同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

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第5回国際会議 宗教における価値

公開講演会

第5回国際会議 宗教における価値
The 5th International Conference on Values in Religion

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日時: 2016年10月30日(日)10:00-18:00
2016年10月31日(月)10:00-18:00
場所: カイロ大学東洋学研究所
講師: 四戸潤弥(同志社大学神学部・教授/CISMORセンター長)
サミール・ヌーハ(同志社大学神学部・客員教授)
戸根裕士(同志社大学神学研究科後期博士課程)
要旨:
 第五回「宗教における価値」国際会議(The 5th International Conference on Values in Religion)が2016年10月30日から31日にかけて開催された。場所はエジプトのカイロ大学の東洋学研究所である。日本から当会議に正式に参加したのは、同志社大学神学部四戸潤弥教授、同大学サミール・ヌーフ教授、それに戸根の三人である。本会議には同志社大学の一神教学際研究センターも合同で開催に携わった。

 第五回目のテーマは「宗教と信仰における聖地」(Holy Places in Religions and Creeds)と定められた。このテーマの下で各々の宗教性の価値が論じられるわけであるが、ここで少しそのテーマの例を紹介したい。
 ・ユダヤ教思想に表れた聖地
 ・キリスト教思想に表れた聖地
 ・イスラーム思想に表れた聖地
 ・一神教以外の宗教に表れた聖地
 ・東洋諸語と文学で表現された聖地
 ・聖地を巡る宗教間の対立
 ・聖地を巡る地域社会の変容

 当会議初日は午前10時より開会式が行われた。その際にアズハル大学のモハメド・ハワーリー(Mohamed Hawary)教授より同志社大学一神教学際研究センターが紹介され、サミール教授と共に日本の研究機関と合同で当会議を開催する意義など確認し、当会議の盛会が祈願された。
 日本より参加した三人に割り当てられた発表のセクションは開会式直後であった。前述のハワーリー教授が当セクションのコーディネーターを務めた。発表は席順に従いサミール教授、四戸教授、戸根の順で行われた。
 まずサミール教授の発表は「日本の宗教思想における聖地の象徴性 -イスラーム教と比較して-」であった。
 次に四戸教授の発表は「日本の聖地 -イスラーム教との比較から-」であった。
 そして戸根の発表は「聖地としての洗礼堂の機能 -ミラノのアンブロシウスの著作を中心に-」(On the Function of the Baptistery as Holy Place: Concerning Writings of Ambrose of Milan)であった。

 私の発表に関しては、当大会のテーマに従いキリスト教思想に表れた聖地という点を考えて、その例に洗礼堂という建築物に焦点をあて、その建築物の由来がローマ帝国の皇帝の墓であったことや、洗礼堂の儀式に都市の水道の設備が必要であったこと、又はアンブロシウスが腐敗から純潔への転換という洗礼の主題を明確化する為に工夫を凝らしたことなどを説明した。
 このセクションの後に昼食を挟んで当国際会議は続行し、複数のセクションが午後7時まで開催され、活発な議論が展開された。その間、日本から参加した者たちは各発表を聴講していたが、ただそれだけではなく時に中座し、現地のエジプト・ラジオテレビ放送連合や朝日新聞の取材などを受けて、日本における一神教研究の現状などを報告した。
 
 翌日10月31日であるが、本来は当国際会議二日目であったけれども、発表者が予定より少なく早々に終わり、その後は日本より参加した者たちは、カイロ大学の方に近辺の一神教の聖地を案内して頂いた。
 初めに案内されたのはムハンマド・アリーモスクである。その場所は、世界遺産にも認定されたカイロの歴史地区の中の城塞に位置している。この城塞とは、1176年に十字軍の侵攻に備えてアイユーブ朝のサラーフ・アッディーンにより建設されたものである。そしてこの城塞内の一角にあるムハンマド・アリーモスクとは、オスマン帝国より派遣されたムハンマド・アリーの命令の下に建設されたモスクである。
 日本より参加した者たちはモスク内に案内され、モスクの建築上の特徴などの説明を受けた。例えば、ミフラーブというメッカの方向を向く壁の窪みや、ミンバルという説教の為の階段上の王座など、実物の傍で解説して頂いた。その際に筆者が、モスク内で鼻を刺す悪臭を感じたので、傍らにいたカイロ大学のサラ・オスマーン(Salah Osman)教授にその正体を伺ったところ、それは絨毯に染み付いた鳩の糞ではないかと仰っていた。曰く、イスラーム教の初期には礼拝場は固定された場所ではなく、移動して場所の一角で絨毯を敷いて行っていたが、或る時以降、時に建造物の中が礼拝する場所となったので、その場合では頻繁に絨毯を洗濯するのは容易ではなく、開放している戸口から鳩が入って来て糞をしても、そのまま放置されることが多いという。こうして実際にモスクの中に入って案内して頂くことで、砂漠の民の宗教でもあったイスラームが、都市の中に根付く過程での、その状況の変化に容易に対応し難い側面に気づくことが出来た。
 
 次にカイロ大学東洋学研究所の方に案内して頂いたのは、カイロのコプト教会地区である。この地は聖書の昔より由縁があり、マタイによる福音書2章13節から23節に、イエスを連れたマリアたち家族がエジプトに避難した記述が存在するが、ここがその当地であると言い伝えられている。実際この地区にある聖セルギウス教会の地下には、その家族が避難していた洞窟が存在し、今でも松明が灯され続けている。また当日は見学する時間が無かったが、この地区に存在するコプト博物館についても説明を受けた。曰く、このコプト博物館の中にはコプト教会に関する史跡が保存されているが、その他に写本の収集でも著名であり、代表的なものにナグ・ハマディ写本の一部や最古の詩編の断片などが収容されているそうである。後日、筆者が許可を得て他の写本も閲覧したところ、そうした代表的な資料の他にも、8世紀の聖画像論争に携わったダマスコのヨハネや、3世紀の異端と名高いサモサタのパウロなどに関する貴重な写本も収容されていると確認出来た。
 以上、こうしてカイロのコプト教会地区の見学を終えて、当国際会議の全日程が終了したのであった。

 最後にその帰路において現地の教授達と議論していた話題を報告したい。それはエジプトという地で国際的な研究会を開催する意義であった。即ち、この地では一神教が相互に影響し合って不可分に共生してきた歴史的な過程が分かるという。又古来より伝わる史跡や遺留品などを参照すると、文章だけでは把握しきれない活動の実態が明確になり、当時の生活様式の中での宗教の理解が容易になるとも指摘された。そしてその例に漏れず、当国際学会も有益な場となることが出来たと皆で話し合っていた。改めてここで関係者各位のご配慮に感謝しつつ、今後の更なる成功を祈願したい。
(同志社大学大学院 戸根裕士)