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天と人との際 -漢語神学の歴史的歩みと未来の展望-

公開講演会

天と人との際 -漢語神学の歴史的歩みと未来の展望-

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日時: 2016年11月09日(水)16:40-18:15
場所: 同志社大学今出川キャンパス 神学館チャペル
(京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車3番出口徒歩3分)
講師: 何光沪(He Guangfu)博士(中国人民大学教授/香港漢語基督教文化研究所フェロー)
要旨:
「漢語神学」の語と今日の中国の漢語神学運動は1990年代半ばに現れたが、何氏はその語を広義に漢語を用いる神学とし、7世紀の景教、遅くとも17世紀のカトリックに始まるとする。
 中国文明はある種の宗教を精神的基礎とするが、それは上帝あるいは天への信仰である。しかし中華文明は早い段階で「天子」概念という「文化的癌の遺伝子」を残した。天子は中国政治上の最高支配者を指し、支配者は自らを上帝の子孫とした。また天子概念は君主専制を神聖化し、絶対化した。それは始皇帝から既に実現され、制度化された。
 儒教は絶対的な君主制を思想的に批判したがそれを超える制度にはなれず、多くの儒家は排斥されるか政権に服従するに至った。他方、仏教は天子を敬い、それに依存する必要を認識して完全に政権に頼った。道教は明・清時代に民間宗教と共に抑圧され衰退した。
 君主を神や天子と見る偽りの神聖化は、専制主義に陥る権力崇拝となり、その結果、社会全体の真の世俗化に導いた。1980年代からの中国の経済的改革は政治制度に触れていないため、権力崇拝が政治権力を絶対化し、人間の本性を癌化させる制度になっている。この文化的癌の遺伝子は、中国史において人間の本性を、さらに文化・文明の全体まで腐敗させ、今日に至っている。   
 今日の中国はこのような生死の境界に至って、近隣諸国の変化を注視し、民族特性という概念を放棄し、古典文明の腐敗後のヨーロッパの復興の歴史の原因を反省する必要がある。このような思想的・精神的な改革開放とキリスト教の受容、研究が必要である。キリスト教こそ神の性質に関する探究やその解釈、そして世俗的なものの神聖化に対するその抵抗において、今日の中華文明を救う薬である。1980年代から中国の知識人がキリスト教を対象とし、人文学領域において研究し始め、このような世俗の世界において神の世界を構築することは歴史の必然と需要である。
 人間の意識は歴史の必然性を動かすことは出来ず、神の計画も人間の意識と予想を超えている。このような状況において、人に出来ないことの中に可能性が潜んでおり、人の目からは不合理的なことが現実になる可能性もある。これはこの二十年にわたる漢語神学研究の最も大きな特徴であり、また広義の漢語神学の特徴でもある。
 キリスト教ではイエス・キリストのみが神の子であり、全ての人間は被造物で、神の前に平等に罪人であるため、君主であれ神の子の身分の独占は許されない。このような思想は中国史上の政治制度やイデオロギーに反するゆえに、キリスト教は大規模な抑圧や迫害を受けた。それは政治的な抑圧に加え、思想的・文化的誤解でもある。このような不利な状況の中、最大の逆説は、1900年代の後半に中国大陸から消えたキリスト教が再び生まれ変わり、勢いよく発展してきたことである。
漢語神学やキリスト教研究は、1949年から約30年間ほぼ空白状態だったが、1980年代に『宗教辞典』と『中国大百科全書』が出版され、そこで初めてキリスト教の評価が客観的な解釈になった。1990年代に狭義の漢語神学運動が現れ、漢語神学の論文や書籍が多数出され、その影響は学術界、ビジネス界、文化界、政治領域まで広がる。
 漢語神学は、巨大な文化と伝統および現実の制度に、また「文明の衝突」や多元的・学際的な問題に対面しなければならない。このような厳しい環境の中、漢語神学の学者は現在第四世代まで活躍しているが、なお漢語神学は周縁化されている。しかし漢語神学の大きな動向は、最終的に中国文化、中華文明の再生に重要な精神的役割を果たすだろうと述べ、氏は講演をしめくくった。
(CISMOR特別研究員 朝香知己)
※入場無料・事前申込不要
【主催】同志社大学一神教学際研究センター
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
20161109ポスター