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コンゴと中央アフリカにおける解放戦争とエイズ問題 ―その宗教的背景と国際協力の課題―

公開講演会

神学部神学研究科・一神教学際研究センター共催公開講演会

コンゴと中央アフリカにおける解放戦争とエイズ問題 ―その宗教的背景と国際協力の課題―

日時: 2008年09月27日(土)午後2時~4時
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: フェリックス・U・カプトゥ(日本文化研究センター客員研究員、元ルブンバシ(­コンゴ)大学教授)
要旨:
ヨーロッパは12世紀以降、かつて暗黒の大陸と呼んだアフリカへの進出を開始した。諸国は現在のモロッコ、ギニアなどを次々と発見、開拓し、会議を重ねた結果アフリカを分割、その行政区画を決定した。その結果コンゴは、1885年に、ベルギー王レオポルド二世の統治下に置かれることになった。
レオポルド二世の統治下、コンゴでは多くの住民がゴム栽培の労働にかり出された。それによって死亡した人の数は一万人をくだらず、生き残った人たちの中にも、ゴムの収穫が少ないことの罰として手足を切断されるなどの被害を受けた労働者がいた。その間、労働に従事していない幼い子どもはミッション・スクールに通ってはいたが、彼らは奴隷として人々を買いにアフリカに来る諸外国に抗戦するため、将来は兵隊になることを望んだのである。
コンゴを植民地化するためのベルギーの大義は、公式には、精霊信仰や偶像崇拝などに没頭するコンゴを含めたアフリカ大陸へのキリスト教の宣教である。しかし以上からうかがえるように、その実際の理由は、主としてゴム栽培とその収穫であり、その他にもコバルトなどの鉱産資源の採掘や森林の伐採などに住民を従事させた。
そのような歴史を持ったコンゴが、20世紀、ベルギー領からの独立を果たした後に向き合ったのは、悲惨な国内状況であった。当時、教育を受けていた人は国の1割にも満たず、大多数の人は自立、就業する術を持っていなかった。また、独立した時期も悪かった。東西冷戦の渦中にあった当時、コンゴは外国からの支援を受けるにあたって、東西陣営の間での立ち回りにより気を揉まざるをえなかった。内政に関しても、1960年代から独裁政権が相次いだことによって、ベルギー領時代の多くの社会問題が据え置きにされてしまった。
その最たる例は女性の教育事情であり、特にそれはHIV問題として顕現した。具体的な性教育を受けていない、貧しい女性の一部は売春を行なうことになり、更に職を求めてソマリアやエチオピア、またナミビアやアンゴラへと移住を繰り返したことによって、HIVがコンゴ周辺にまたがった深刻な問題として浮上し始めたのである。
氏は講演の最後に、コンゴと日本が教育機関を通した交流関係を築くことを、近い将来の展望として述べた。講演の内容自体は勿論だが、講演のテーマが実に多岐に渡るものであったということ、また氏の専門が宗教やジェンダーを含む幅広いものであるということが、今コンゴに、世界が協力して取り組むべき多くの問題が存在しているという現実を、何よりも直接に示しているように思われた。

(同志社大学神学研究科博士後期課程 高尾賢一郎)
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