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カバラーとスーフィズム ー現代におけるユダヤ教とイスラームの秘儀的信仰と実践

公開講演会

第8回ユダヤ学会議

カバラーとスーフィズム ー現代におけるユダヤ教とイスラームの秘儀的信仰と実践

日時: 2015年02月28日(土)13:00〜15:00
2015年03月01日(日)13:00〜15:00
場所: 同志社大学今出川キャンパス 神学館3階礼拝堂
(京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車3番出口徒歩1分)
講師: 【2/28】ボアズ・フス教授(ベングリオン大学)
【3/1】マーク・セジウィック教授(オーフス大学)
要旨:
【2/28】
 本講演でHuss氏は、カバラー(ヘブライ語で「受け取ること/受け取ったもの」)の概要を述べた後、近代には周辺的存在となっていたカバラーが20世紀後半以降、前例の無い興隆を示すことを紹介し、その興隆がニューエイジとポストモダンの文脈にあると説明された。
 カバラーとは、古代ユダヤの秘儀として12世紀から継承された伝承やテキスト、実践などである。教義の中心の「神智学(Theosophy)」は、ヘブライ語の原義で「数」を意味する「セフィロート(神の属性、神の流出)」の理論である。カバラーの教義では神の世界は10のセフィロートから構成され、それらが衝突し合う時、混沌と苦難が世界を支配する。人間はセフィロートと神の世界に影響を与え、その影響が人間世界にも反映する(テウルギー(Theurgy))。人間、特にユダヤ成人男性の主な目標は神の世界の修復であり、その方法はユダヤの宗教的教義や儀礼的なやり方に従うことである。この観点からカバラーは保守的なイデオロギーと見なせる。
 最初のカバラー的サークルは12世紀の南仏や13世紀初期のスペインで出現した。その起源についてはグノーシスやタルムード時代からのユダヤ思想の精巧化にあるなどと主張され、新プラトン主義やキリスト教の影響も指摘される。13世紀末のスペインで「ゾハル(光輝の書)」が記され、中心的な書物となっていった。1492年のスペインからのユダヤ人追放でカバラーが様々な地域に伝わり、ルリアが体系を発展させた(ルリア・カバラー)。17−18世紀、カバラーは世界中に拡大し、18世紀にはユダヤ教の規範的な存在となった。18世紀にはまた、ハシディズムなどのカバラーの主要な運動や、ユダヤ啓蒙主義(ハスカラー)が起こる。カバラーやハシディズムを拒否するハスカラーの影響によって、それらはユダヤ文化から姿を消したが、ハスカラーを拒否した東欧ユダヤ人共同体でその権威は保持された。
 その後、カバラー近代化の動きがあった。アシュラグがその代表で、ルリア・カバラーと共産主義を合わせた教義を打ち立て、現代のカバラー的活動の起源となった。また、新ロマン主義、民族主義を採用したユダヤ人サークルは、カバラー、ハシディズムをユダヤ民族史における活力と評価した(M. ブーバー、G. ショーレム)。近代化の努力にも関わらず、カバラーは周辺的存在となり、消滅しつつあるという認識が大勢だった。ところが20世紀後半以降関心が高まり、現在も継続する。何百ものカバラー、ハシディズムの形態が、ハイカルチャー、サブカルチャーにおける様々な領域に存在する。これらネオ・カバラーの特徴とは、多様性、折衷主義(混交)、ユダヤ人に限定されない成員から構成される
点、カバラーの伝統を継承しながらも、その「大きな物語」に関心を示さず、また、ユダヤの法に必ずしも結びつくものではない点、カバラーの心理学的側面や治癒力、個人の霊的安寧など実践的側面を重視する点などである。顕著であるのは資本主義の体制に取り入れられている点であり、商業化が非常に目立つ。また、ニューエイジ的な主題や実践(瞑想、仏教、ヨガなど)を取り込む。
 このようなネオ・カバラーについてHuss氏は、それがニューエイジ文化の興隆と同様、ポスト・モダンの枠組みで理解されるべきだと説明した。それは西洋近代の大きな物語の弱体化と関連するものであり、例えばイスラエルでの関心の高まりは、1970年代のシオニズム、世俗的な社会主義のイデオロギーの衰退などと関連があるのではないかと述べられた。

【3/1】
Sedgwick氏は、「神秘主義(mysticism)」という用語のイスラームの文脈における意味を確認し、それから古典的な意味におけるスーフィズムについて紹介、続いて、ネオ・スーフィズムについて、その起源、発展、現在の様態を説明された。
「神秘主義」という語について、1670-80年代、イスラームに最初に適用されたその基本的な意味のひとつは、個人の魂と神との間の分離を克服する様々な種類の実践である。この種の神秘主義の神学と哲学は、究極的には偽ディオニュソス・アレアパギタにその源を持ち、神秘神学に関して彼は新プラトン主義の伝統に多くを負っているが、新プラトン主義はイスラームにも見出される。スーフィズムの理論的枠組みは「流出」などを主張する新プラトン主義であるが、すべてのスーフィがこのような抽象に関心があった訳ではない。古典的なスーフィズムの基本的な特徴とは、神秘主義、イスラーム、禁欲主義、群居性、聖者崇拝の5つと言い得る。
古典的なスーフィズムが出現したのは9世紀で、今日のイラン、イラクがその地域的発端である。スーフィの実践や神学にはクルアーンやハディースに根拠が無いようなものもあった。初期においては少数派の関心だったが、スーフィズムは宗教的にも政治的にも主流派であった。しかし、19世紀に、ヨーロッパ列強の支配を免れたムスリムの国々は改革計画を発足させたが、その際に宗教的主流派は政治的主流派に取って替わられ、スーフィズムは発展に対する障害と見なされた。1950年には、スーフィズムは新しいエリートから無視され、宗教改革者からは攻撃された。しかしながらイラン革命が示したように、イスラームは重要ではないと合理化されなかった。イスラームの再燃は、最初は政治で最も明白だったが、社会においても明らかになった。近代的なスーフィズムは、元社会主義者やPh. Dなどを多く抱えているなどの特徴を持っていたが、基本的に古典的なスーフィズムの5つの特徴を備える。
ネオ・スーフィズムは本質的に越境的、折衷的、混交的なものである。ネオ・スーフィズムが展開した最初の越境的空間はペルシャ語を知り、インドで過ごした西洋人が居住した西洋的イスラームだった。18世紀後半にこの空間を伸長させたのは、永遠に続く宗教形態としてのスーフィズム理解でる。その代表はW. ジョーンズで、1789年の彼の見解は二つの点で重要である。まず彼は、スーフィズムをイランの「原始時代の宗教」で、ペルシア人とヒンズー教徒によって発展され、古代ギリシアに伝えられたものとして、ペレニアルな宗教と見なした。次は、彼がスーフィズムの本質を、有神論(Theism)として知られる宗教システムとほぼ同一の、縮減された唯一神教と見なした点である。
ネオ・スーフィの集団は1911年にパリでI.アグーリによって、他の新しい集団が第一次大戦後のヨーロッパで設立された。その大部分は、西洋的イスラームという越境的空間の居住者だった。それらは非常に多様で、古典的なスーフィズムの5つの特徴を必ずしも満たすものではなかった。これらの集団は第二次大戦を生き延びて1960年代から70年代に拡大し、新しい霊的なものとして拡がって行った。1970年代、合衆国は多くのネオ・スーフィ教団の起源の地であり、1980年代までにネオ・スーフィズムは南アメリカを含む大部分の西洋世界に拡がった。移動や通信の手段が発展している現在、越境する古典的特徴を備えたスーフィズムと、元来越境的なネオ・スーフィズムとの接触は不可避であり、それらの関係は今後興味深い。
(同志社大学研究開発推進機構助手 有期研究員 北村徹)
※英語講演・逐次通訳あり
※入場無料・事前申込不要

【主催】同志社大学一神教学際研究センター
  同志社大学神学部・神学研究科
20150228プログラム Dr. Boaz Huss
20150301プログラム Dr. Mark Sedgwick