同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

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ツタンカーメン王と信仰復興~アマルナ以後のエジプト第18王朝~

公開講演会

日本オリエント学会共催 公開講演会

ツタンカーメン王と信仰復興~アマルナ以後のエジプト第18王朝~

  • ツタンカーメン王と信仰復興1
  • ツタンカーメン王と信仰復興2
日時: 2013年10月19日(土)13:00~15:00
場所: 今出川キャンパス 神学館3階礼拝堂
講師: 河合 望(早稲田大学高等研究所准教授)
要旨:
 2013年10月19日、日本オリエント学会と同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)の共同主催で公開講演会「ツタンカーメン王と信仰復興」が開催された。講師である河合望氏は、早稲田大学古代エジプト調査隊、米国隊などに参加し、エジプト現地での発掘調査に従事した経験をもつ。河合氏の専門は、エジプト学、エジプト考古学であり、特に新王国時代の歴史と考古学を専門とする。
 講演は古代エジプト第18王朝の信仰復興を知る貴重な機会となった。まず、河合氏はツタンカーメン王の治世の重要な課題、つまり多神教の「信仰復興」から講演を始めた。ツタンカーメン治世下のエジプトでは、大きな変革が行われた。アクエンアテン王の王子として、ツタンカーメンは子ども時代から父が導入した新しい宗教を叩き込まれた。しかしツタンカーメンは王になってからその宗教を否定し、エジプトの伝統的な多神教を再導入した。ツタンカーメン王の『信仰復興碑』には、アクエンアテンのアマルナ革命によってエジプト全土の伝統的な神々への祭祀が停止したため、神々の庇護を受けられず、国土が荒廃し、軍事遠征も失敗したと記されている。アクエンアテンが導入したアテン信仰は、他の神々を排除する「一神教」に近い宗教である。河合氏によれば、アテン信仰の背景には包括的一神教がある。アクエンアテンは、万物の創造主は太陽神ラーであるという考えを強調し、ラー神が空に輝く日輪という形で顕在化したものが唯一神アテンであると位置づけた。それゆえに、アテン信仰の教義は(太陽の)光の神学と理解することが可能である。しかし、このアテン信仰は王による一元支配の貫徹のために利用され、民間信仰として根づくことはなかった。さらに祭祀はアクエンアテンだけが行い、公開されなかった。
 アクエンアテンの死後数年してから、王子であるツタンカーテンが8歳で王に即位した。彼の治世の初めにアケト・アテン(アマルナ)からメンフィスへの遷都が行われ、テーベが再び宗教的な中心となった。それはアメン・ラー神への帰依・信仰への移行を象徴する出来事と理解できる。ツタンカーメン治世の初期(ツタンカーテンと名乗った時期)は、アテン神とアメン神の国家神としての共存が計られたが、その後、ツタンカーメンへの改名とともにアテン神は国家神としての地位を失った。彼による信仰復興は、伝統的な神々の神殿の再開と修復から始まった。そして、伝統的な神々の神像の製作と神殿への供え物も開始された。信仰復興のもう一つは、上エジプトの影響力のある豪族の子どもから神官を選出したことである。さらに強調すべきなのは、アメン・ラー神が再び国家神となるばかりでなく、ラー・ホルアクティ神、プタハ神も等しく最高神として崇拝されたことである。すなわち、一神教崇拝が破棄され、三柱の国家神が新たに導入されたのである。
 ツタンカーメンの信仰復興は、伝統的な神々の神殿と貴族への富の再分配という意味をもっている。アクエンアテンの治世下に、権力や富は王に集中した。ツタンカーメンの信仰復興により、この富は再びエジプトの伝統的な神々の神殿や貴族に分配された。アテン神(一神)崇拝から三柱の国家神崇拝を中心とする多神教への変革は、様々な神と王との共存を示している。それは、伝統的なエジプトの秩序と帝国の繁栄を表すが、一神崇拝への集中を阻むものだった。    (CISMORリサーチ・アシスタント 李剣峰)
※入場無料・事前申込不要
【主催】日本オリエント学会
同志社大学 一神教学際研究センター (CISMOR)
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
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