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中東における宗教機関の役割と管理

公開講演会

中東における宗教機関の役割と管理
Governance of Religious Institutions in the Middle East: The role of Innovation

日時: 2015年09月24日(木)13:00-14:30
場所: 同志社大学今出川キャンパス同志社礼拝堂
(京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車3番出口徒歩3分)
講師: ターレク・ハーテム (カイロ・アメリカン大学経営学部教授)
要旨:
 Hatem氏によれば、イスラームという言葉は平安を意味する「サラーム」に由来する。イスラームは全ての民族間の平和を説いており、その教えの一つは人々が互いに理解し合い、平和で敬意に満ちた方法で見解を交換するためにある。昨今の戦争やテロはイスラームの本質やクルアーンの教えとは全く相容れない。またイスラームとはムハンマドの宗教ではなく神の宗教であり、全ての人々や信仰者に送られたものである。それはムハンマドより遥か以前からのものであり、神が遣わした全ての使徒を通じて神に服従することなのである。それぞれの時代で預言者達は忠実に役割を果たしたが、人々はその教えを守り続けられず、神の教えと矛盾する考えや信条を混入させている。そのような逸脱の最大の理由は人々や諸制度のガバナンスの成果と諸制度の運営方法に帰する。
 ムスリムの間に広まる、世俗化や宗教改革を拒否する傾向は、クルアーンとハディースによってイスラームを社会の明確な指針として位置付けているという事実と、その制度がどのように機能し、効果的に展開するかに起因するものである。預言者から直接教えられていたクルアーンの解釈や教えは、預言者の没後は口承され、ハディースとして編纂された。それはクルアーンに次ぐ法源であり、クルアーンとその注解を理解する重要なツールとみなされるが、時代を経るにつれ多くのムスリムや学者達が、クルアーンに立ち戻らずますますハディースに注釈や指針の根拠を求めるようになった結果、解釈の不毛な相違と矛盾する指針が生み出され、社会や諸制度に影響している。それゆえハディースからクルアーンと一致しない要素を取り除くべきである。
 人間が神とつながることにおいて仲介者を必要としないイスラームは聖職者も宗教的権威者も不在である。クルアーンは生活のあらゆる側面に指針を提供しているが、ムスリム諸国では反対に多くの宗教的権威者やグループが勝手な解釈で社会を規制しようとしている。宗教学者や宗教制度の役割は社会の弱者を教え導く努力に端を発するが、説教の規定からコミュニティの指導権、ファトワーの発行へと拡大していった。
 さらに歴史を通して、人間の手による宗教制度は政治制度による支配を免れえず、宗教的権威者達は自らの正当性を得るために政治的権力者を求めるようになった。こうした政治制度と宗教的権威との間の協調関係は社会における混乱を生み出し、その制度的な機能やガバナンスが十分に発揮されていない。
 イスラームの宗教制度のガバナンスは革新を必要としているが、宗教制度の運営方法に対する新しいアプローチの根底として、知識人や宗教学者の関与と、現代に適合可能なクルアーンの新しい理解が含まれなければならない。ムスリム世界は団結してクルアーンの解釈や教えを統合するために既存の宗教的権威の改革を行い、個別的な権威の集権化を構築しなければならない。こうした宗教的権威は、様々な分野の学者達が宗教に関する知識を自然科学や社会科学と結びつけることで成り立つ。宗教制度やその職員については、イスラームの適切な知識を持っているかどうか真摯で偏らない能力面の評価が必要になる。キャパシティ・ビルディングは継続的で長期的な発展の過程となり、それには全ての利害関係者が含まれ、また個人、制度、社会のレベルにおける努力が必須である。
 宗教は、コミュニティの一員かつ一個人である我々の生活を正し、その質を改善するために存在する。非難されるべきは我々の宗教の教えの解釈や宗教制度のガバナンスの実施方法であり、宗教それ自体ではないと述べ、氏は講演を締めくくった。
(CISMOR特別研究員 朝香知己)
 
※英語講演・逐次通訳あり
※入場無料・事前申込不要

【主催】
同志社大学一神教学際研究センター
科研基盤研究(A)「変革期のイスラーム社会における宗教の新たな課題と役割に関する調査・研究(代表:塩尻和子)」
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
20150924ポスター
20150924プログラム