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レナード・バーンスタインとユダヤ教/キリスト教関係:反ユダヤ主義との闘い

公開講演会

第1プロジェクト公開講演会

レナード・バーンスタインとユダヤ教/キリスト教関係:反ユダヤ主義との闘い
Leonard Bernstein and Jewish-Christian Relation: Struggle against Anti-Semitism

  • レナード・バーンスタインとユダヤ教1
  • レナード・バーンスタインとユダヤ教2
日時: 2010年08月07日(土)13:00−15:30
場所: 同志社大学 新町キャンパス 臨光館2F R201教室
講師: Hillel Levine(ボストン大学教授、歴史学者)
要旨:
 レナード・バーンスタインは、名作『ウェスト・サイド物語』の作者として知られている。バーンスタインは、1971年J.F.ケネディー・アート・センターの柿落しのために「ミサ」という作品を制作、上演した。J.F.ケネディーとバーンスタインは、同時代にボストンで育ち、ハーバード大学で学んだことから親しい交友関係にあった。レヴィン教授は、「ミサ」を手がかりにして、バーンスタインの伝統に対する挑戦を「フツパー(Huzpah)」という言葉によって明らかにした。また、バーンスタインとケネディーを比較し、当時のアメリカ社会に残存していた反ユダヤ主義や反カトリック感情について論じた。
 「ミサ」は、J.F.ケネディーを記念して書かれた作品である。バーンスタインとケネディーには、多くの共通点がある。ケネディーとバーンスタインはともにボストンで育ち、ハーバードに進学し、そこで交友関係を築いた。アイルランド系でカトリックだったケネディーとユダヤ系でユダヤ教徒だったバーンスタインは、共に社会から差別を受けていたが、努力と才能によって頭角をあらわしていった。
 レヴィン教授は、「恥知らず、図々しい、大胆不敵、傍若無人」という意味のフツパー(Huzpah)というヘブライ語の言葉の概念によって、ケネディーとバーンスタインの社会における上昇志向を検証した。ケネディーが初めて議員に立候補したとき、他の先輩議員から政治家としてうまくやっていきたいのなら、他の人とうまくやっていく(go along)べきだと言われた。しかし、ケネディーはそれに対して、自分は我が道を進む(go alone)と言ったという逸話が残っている。ここに、ケネディーのフツパー、すなわち大胆不敵さが見える。しかし、実際に大統領となったケネディーは、いくつかの政策上の失敗から我が道を行くという姿勢を転換することとなった。
 バーンスタインは、厳しい指揮者のイメージとは裏腹に、共演者たちに「僕のことをレニーと呼んでくれ」と語り、権威的な姿勢を示さなかった。ヒエラルキーのはっきりしているオーケストラの世界において、こうしたバーンスタインの態度は珍しいものであり、ここに彼のフツパーが見られる。1939年にハーバードを卒業したバーンスタインは、そのときにすでに最初の交響曲である「エレミヤ」を書いている。この曲には、当時二級と見なされていたユダヤ民謡やジャズの要素が取り入れられた。また、この曲には哀悼の意味が込められており、第二次世界大戦でのナチによるホロコーストをすでに予感していたとも考えられる。さらに、第二次世界大戦後、彼は反ユダヤの町として有名であったウィーンで、反ユダヤ的であったワーグナーの曲を指揮した。この演奏はユダヤ教における新年の祭りにあたる日に行われ、演奏後には祝福を与える儀式を行った。これはフツパーの概念を超える大胆さである。
 「ミサ」はカトリック教会から厳しい批判を受けたものの、本来は初めてのカトリック大統領であるケネディーを記念して作られたものである。また、本来ミサで使われてきた曲は固定されたものではなく、地域によってそこに盛り込まれてきたものとは異なり、時代によってその内容は変遷してきたものである。したがって、バーンスタインはそうしたミサの伝統を踏襲し、当時のアメリカを反映する要素を様々な音楽スタイルによって新たなミサ曲を作ったのである。そして、フツパーを体現していたもう一人のアメリカ人であるケネディーに捧げる曲として、バーンスタインは「ミサ」を制作したのである。
 ケネディー・アート・センターの杮落しは、指揮者として既に世界的に著名だったバーンスタインが作曲家としても認められる大きな機会であった。当時、無調音楽が最先端だったにもかかわらず、バーンスタインはメロディー豊かな、誰もが口ずさめるような音楽を「ミサ」のために作曲した。それは、彼が批評家よりも庶民を重視したからである。さらに、ユダヤ人は文化に対して何も貢献できない劣った人種だ、と言われ、いじめらながら過ごした幼少期の経験が、バーンスタインの原動力になっていた。つまり、創造性や文化というものは、血ではなく心、あるいは魂、精神の問題であることを証明しようとしたのである。ここに、バーンスタインの反ユダヤ主義に対する戦いが見られる。

(同志社大学CISMOR リサーチアシスタント 山下壮起)
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