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イスラームと科学――もう一つの視点からイスラームを考える Islam and Science

公開講演会

第1プロジェクト 公開シンポジウム

イスラームと科学――もう一つの視点からイスラームを考える Islam and Science

日時: 2011年11月26日(土)13:00-15:40
場所: 同志社大学新町キャンパス 尋真館4階Z40教室
講師: モジュタバー・ザルヴァーニー(イラン・テヘラン大学准教授)
サラーハ・オスマン(エジプト・メノフィア大学教授)
【ゲストパネリスト】小杉泰(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)
要旨:
 モジュタバー・ザルヴァーニー教授は、「イスラーム哲学における宗教的科学」と題した講演を行った。同講演では、最初に、イラン革命後に「大学のイスラーム化」が進められてきたという背景が説明された。イラン革命後も、現在に至るまで、自然科学のみならず、人文社会科学も、イランの大学では西洋の科学的思考が学問の基礎となっている。「大学のイスラーム化」の一環として、様々な学問の基礎として、近代西洋の科学的思考に替わってイスラーム哲学が据えられる可能性について論じられた。まず、キンディー、ファラービーからイブン・シーナーを経て、スフラワルディー、ムッラー・サドルに至るイスラーム哲学において、「哲学」がどのように定義されていたのか概観した。その上で、近代西洋哲学とイスラーム哲学の主な違いが示された。近代西洋哲学では、合理主義と実証主義が基礎となっている。一方、イスラーム哲学では、哲学は人間に関わる問題全体を扱っており、魂の浄化や人格の完成といった霊性や徳性の実践に関わる問題も重要なテーマである。近代西洋では、霊性の問題を扱う思想は神智学と呼称され、哲学からは区別されている。
 サラーハ・オスマン教授は、「イスラームと科学―過去の創造性と魅力から現在起きている変化まで」と題した講演を行った。同講演では、まず、過去のイスラーム世界でギリシア語からアラビア語への翻訳を通して科学が受容され、独自の発展を遂げることができたのはなぜなのかについて考察された。当時、宗教的権威が科学的研究活動を妨げることはなかった。科学の研究は、宗教からは独立した活動として、合理主義に基づいて行われていた。このような環境こそが、現代においてもイスラーム世界が科学の研究において創造性をとりもどすために必要であるとの考えが示された。現代のイスラーム世界では、イスラームに基づこうとする知的運動も科学研究において独創性を示すことができていない。一方で、世俗主義者たちも西洋の模倣ばかりで独創性はない。このような状況を克服し、イスラーム世界が科学研究で創造性を持つためには、欧米の研究成果をアラビア語へと翻訳する大規模な翻訳活動が組織されるべきであるという提案がなされた。
 両教授の講演に対して、京都大学の小杉泰教授からコメントがあった。コメントでは、イスラーム文明は一つの技術体系であり、その体系の中では自然科学も哲学も科学技術も密接に関連づけられていることが指摘された。また、日本を含む現代社会の文明では科学技術が重視される度合いが非常に大きいが、哲学や宗教も同じ体系の中に位置づけて運用しようとするイスラーム文明から学べることがあるのではないかとも指摘された。その後、イスラーム哲学とポストモダン哲学の対話の可能性、西洋の科学をイスラーム世界に取り入れるための翻訳事業の展望、西洋の科学とは異なる「宗教的科学」の是非、といった問題について活発な議論が交わされた。

(同志社大学神学部助教 塩崎悠輝)
※英語講演・逐次通訳あり
※入場無料・事前申込不要
【主催】同志社大学一神教学際研究センター
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
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