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フランス社会の中のカトリシズム―「復興」の背景と内実を考える―

公開講演会

フランス社会の中のカトリシズム―「復興」の背景と内実を考える―
Le catholicisme dans la société française : Exploration d'un réveil

日時: 2017年03月03日(金)17:00-19:00
場所: 同志社大学今出川キャンパス 神学館チャペル
(京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車3番出口徒歩3分)
講師: フィリップ・ポルティエ(高等研究実習院・教授、フランス)
要旨:
 1970年代の後半に中世史家ジャン・ドリュモーは、キリスト教の刷新は可能ではないかと述べた。これに対し、歴史家ミシェル・ド・セルトーは「キリスト教の死の美しさ」について語り、破裂し拡散したキリスト教は、フォークロア化しつつあり、もはや文明の廃墟でしかなく、そのうちカトリックを理解する者はいなくなるのではないかとの見解を示した。このセルトーのアプローチは2000年代初頭に再び取り上げられ、社会学者のダニエル・エルヴュー=レジェは、教会は信者数や信仰の危機に直面しているだけではなく、西洋人がキリスト教文化からの脱出に直面していると論じた。そして、キリスト教文明に由来する規範やそれに基づく生活が今日では消えつつあるとした。一方で、カトリックの普遍性の体系が未だ根強く残っていることを示す同性婚を認める法案に対するデモなども起きている。このような社会的背景を踏まえ、本講演ではカトリックの消滅か抵抗かという二者択一的な話ではなく、それをどう乗り越えていくのかという点について論じられた。
 現在のフランスにおけるカトリックを取り巻く状況は、中世以来農村や家族の周りに構築されてきた有機的な世界から脱出した結果であるという。かつてのカトリックは、信者や社会を包括し、規範性を押しつけてきたが、今日のカトリシズムはより主観的かつ再帰的になっており、様々な社会的ファクターの解釈に委ねられているという。
 本講演の前半でポルティエ氏は、包括的な宗教の消滅について取り上げた。ドリュモーによれば、カトリックには位階制に基づく体制があり、中心と周辺とが四散分裂した構図があったという。このような構図は今日にも当てはまり、例えば宗教が政治に与える影響力が地方と都市との間で異なるという点に見ることができる。ポルティエ氏によると、1960年代以降、フランス社会が第二の近代の個人主義の秩序に入ることで、国家と宗教間の機能分化や市民社会と宗教社会の間の機能分化が拡大していったといい、このような国家と宗教間の機能分化が生じたのは、「法の生産」と「法の流通の有り方」に起因するという。そして、既存の価値や規範、そして宗教を司法のもとに従属させるようになったことが、カトリック文化が解体していることの表れととれるとの見解を示した。
 このようなカトリシズムの衰退は、カトリック信者の間でも確認でき、自身がカトリック教会に所属していると考える者は年々減少傾向にあるとの統計結果が出ている。これは何も信仰に特化した話ではなく、思考の面でも見られるといい、それまで継承されてきた教会の教えや規範に賛意を示さない信者も増えている。このような事例から、聖職者の言葉に縛られてきた農村文明が終焉を迎えたと論ずることができるが、ポルティエ氏は宗教的空白という観念に全てを帰結するのは安易であると指摘した。そして、現在起こっているのは、包括的な宗教が崩れ去ったということではなく、再帰的なメカニズムが駆動されている状況であるとした。そして、外在的ないし内在的要因(第二バチカン公会議)によりカトリックが変化していることを、カトリック信者自身の行動(内側からのカトリシズムへの動員)や政治家による宗教と関連したパフォーマンス(外側への影響力)なども考えて捉える必要性があると述べた。
 最後にポルティエ氏は、現在の状況は新しいカトリック信者の体制が形成されているとした。フランスにおけるカトリシズムは、かつてのような押し付けではなく、再帰的な状況になっており、個人化・不確実化の時代に個人を安定させるものとして宗教が個人に慰めや励ましを与え、公共政策を下支えしていると理解すべきであろう。
(CISMOR特別研究員 川本悠紀子)
※入場無料・事前申込不要
【主催】同志社大学一神教学際研究センター
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
20170303ポスター
20170303講演会プログラム