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ビュクリュカレ:赤い河の畔のヒッタイト都市

公開講演会

公開講演会

ビュクリュカレ:赤い河の畔のヒッタイト都市

日時: 2021年04月17日(土)15:00-16:25
場所: オンライン(zoom platform)
講師: 松村公仁
(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所研究員
トルコ共和国、アーヒー・エヴラン大学准教授
要旨:
ビュクリュカレ遺跡はクズルウルマック河西岸に位置し、城塞部とその西に広がる都市部からなる紀元前2千年紀の都市遺跡です。2009年に始まる発掘調査で何層にも重なるヒッタイト時代の文化層とそれに先立つメソポタミアとの交易システムが確立したアッシリア商業植民地時代の交易都市と王宮が明らかとなってきました。発掘ではヒッタイト語、さらにフリ語の楔形粘土板文書、ヒッタイト王印が押された印影などが出土しており、ヒッタイト王家とも強い結びつきを持つ重要な都市の一つであったことを示しています。この講演では紀元前2千年紀におけるアナトリア(今日のトルコ共和国)の文化的、国際的な結びつきについて様々な側面から解説します。
2021年4月17日(土)、公開講演会「ビュクリュカレ:赤い河の畔のヒッタイト都市」がWeb会議システムで開催されました。講師は、松村公仁先生((公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所研究員/アーヒー・エヴラン大学准教授)で、現在のトルコ共和国中央部に位置するビュクリュカレ遺跡に注目されながら、前2千年紀におけるアナトリアの文化的、国際的な結びつきについて様々な側面から解説を頂きました。ビュクリュカレ遺跡はクズルウルマック河西岸に位置し、城塞部とその西に広がる都市部からなる前2千年紀の都市遺跡で、2009年以来の発掘調査によって、ヒッタイト時代の文化層と、それに先立つアッシリア商業植民地時代の交易都市と王宮が明らかとなってきました。ヒッタイト語やフリ語の楔形粘土板文書、ヒッタイト王印が押された印影などが出土し、ビュクリュカレ遺跡がヒッタイト王家とも強い結びつきを持つ重要な都市の一つであったことが示されています。講演会には約90名の参加者があり、活発な質疑応答が行われました。貴重なお話を頂いた松村先生およびご参加いただいた皆さまに厚く御礼を申し上げます。