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メンフィスとテーベ:古代エジプト社会における神々・王・人間

公開講演会

日本オリエント学会共同主催 公開講演会

メンフィスとテーベ:古代エジプト社会における神々・王・人間

  • メンフィスとテーベ1
日時: 2011年02月12日(土)13:00−15:00
場所: 同志社大学今出川キャンパス 明徳館1階 M1教室
講師: 中野智章(中部大学国際関係学部 准教授・日本オリエント学会会員)
要旨:
 古代エジプト文明を代表する巨大建造物のピラミッドと神殿は、別個の存在と見られることが多い。例えば、ピラミッドは古王国時代に大半が建造されたのに対し、神殿は主に中王国時代から文明が滅亡する紀元前後に掛けて多数が造られている。また前者は最古の首都メンフィス付近に集中するものの、後者は中王国時代に首都となったテーベのカルナック神殿を筆頭に広く全国に分布している。
 このように、両者では時代や立地に大きな差が見られるが、ここでは逆に共通する部分から、その背景に存在したであろう当時の世界観について考えてみたい。
 ギザの3大ピラミッドは、クフ王とカフラー王の2大ピラミッドと、より小さいメンカウラー王のピラミッドの3基からなっている。このうち前者に関しては、アメリカのマーク・レーナーが述べるように、夏至の頃にはスフィンクス側から見ると両ピラミッドの中央に太陽が沈むことが知られている。これは「地平線」や「来世」を意味する古代エジプトの象形文字「アケト」を表していた可能性が高く、また各々のピラミッドの古名には「……王は完璧である」や「……王は……の星である」といった王に関する記述が多い。
 ピラミッドが王墓であることは、副葬品や石棺、ミイラの断片、玄室に刻まれた葬祭文書等からも疑いの余地はない。
 ただし文字を表し、個々のピラミッドが王に関する事柄で呼ばれていた様子からは、ピラミッドが墓以外にも別の役割を果たしていた可能性を見出すことができる。私見では、来世への階段や太陽光線を表すといった従来の見方に加え、メンフィスを見下ろす台地の縁辺にピラミッドが林立するさまが、逆にメンフィスから見上げた際、人びとに来世の存在を示し、そこに永続する王の存在を示すものだったと捉えたい。現代人はとかくピラミッドの構造や副葬品にばかり着目しがちだが、当時の民衆にとってそれらは知る由もなく、むしろ表象的な意味合いが強かったのではないだろうか。
 また同様の意味は、テーベに設けられた2つの巨大神殿にも存在したと推測する。ここでは、「王家の谷」と「王妃の谷」という王や王族に関する2つの墓域が設けられ、各々の谷の手前、すなわちナイル川の氾濫期に水が迫った境界付近には、王の供養を行う葬祭殿が築かれた。カルナック神殿とルクソール神殿は、その谷と葬祭殿とを結ぶ延長線上にそれぞれ位置するが、これはピラミッドが本体と葬祭神殿、河岸神殿の3つで構成されたのと同じ組み合わせだったことを示唆すると言えよう。また神殿の入口にあたる塔門が「アケト」形を呈する点も、ピラミッドとの類似性を示す特徴の一つと考えられる。
 ではメンフィスではピラミッド、テーベでは神殿が建造された理由は何だったのか。王権観の推移や神官勢力の台頭など、さまざまな理由が存在したことは言うまでもないが、最大の理由は地形の差だったと考えたい。 強固で平坦な石灰岩台地が続くメンフィス域ではピラミッドを築くことが可能だったが、岩山が連続するテーベでは自然の地形をピラミッドに見立てた。そこで、付属施設としてメンフィスでは葬祭神殿と河岸神殿、ルクソールでは葬祭殿と2つの巨大神殿を築いたのである。
 すなわち、ピラミッドと神殿という両建造物に込められた共通の役割とは、人びとに来世の存在を意識させ、人びとを主導する王の姿を示すことにあった。王は神々と人間の間をつなぐ唯一の存在であり、その地位に求められた倫理観の高さや役割があったからこそ、さまざまな興亡が繰り返されたとはいえ、エジプト文明は3000年に及ぶ栄華を誇ったのだと考えられる。

(中部大学国際関係学部准教授 中野智章)
*入場無料、事前申込不要
【共同主催】日本オリエント学会
【共催】同志社大学 神学部・神学研究科