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「カイロ・ゲニザー」 ― 千年にわたるユダヤ教の歴史と文化へのいざない

公開講演会

「カイロ・ゲニザー」 ― 千年にわたるユダヤ教の歴史と文化へのいざない

日時: 2005年09月29日(木)午後2時~4時
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: メナヘム・ベン・サッソン (イスラエル・ヘブライ大学教授)
要旨:
ベン・サッソン氏は、「カイロ・ゲニザ」として有名な、カイロのベン・エズラ・シナゴーグ内のゲニザ(重要な古文書を保管するためにシナゴーグに設けられた部屋・空間)で発見された文書の紹介とその分析に関する講演を行なった。以下はその要約である。

「カイロ・ゲニザ」の発見は、ケンブリッジ大学のAgnes Smith LewisとMargaret Dunlop Gibsonまでさかのぼるが、本格的研究は1896年にSolomon Schechterがベン・エズラ・シナゴーグから50万点にのぼる文書の断片を同大学に持ち帰り、大規模な解読作業を開始したことに始まる。 Schechterは当初「カイロ・ゲニザ」に黙示録のオリジナルのテキストがあるかと考え、解読を開始したのだが、その変わりに無名のユダヤ人たちが残した、医学、会計、宗教、そしてより私的な事項のあらゆる分野にわたる文書に混じって、Yehuda Halevyの詩やマイモニデスの書いた文書を発見した。
「カイロ・ゲニザ」の膨大な量の文書に共通していることは、第1にヘブライ文字で書かれていることである。第2には、第1にも関連しているが、全般的にユダヤ人の教育を意図していることである。既記したように、書かれている内容は宗教に関することから、日常生活に関わることまで多種多様である。そして使用されている言語も、アラビア語、ギリシア語、ペルシア語など、その時代に著者のユダヤ人が居住していた様々な土地の言葉である。しかしこれらが全て聖なるヘブライ文字で書かれることによって、ユダヤ人がユダヤ人として宗教的生活に参加できるようにという教育的効果を志してきたのである。では、このような諸文書が人目に触れないように「ゲニザ(宝物)」に保管されるようになったのはなぜだろうか。
まず、文書が聖なる文字で書かれたことにより尊重されたということがある。また、多くの人が文字を読まなかった中世において、本が宝として認識されていたことがある。
中世においては、ユダヤ人の98%がイスラーム政権支配下のギリシア地域の各地に居住していた。ユダヤ人たちは共通言語でコミュニケーションをはかっており、そのセンターはカイロであったと考えられている。これはカイロが大都市であったというだけでなく、ここにマグリブから排斥され移民してきた多くのユダヤ人が住み着いていたことも関連している。これらのユダヤ人たちはトーラーと共に様々な本を携えて逃げてきた。本の中には、アラブ世界では失われてしまった書物がヘブライ文字で書かれて残存したものもあった。
「カイロ・ゲニザ」の多様な文書から、我々は上記したユダヤ人の動きを推測することができる。また、何世紀もの間、ユダヤ人、クリスチャン、ムスリムの文化の中に集積されてきたものを知ることもできるのである。

(COE研究指導員 中村明日香)
一神教学際研究センター・神学部・神学研究科共催
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