民兵組織を情報としても手にいれておらず、後にあわててサドル派対策に着手することとなった。アメリカはサドル派の勢力増大を阻止したい一方で、貧民を始めとした民間人からの反感を買うことは避けたいという板挟みの状態となっており、サドル派の民兵組織であるマフディー軍に関して、アメリカはマリキ政権にサドル派との関係を持たないよう呼びかけるなど、間接的にその孤立と弱体を狙っている状態である。
アメリカのイラク政策の混迷の原因は何であったのか。一つはイラク国内の民間事情への認識不足である。アメリカは当初国外に亡命したイラク人有力者を引き戻してその統治に利用しようとしたが、既にイラク国内では南部の貧しいシーア派民によるサドル派勢力が育っていたのである。一方でサドル派の方にも落ち度や課題が見られる。貧民層による反乱軍は組織として十分な秩序を備えているとは言い難く、指導者としてのムクタダ・サドル自身もまだ若く、フセイン統治時代の隠遁生活が長かったために政治に対する勘もそれほど優れているわけではない。また彼の政治姿勢は、一方でイラクのナショナリズムを掲げスンナ派との和解を目指し、他方でその所属する組織がシーア派という宗派主義の様相を纏っている、という矛盾を抱えている。マリキ首相との同盟を通じて政治力は確保したサドル派であるが、アメリカとマリキ政権との関係如何によって、その政治勢力が今後どういう形で続くかは不透明な状態である。

(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 高尾賢一郎)
ムクタダー・サドル師は、シーア派の宗教指導者を輩出してきたサドル家の一員で、アメリカのイラク攻撃後その強硬な反米的な姿勢で有名になった。
彼に忠誠を誓うマフディー軍とともに、イラクにおいてその動静が注目されている。講師のフアン・コール教授は、中東・南アジア史の分野で著名な研究者で、現在は北米中東学会の会長でもある。彼のブログ「Informed Comment」は現在のイラク状況についての最も優れた解説として注目されている。
アメリカのイラク研究の第一人者から、サドル派の動きを中心にイラク政治におけるシーア派ファンダメンタリズムについて話を聴くことの出来る貴重な機会となるだろう。
当日配布のプログラム