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昭和戦時下における新聞の親ナチ・反ユダヤへの傾斜 ―それに同調できなかった人々

公開講演会

昭和戦時下における新聞の親ナチ・反ユダヤへの傾斜 ―それに同調できなかった人々

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日時: 2014年01月26日(日)13:00~14:15
場所: 今出川キャンパス 神学館3階礼拝堂
講師: 宮澤正典(同志社女子大学名誉教授)
要旨:
2014年1月26日(日)、宮澤正典氏(同志社女子大学名誉教授)による公開講演会「昭和戦時下における新聞の親ナチ・反ユダヤへの傾斜―それに同調できなかった人々」が開催された。本講演において宮澤氏は、昭和戦時下において新聞が親ナチ・反ユダヤへと傾斜していく様子を数々の史的資料を参照しながら説明された。
 日本の歴史の中でユダヤ人が隣人として存在したことはほぼなかった。そういう意味では日本にはユダヤ問題はなかったといってもよい。日本政府は、1933年にドイツからのユダヤ人避難民への対応に関して国際連盟から問い合わせを受け、ロシア革命での白系ロシア人避難民と同様に条件つきで入国を認めるとした。その後、政府は1938年の「猶太人對策要綱」でユダヤ人を他国人と同様に公正に取り扱うと明示した。この対策要綱は1942年に廃止され、より厳しい内容の「時局ニ伴フ猶太人對策」が決定されたが、独伊の排ユ政策とは異なり、国是たる八紘一宇のもとユダヤ人は無国籍人として扱うにとどまっている。
 大正時代になると、日本にもユダヤ問題が現われる。シベリア出兵の際、ユダヤ人による世界転覆、ユダヤ人世界建設の陰謀の計画書とされた『シオン長老の議定書』が日本にもちこまれた。一部の軍人は大正デモクラシーに反対するため、この『シオン長老の議定書』にもとづいてデモクラシーは英米の策略であると主張し、ユダヤ論議を立ち上げた。これに対して吉野作造が反論するなど、この時期ある種の反ユダヤ主義をめぐる論議があったが、新聞がそれを主題にすることはほとんどなかった。
 しかし昭和に入りナチスが登場すると、新聞は熱心にこれを取り上げるようになる。日本のジャーナリズムは、1933年段階ではナチスに厳しい批判を向けていたが、1935年にそれは大きく転換した。たとえば朝日新聞1935年1月27日付夕刊の第1面は、ほとんどが黒田礼二とヒトラーの会見によって占められている。国家元首就任以来、ヒトラーが会見した外国の記者は黒田が三人目であった。この出来事は朝日新聞とヒトラーとのあいだに関係が構築されたことを意味する。この年を契機に日本のジャーナリズムは、新聞に登場する学者や文化人も含め、ドイツやヒトラーの賛美に転換した。たとえば大阪毎日はヒトラー・ユーゲントの日本招聘を主導したほか、反ユダヤ関係の講演会や展覧会をたびたび開催した。日独伊三国同盟が賛美され、ヒトラーの演説もたびたび紹介されたが、それに対する批判はまず行われなかった。またイタリア降伏の際には、キリスト教国英米のローマ爆撃はユダヤ人とフリーメーソンの計画であるとする社説が掲載され、イタリア降伏によってドイツは重荷を下ろしたという軍人らの論理もくりかえし紹介された。この親ナチへの傾斜は反ユダヤにも転じた。日中戦争はユダヤ人と共産主義から極東を救う聖戦と位置づけられ、ユダヤ人問題は対岸の火事ではないとされた。すなわち、中国の背後には英米(=ユダヤ)がおり、そのことを見抜かなければ日中の関係は理解できないというのである。こうして新聞は、新秩序をつくるために断固ユダヤ=英米を打倒すべしという論調で占められるようになった。
 このような中、杉原ビザによって日本人は1940年に集団としてのユダヤ人とはじめて接した。新聞はこの時の様子をかなり忠実に紹介しているが、市民が反ユダヤ的な態度をとったという記事はほとんど見出せない。つまり市民は違和感をもったにせよ、基本的にはユダヤ人に同情的であった。新聞もここでは反ユダヤを煽ったとはいえない。しかし新聞にはあきらかに反ユダヤ的な影も認められ、観念的なユダヤ観を織り込んだ報道も見られた。その後、ユダヤ人が上海に渡りほぼ姿を消すと、新聞は観念のユダヤ人像を弄ぶようになった。
 一方、こうした親ナチ・反ユダヤ的傾斜に同調しなかった人々も存在した。清沢洌は、『暗黒日記』の中で新聞を痛烈に批判し、そのユダヤ論に反論している。また1938年、ユダヤ人避難民が満州国から入国を拒否された際、樋口季一郎は当時の関東軍参謀長東条英機に対し人道問題として受けいれるべきだと主張し、入国を認めさせている。
 以上の宮澤氏による講演の後、非公開研究会“Jews and Judaism in Japan”(日本におけるユダヤ人とユダヤ教)が行われた。研究会では、Ada Taggar-Cohen氏(同志社大学教授)の“Introduction to the research”、高尾千津子氏(立教大学研究員)の「日本統治下ハルビンのユダヤ人社会 1930-40年代」、佐藤泉氏(東洋学園大学教授)の「在日ユダヤ人コミュニティの歴史―長崎、神戸、横浜、軽井沢、東京」、市川裕氏(東京大学教授)の「日本人にとってのタルムード翻訳の意義」、勝又悦子氏(同志社大学助教)の「最近のユダヤ関係の出版事情」、そしてDoron B. Cohen氏(同志社大学嘱託講師)の“Being Israeli in Japan”の6つの発表があり、活発な議論が展開された。  (CISMOR特別研究員 朝香知己)
【概要】
 昭和の時代は山東出兵、済南事件、満州事変、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争(太平洋戦争)と展開して1945年8月15日の終戦まで戦争の時代であった。日本でのユダヤ人問題観の転機はナチ・ドイツの登場であった。それを朝日、毎日の新聞の姿勢から追ってみていく。やがて両紙はドイツ・ヒットラーを賛美し、あたかもそれを代弁する紙面づくりに転じていった。これを批判した一人、清沢洌を中心にとりあげる。また、杉原ビザで入国したユダヤ避難民を揶揄的に新聞が報ずるのに対して、敦賀、神戸市民はどうだったのか、などについて考察する。また、新聞がなぜ日本政府のユダヤ人対策を越えて反ユダヤ風潮へと導いたのか、その背景に官憲の言論統制があったことを指摘したい。


※入場無料・事前申込不要

【主催】同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
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