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寛容論の中世的本義と現代的誤解―アメリカ・ピューリタニズムの歴史から

公開講演会

第1プロジェクト公開講演会

寛容論の中世的本義と現代的誤解―アメリカ・ピューリタニズムの歴史から

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日時: 2010年10月23日(土)13:00−15:00
場所: 同志社大学今出川キャンパス 神学館3F 礼拝堂
講師: 森本あんり(国際基督教大学教授)
要旨:
 現代社会では、異質な他者と共存する必要性が高まっており、そうした他者に「寛容」であることが不可欠になっている。しかし「寛容」が西洋近代のリベラリズムの独特な原理だとすれば、他の文化の人々にとってそれは「不寛容」に転落しかねない。事実、西洋的な寛容の概念の押しつけが、イスラームの人びとを苛立たせている。現代では改めて「寛容」について検討することが求められていると言えよう。森本先生は、ニューイングランドのピューリタンが自分たちの社会をどのように構成していったのか、ということを検討することによって、寛容論の中世的本義と現代的誤解を解き明かし、寛容の理念を再構築していった。
一般に、ピューリタンは「不寛容な人々」というイメージがある。これは19世紀から20世紀初頭につくられたカリカチュアであるが、ニューイングランドのピューリタンにはたしかに不寛容なところがあった。そもそもピューリタン(Puritan)とは、堕落したイギリスの国教会を純粋(pure)にしようした人々であり、迫害されてアメリカへ渡っていく。ところが、ニューイングランドの主流を占めた会衆派のピューリタンは、バプティストやクエーカーを迫害した。かれらは、万人の信教の自由を保障したわけではなかったのである。それでは何故、かれらはそのように不寛容になったのだろうか。
当時のアメリカは、あくまでイギリス領の植民地であり、ピューリタンも本国政府からもらった「特許状」を後ろ盾にして植民地事業をおこなっていた。かれらは、宗教の次元では本国の制度に反対したとはいえ、政治の次元ではイギリス国王にたいする忠実な臣民であることを示さなければならなかった。そうでなければ植民地の存続が危うい。ゆえに、当時無政府主義者とみなされていたバプティストに寛容であることは難しかったのである。ピューリタンは、本国では既存の体制に異議申し立てをする批判勢力だったが、植民地にあっては、宗教の制度とともに政治の制度を打ち建てる体制派勢力となった。つまり「教会契約」だけでなく「市民契約」を結び、世俗的な秩序維持をしなければならなかったのである。そうした世俗的な次元の必要性があったとはいえ、彼らは信仰理解のうえでもバプティストやクエーカーを許容しなかった。現代人は、こうした態度を不寛容であると考える。しかし、そこには寛容についての現代人の誤解があると言わねばならない。
一般に寛容という理念は、宗教戦争をへて、宗教間の争いの悲惨さが自覚されるようになり、キリスト教が、他宗教や啓蒙主義から批判されて弱体化し、一神教的な世界観が崩れることで誕生した、と考えられている。しかし、そもそも寛容は、ヨーロッパ中世において、キリスト教の強固な支配が見られたところで形成され、概念としてはすでに中世において定着していた。自分の信じる神を正しいと信じ、他の神を信じる人々を間違っていると考える。しかし、それにもかかわらず中世の人々は、他の神を信じる人々を寛容にあつかう仕方を知っていた。信仰は自由意志にもとづくべきものであり、信仰の無理強いは、より大きな悪をもたらす。ゆえに中世の人々は、異教徒を「是認はしないが容認はする」という
姿勢をとった。ただし、異教徒と異端者とでは扱いが異なる。教会の周縁部に異教徒がいることは認めるが、中心部に異端者がいることは認めない。社会の中で異端者を自由にさせれば、社会秩序とともに信仰理解を崩しかねないからである。ニューイングランドのピューリタンが不寛容になった理由も、基本的にはこれと変らない。
中世的な寛容は、現代の寛容と違い、徳でも善でもない。実際的な利害を怜悧に比較考量したうえで、より少ない悪を選ぶ実践的な知恵なのである。寛容は、一つの価値体系のなかに他者を位置づける現実的な方法であった。これは、人頭税などを納めれば異教徒を認めるイスラーム的な寛容に通じるものがあると言えよう。歴史的な寛容は、一神教的な世界観のなかで機能していたのであった。
ただし、ピューリタンの考え方や姿勢も次第に変化してくる。1688年のボストンにおける討論で、ピューリタンが「特許状を受けた時には、バプティストは一人もいなかったのだから、あなたがたはこの自由を与えられていない」と言った時、バプティストの一人が間髪を入れず次のように切り返した。「特許状を受けた者は、自分たちのためでなく、他の人々を代表してそれを受けたのだ」。社会は、異なる思想や信条をもつ人にも開かれていなければならず、自分たちが住む社会は自分たちだけのものではない、という公共性の認識が生じてきた、と言えよう。ここに私的社会から公的社会への細い道筋が見える。ピューリタンの歴史は、自由と秩序にかんする多くの試行錯誤、紆余曲折を経て、少しずつ安定した社会をつくりあげていく、という実験の歴史だったと考えられる。
今日では、異質な思想や信条をもつ人々との共存を目指すことは必須の課題となっている。しかし同時に、いつの時代でも社会には、寛容の要請があるとともに寛容の限界がある。現代のリベラリズムやポストモダニズムは、そうした寛容のグラデーションを、不平等であるとかパターナリスティックであると批判する。しかし社会のアイデンティティの核が揺らいでいるときには、寛容の度合いは低くならざるをえない。そういう場合には、全ての思想や信条の完全な平等ではなく、昔ながらの寛容の理念のほうが求められることもあるのではないか。氏の講演は、歴史的な事実をふまえ、時として不寛容にならざるをえない場面を想定しながらも、ピューリタンの変化のなかに、それを超える寛容の理念の萌芽を見出し、現代のリベラリズムやポストモダニズムの寛容論とは別の寛容の理念を浮かび上がらせるものであった。
その後の研究会では、講演をふまえて、ロジャー・ウィリアムズの思想、世俗主義者の扱い、先住民との関係、ピューリタンの定義など、多彩な論点が次々と議論され、テーマが深く掘り下げられていった。    

(CISMOR特別研究員 藤本 龍児)
入場無料、事前申込不要お問合わせ: 075-251-3972(CISMOR事務局)
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