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イスラーム世界の音文化としてのコーラン(クルアーン)―言語人類学的考察

公開講演会

日本オリエント学会 共催講演会

イスラーム世界の音文化としてのコーラン(クルアーン)―言語人類学的考察

日時: 2010年02月27日(土)13:00−15:00
場所: 同志社大学今出川キャンパス クラーク記念館 2F礼拝堂
講師: 西尾哲夫(人間文化研究機構 国立民族学博物館 教授)
要旨:
アラブをはじめとしたイスラーム世界は、世界的にみても豊穣な音楽文化を持つ。一例として、日本でも人気が高いベリーダンスは、観光資源としての重要性から、エジプトで「第四のピラミッド」と呼ばれる程である。しかし同時にイスラームの宗教的価値観では、音楽や楽曲は忌避される存在である(その極端な例はアフガニスタンの旧タリバン政権。また、ベリーダンサーの社会的地位も決して高くない)。なぜ音楽は忌避されるのか。講師の西尾哲夫先生は、この問いにイスラーム世界とコーランにおける「音(おん)文化」の分析を通じて接近された。
 「音」(おん)とは、人間の世界を取り巻く様々な「おと」を、人間の言語を含めて包括的に示す慨念であり、これらを人間がどのようにコミュニケーションに役立てているのかを分析するのが、「音文化」研究である。
 「音文化」的な理解にとって、イスラームの聖典『コーラン』(クルアーン)の重要な特徴はふたつある。一つはコーランが本来は声に出して読まれ(読誦[どくしょう])、伝えられる(口承)ものであることである(「クルアーン」の元となった言葉は、古代アラビア語で「声に上げる」、ヘブライ語で「叫ぶ」。語源はシリア語と考えられる)。読み方の規則として「タジュウィード」があるが、特に旋律をつけた読み方はティラーワと呼ばれ、七つの流派に分かれる。また読み人の個性によっても、抑揚と旋律をつけた、すぐれて「音楽的」なものとなる。イスラームの法学上は、旋律付きの読誦は禁止されているが、韻を踏んで、抑揚と旋律をつけた文体で朗唱されるコーランは、我々の耳にとても「音楽的」に聞こえる(音楽そのものではないが)。コーランの朗唱以外でも、例えば、モスクが礼拝の時間を知らせるアザーン(信仰告白の朗唱)も、とても「音楽的」である。
 もう一つの重要な特長は、イスラームが、アラビア語以外の言語への“コーラン”の翻訳を認めず(訳されたもは“注釈書”とされる)、またウラマー(イスラーム法の専門家)以外の人々によるコーランの自由な解釈を禁じている点である。なお、7世紀の半ばに、第三代カリフのウスマーンによって、コーランのテキストが統一された(ウスマーン版)。イスラームの広がりによって、コーランのテキストに地域差が見られるようになったためである。この結果、読誦と口承を基本とするコーランだが、7世紀半ばには、すでに「文字」を獲得していた(その後も、長らく文字のコーランは、口承を補うためのいわば備忘録だったが)。
 以上の二つの特徴から言えることは何であろうか。まず、音楽を忌避する「建前」とは別に、「音楽」(とくに歌)の特長をコーランがうまく利用していることである。歌は共同体内部の仲間意識・一体感を高揚させ(グルーミング機能)、また共同体に真実として伝わる伝承・伝説を共有するのに極めて有効に作用するが、コーランはこの機能を受け継いでいる。しかし同時に、歌謡曲の歌詞や小説とは違って、宗教テキストとして、自由な解釈は好ましくない。このため“コーラン”をアラビア語に限定することで意味の拡散を防ぎ、またウラマー以外の解釈を禁じているのである(イジュティハードの門は閉じられた)。
 イスラームが「世界宗教」としてウンマ(イスラーム共同体)を形成して行く過程では、民族や地域など特定の集団を越えていく必要があった。このために、コーランは「音楽」の利用を禁じながら、実際にはその機能をプラクティカルにうまく利用してきた。しかし、そうだからこそ、「音楽」が持つ力の怖さをよく分かって、音楽を忌避しているのではないか。イスラーム法学者の説明は全く異なる理論だろうと断った上で、西尾先生は以上のように結論された。また、コーランの解釈を行うウラマーが常に誠実なのかどうか、さらに、普遍的な力を持った音楽が同時に持つ「排他性」(歌わない人を排除する=世界をつなぐと同時に、閉じる)の特徴が、現在問題として現れているのではないか。あらゆる宗教テキストに共通の特徴とした上で、以上の問題を提起された。
 講演中に西尾先生はコーランの朗唱やアザーンの音声、さらに若者の信仰心を喚起するためにマレーシア政府が人気歌手を使って製作した楽曲を流され、まさに音にあふれた講演会となった。

(CISMOR特別研究員 中谷 直司)
入場無料、事前申込不要 お問合わせ: 075-251-3972(CISMOR事務局)
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