同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

> 公開講演会 >

日本での生活は、いかに私の一神教理解を変えたか

公開講演会

日本での生活は、いかに私の一神教理解を変えたか

  • Minolta DSC
  • Minolta DSC
日時: 2005年03月05日(土)2時~4時30分
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: バーバラ・B. ジクムンド(同志社大学アメリカ研究科教授)
要旨:
ジクムンド氏は、一神教を理解するために重要である四つの観点の紹介から講演を始めた。それは、第一に天地創造教義における多様性の強調、第二にその人間観が社会に及ぼす影響、第三に女性の社会的役割に関する影響、第四に多宗教社会の形成のために果たした役割である。日本での生活は、氏にこれら観点の重要性を再確認させることになった。

1)三つの一神教は同じ天地創造の物語を共有している。そこで語られているのは神の創造の多様性である。例えばバベルの塔の物語は、人間が統一されておごり高ぶるよりも、多様性を認めつつ相互に受容しあうことの重要性を告げている。ともすれば、一神教は「唯一性」に焦点を当てているように捉えられがちである。しかし実際に聖典から確認されるのは、そういった多様性受容の強調である。

2)アジア社会で強い影響力を有している儒教思想は、人間性を肯定的に捉える。しかし、それは人間に高く過酷な要求を課すことにも繋がっている。対して一神教は、人間は悪を侵さざるを得ない存在だとの把握を基礎に、悪の影響が少ない社会を形成するように努める。その背景には人間の有限性に関する深い自覚があり、こういった人間把握はアジア的儒教的人間把握に比べてより健全であるように思われる。

3)アメリカの女性史を一見すると、一神教的観念がアメリカ社会における女性の立場に関して、大きな影響力を与えてきたことが分かる。宗教改革の「聖書のみ」の原理は、昨今の欧米における女性の社会的地位向上の遠因である。これに対して、儒教の影響下にある日本社会では、未だに女性の社会的役割は否定的に評価されている。日本での生活以前には、ユダヤ教、イスラームなどは女性を抑圧するものだと思っていた。しかし、日本での生活を経て感じたのは、そういった宗教においても、社会に対する女性の役割が保証されているということである。

4)もともとアメリカでは宗教の多元性は好ましからざるものと考えられていた。しかし、その始まりから多様な教派を抱えていたアメリカでは、それぞれの教派の権利を確保するために、生存のために、やむなく他の宗教教派が受け入れられることになった。故に、多元性の受容が直ちに多元性の評価に繋がっているのではなかった。しかし時を経て、そのような状況は多元性そのものに価値を認めるという、宗教多元主義を生み出したのである。

このような観点を確認した後、氏は日本の文化や宗教性に関する所見を次のように述べた。通常、日本の宗教は多神教であると説明される。しかし、氏によれば日本の宗教はいかなる類の有神論でもない。ティリッヒは宗教の基礎を「究極的関心」に置いたが、しかし日本の宗教にそれは認められず、宗教は表面的で時にはレクリエーションのようでもある。しかし、そういった無宗教的社会である日本での生活は、氏に一神教徒であることの意味を再確認させ、また非言語的コミュニケーションを重視する日本文化の側面は、神の言表不可能性を改めて自覚させるものであった。氏は最後に、「一神教は排他的に自らの真実を強調する」という日本人の一般的な一神教観の誤りに言及し、現在のアメリカではそのような捉え方が少数であることを強調した。これは、自らの宗教的確信を自らによる「選択」によるものと捉えており、絶対的真理であるが故にそれを確信するのではないという思考である。一神教において神は一人である。しかし、その神に至るための道は唯一ではなく複数であり、また、神が人間を救済するその仕方もまた複数なのである。

講演後には、フロアから様々な質問がなされ、活発な議論が展開された。入場者は約100人であった。

(CISMORリサーチアシスタント・神学研究科後期課程 高田太)
当日配布のプログラム