公開講演会

一神教学際研究センター・日本オリエント学会共催 公開講演会

古代エジプト人の神々

  • 古代エジプト人の神々1
  • 古代エジプト人の神々2
日時: 2007年03月17日(土)午後2時~4時
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: 吹田 浩(関西大学文学部教授)
要旨:
今回の講演会は日本オリエント学会との共催で行なわれた。発表者はまず、関西大学で行なわれている、資料収集と文献読解が中心となるエジプト研究の紹介を行なった。古代エジプトの歴史は紀元前三千年頃から始まり、独特な多神教の世界観を持っていた。それは一神教と必ずしも対立するわけではない、実に柔軟なエジプト人の信仰であったと発表者は述べる。
発表者によると、古代エジプト宗教の文献研究はその資料が断片的であり、暗示的であることから、多大な困難がつきまとう。資料には儀式や来世の一場面が描かれているものの、その宗教全体の体系は表されていない。例えば有名なラムセス1世の死についての描写を見てみても、せいぜいアヌビスやホルスといった神の名前がそこに記されている程度で、その前後の文脈を表してはいないのである。
しかしそれによって神々のリストアップを行なうことはできる。そしてその作業の中で、古代エジプトの神々が実に多様な名前と、我々の理解を超えるような姿を持っていることが分かる。例えば「ハラ」、「ハロ」、「ハル」という多くの呼称を持つホルスや、頭が昆虫であるケプリが挙げられる。そこからうかがえる古代エジプト人の神々の特徴は、それぞれの神が持つ表現方法の多様さ、その姿の無原則さである。
そしてそのことは逆に、そうした多くの神々は古代エジプト人にとって実のところ神ではなかったのではないか、という疑問を与えもする。そしてこの柔軟で多様な神々の表象が、エジプト的一神教への発展という視座への可能性と繋がっているのではないかと発表者は投げかける。例えば、宗教文書には先述したように神々の名前というものが明記されている。しかし時々、神々の固有名詞とともに一つの尊称が併記されている。例えば発表者が調査しているイドゥートの墓で見られる「大いなる神」という表現がまさにそうであるが、他の神々や王の名が明記されている以上、このような曖昧で不特定な表現で何者かを指そうとしていることには違和感がある。実証は難しいだろうが、これはその姿や名が隠されている一なる神、真の神を指しているのではないか、という。そうであるなら、このことから古代エジプト人が神々に特定の姿を与えることや、特定の表現や呼称で確定することを忌避していたのではないか、神の表象の無原則さにはそのような背景があるのではないか、ということがうかがえる。
古代エジプトにおける多神教から一神教への変遷に関する研究動向としては、例えば古代エジプトの社会的危機への対応が、多神教から一神教への変遷を生み出したとする説が挙げられた。これは新王国時代の一神教である「アマルナ」におけるイクナトン王の中央集権体制の事例に当てはめて考えることができる。この場合、一神教というのは多神教と対立する体系ではなく、多神教的世界における、大きな社会的危機に対応する為の緊急措置としての機能なのである。

(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科博士後期課程 高尾賢一郎)
当日配布のプログラム
『2005年度 研究成果報告書』p.354-372より抜粋