公開講演会

一神教学際研究センター 公開講演会

中東紛争の根源

日時: 2006年06月17日(土)午後2時~4時
場所: 同志社大学 今出川キャンパス 神学館 礼拝堂
講師: アッザーム・タミーミー(イスラーム政治思想研究所(ロンドン)所長)
要旨:
ユダヤ人は19世紀後半以来、ロシアやヨーロッパ各地で抑圧・迫害を受け、1933年のヒトラー政権成立から1945年の第二次世界大戦終結までは、ナチスによる大迫害に遭った。19世紀後半から始まったシオニズム運動はユダヤ人のパレスティナへの移住を推し進め、1944年から1947年にかけてはイルグンなどのユダヤ人武装勢力による武力行使を含めた様々な手段を駆使し、パレスティナの信託統治を行っていたイギリスをパレスティナからの撤退に追い込んだ。1948年5月14日にはイスラエル建国が宣言され、ユダヤ人国家が確立された。1948年のイスラエル建国の時にパレスティナを追われたパレスティナ人(84万6000人)であり、1967年の第三次中東戦争においては、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区なども占領され、より多くのパレスティナ人が住み慣れた土地を追われた。彼らは父祖の地にもどることを求めつづけてきた。また、イスラエル統治下に残ったパレスティナ人も困難な生活をつづけ、1987年には「インティファーダ」とよばれる抵抗運動が始まった。その後、PLO(パレスティナ解放機構)はイスラエルを承認し、1995年、イスラエルとのあいだにオスロ合意を締結した。これにより、ヨルダン川西岸地区とガザ地区におけるパレスティナ自治政府の部分的自治が実現したが、PLOとイスラエルのあいだで交渉が妥結せず、パレスティナ独立国家樹立には至らなかった。
2000年、アリエル・シャロンのアル・アクサ・モスク訪問強行を境に、第二次インティファーダが勃発し、シャロンの首相就任に至り、パレスティナ-イスラエルの衝突はいよいよ激しくなり、「ロード・マップ」と呼ばれたパレスティナ独立国家樹立のためのプランは実現から遠のいていった。イスラエル軍によるパレスティナ自治区への侵攻およびアハマド・ヤシン師などハマス指導者らの暗殺が相次ぐようになった。そうした中、2002年にはジェニンでの虐殺が起き、2004年にはPLOのアラファト議長が死去した。シャロン政権がパレスティナ側に対してとった政策は、イスラエル側とパレスティナ側の接触を制限する分離壁の建設、ガザ地区からの一方的な撤退、などである。
パレスティナ人は犠牲者なのであって、犯罪者ではない。イスラエルはパレスティナ人を抑圧している。この状況下で、イスラエルに妥協し、腐敗し、内紛に終始するPLOは、パレスティナ人全ての代表たりえなくなっている。パレスティナ人はエルサレムを奪回し、難民が帰還できるようにせねばならない。2005 年、選挙で選出されたハマスこそ、PLOに代わって、真にパレスティナ人を代表するようになりつつある。ハマスは、1)ヨルダン川西岸地区とガザ地区からのイスラエル占領軍の撤退、2)ヨルダン川西岸地区とガザ地区に違法に設置されたユダヤ人入植地の撤去、3)イスラエルの監獄にいる全てのパレスティナ人の解放、と引き換えにフドナ(アラビア語で“休戦”)をイスラエルに対して提案する。休戦のモデルとして、北アイルランドや南アフリカのケースが参考となるであろう。
ハマスは、パレスティナの人々が初めて自由に選出した代表である。ハマスは、パレスティナの人々の尊厳と帰還の権利、植民地主義からの解放を目ざしつづける。汚職に満ちたファタハ、PLOとは対照的に、ハマスはクリーンで透明性があり、説明責任を果たす行政サーヴィスを行ってきた。ハマスの主張はイスラームに則ったものである。ハマスは、今後混乱を収拾し、独立した司法を確立して、法の統治と法の前の平等の原則を確立する。また、アラブおよびムスリムに対して欧米の恫喝に屈しないように求める。ハマスはイスラエルの監獄にいるパレスティナ人9000人が解放されることを最優先で要求する。ハマスは、パレスティナ人のための治安機関を再建する。今後、ハマスは困難な状況を克服し、その政治目標を実現していく。

(CISMOR奨励研究員・神学研究科博士後期課程 塩崎悠輝)
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