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クルアーン解釈からみるジハード論

公開講演会

一神教学際研究センター 公開講演会

クルアーン解釈からみるジハード論

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日時: 2005年10月22日(土)午後1時半~3時半
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: 塩尻 和子(筑波大学大学院人文社会科学研究科 教授)
要旨:
2005年10月22日に同志社大学の神学館礼拝堂において、「クルアーン解釈からみたジハード論」というタイトルで講演会が行われた。発表者は、塩尻和子氏であった。本講演は、三つの部分から構成されていた。
第一は、クルアーンの章句と預言者ムハンマドの言行から、ジハードに関連する数ヶ所の記述を巡る解釈を含む部分であった。塩尻氏は、クルアーンにおいて 41ヶ所の章句のうち10ヶ所のみが戦いを意味することから、クルアーンにおける「ジハード」の「聖戦」としての一般的な理解に疑問をもち、ジハードの意味の範囲は戦いのみに還元されないと指摘した。次に同氏は、預言者ムハンマドが遠征からの帰路に唱えたとされている「小戦から大戦に戻る」というハディースを挙げて、イスラームにおいては戦場での戦いより、悪を命じる己との戦いがより重視されているということに注目した。さらに、現代イスラーム世界においてテロという呼称のもとで捉えられている非イスラーム教徒に対する戦争とムスリム同士の戦争が、どこまでイスラームにおける「奮闘努力」にあてはまるかという現代的問題にも触れた。
第二部においては、「イスラームは暴力を容認するので、キリスト教の方がより平和的な宗教である」という言説がとりあげられた。同氏は、十字軍という歴史的な事実、5世紀のアウグスティヌスによる「正義の戦い」やその原理となっているキリスト教の聖書から「暴力」を意味する数ヶ所の章句などを挙げ、キリスト教にも暴力的な側面が含まれていると論じた。さらに、オスマン・トルコ帝国の支配下において、庇護民が平和に暮らしたという事実と、クルアーンにおける平和的な章句も挙げた。第二部の結論として塩尻氏は、いかなる宗教の聖典においても暴力的と平和的な側面があると示唆した。しかし、暴力を意味するこれらの章句は、その歴史の過程における実践はともかくとして、しばしばされるように文字通りの解釈のみではなく、比喩的にも解釈できるという可能性が論証された。
発表者は、講演の最後の部分である第三部で、「イスラームが暴力的でもなく平和的な宗教でもなく、秩序の宗教であると言われる」という点についても触れ、宗教は、人間社会にとってなくてはならないものである秩序を持続するためには、暴力を容認する可能性がある点に注意すべきであると明言した。
講演会の後、会場を移して「部門研究1」研究会が開始された。
中田氏は、クルアーンにおけるジハードに関する章句を議論した。同氏は、クルアーンにおいて、非ムスリムの親がイスラーム教徒の子供をイスラームから逸脱させようとする努力が「ジハード」という単語で記されているという点から、ジハードの「聖戦」としての訳語を批判し、「奮闘努力」という和語を提案した。次に、イスラームは暴力を容認するか否かという問を挙げた同氏は、イスラームにおける暴力の存在を認めたが、イスラームは暴力をコントロールすると主張した。また、イスラーム支配下において平和で暮らした非ムスリムの状況を「奴隷の平和」と名づける最近の批判に対して、奴隷と庇護民の違いを明らかにした。彼によれば、後者は非ムスリムだけであるが、前者はムスリムと非ムスリムを含むと指摘し、庇護民を奴隷という呼称で描写することの誤りを提示した。
発表の後、異なる分野のプロパーであり、イスラーム世界を共通の専門とする参加者たちは、中田氏による発表と塩尻氏による講演の内容にふまえながら、メディア、思想研究のような異なる視点から、「ジハード」を取り上げた。以下に、主なディスカッションのポイントを挙げる。
イラン・イラク戦争の事例をとって、スンナ派とシーア派の違いが検討された。これについて、シーア派とスンナ派の間にそれほど大きな違いがなく、シーア派においてはイマームの不在によりジハードが開始できず、正統防衛の戦いが許される等の違いを除けば、かなりの部分が共通していると述べられた。また、ムスリム間における戦いの問題も挙げられた。このような戦いをジハードと呼ぶことの曖昧さに注目され、イランとイラクの戦争においては、イラン側はジハードという名前より「聖なる防衛の戦い」という呼称を使用したことが例証された。
そのほかには、スーフィズムにおけるジハード論とその実践も考察されるべきとの指摘もあった。スーダンにおけるマフディー運動や北アフリカにおけるサヌースィー教団とイドリースィー教団による植民地化に対するジハードなどのようなスーフィーたちによるジハードが例に挙げられた。
最後に、ジハードが研究されるとき、問題になる幾つかの点が今後の課題として挙げられた。例えば、イスラーム以前の宗教と民間信仰のジハードへの関与、ジハードにおける殉教者の問題、日本において一般の人々が理解できるようなジハードの説明の必要性などに関する考察の不足等が提起された。

(COE奨励研究員・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士後期課程ダニシマズ・イディリス)
当日配布のプログラム
『2005年度 研究成果報告書』p.536-531、p.244-255より抜粋