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動物・妖怪の文化比較─日本文化と一神教文化をめぐって

公開講演会

テュービンゲン大学同志社日本研究センター共催 公開講演会

動物・妖怪の文化比較─日本文化と一神教文化をめぐって

日時: 2015年01月29日(木)16:00-18:00
場所: 今出川キャンパス クラーク記念館2階チャペル
講師: ミヒャエル・ヴァフトゥカ(テュービンゲン大学同志社日本研究センター所長)
小原克博(同志社大学教授、一神教学際研究センター長)
要旨:
 まずWachutka氏が講演を行った。現代日本の言説において「妖怪」という言葉は、様々な神秘的な現象を表現する包括的な言葉として使われる。
 古代から日本の宗教的、世俗的言説には、説明不可能な現象と神秘的な生き物がよく現れてきたが、鎌倉時代までは妖怪自体よりもそれに脅かされる人々や、超自然的なものを鎮圧することに強調があった。
 江戸時代には、百科事典的言説の一部として『和漢三才図会』などが現われた一方、口述の娯楽だった百物語怪談会が大衆の人気を得て語りが採集、出版され、国中に広まった。鳥山石燕は百科事典的作品を著す一方、読者と出版社の要求に応えて妖怪を考案もした。
 明治時代には、日本が近代国民国家になるために超自然的信仰を理性的に説明し、取り除くために、井上円了が妖怪学を起こした。例えばこっくりの流行に対して、井上はそれを人間の心理との関係で語り、迷信と非難した。
 20世紀に入ると、柳田國男が民俗学を確立し、文化的なアプローチをとった。柳田は妖怪を迷信として否定するのではなく、消えつつある民間信仰の体系の名残りとして収集、保存したが、それは生ける神秘としての妖怪を過去の死んだ遺物に変えることになった。1930~40年代にかけ、柳田は視点を天狗などの周縁的存在から、祖先崇拝、稲作、定住を特徴とする均質でまとまった主流の人達へと移した。それは各地の超自然に関する人々の捉え方を再定義し、日本人全員が共通して祖先に対して持つ心持の産物とした。この結果、国家が国民のアイデンティティの本質を定義しようというレトリックへと取り込まれ、象徴的な形で天皇を生き神とすることと繋がった。
 そして経済が急速に発展、工業化した戦後には、妖怪は消えつつある過去の遺物としてに加え、無垢であった真の(戦前の)日本を思い起こさせるものすなわちノスタルジーとして想像される文化的過去へのアクセス手段となった。そして妖怪は飼いならされ、大衆文化の中で消費されるようになった。 
 妖怪に関する言説の伝承の変化の例として、天井舐めの例では、妖怪が伝統と個々人の創造性のやりとりによって生み出され、変化していくことがわかる。また人面樹の由来を辿ると、日本における妖怪の歴史が常に国や文化を越える特徴を持っていたことがわかる。
 英語の妖怪monstersの語源はラテン語のmonstrareで「あらわすもの」という意味があるため、妖怪はそれ自体のためだけではなく何かを表すために存在すると言える。そして日本においても妖怪は文化的な投影の中で重要な役割を持つと述べた。
 続いて小原氏が講演を行った。かつて宗教とはまさに動物を捧げる行為だった。中村生雄は、犠牲獣の破壊を通して神と交流する一神教的な「供犠の文化」と、それを捧げた後に共に食べることで神と交流する多神教的な「供養の文化」に分類する。
 西欧の宗教学は、宗教を人間と動物を分けるものと規定してきた結果、人間をより高みに挙げる役割を果たした。しかし近年の遺伝学などにより人間の絶対性が相対化される中、人間と動物の隔絶に寄与してきた宗教研究の在り方も再考の必要がある。
 一神教では、ユダヤ教は伝統的に神殿で動物を捧げていたが、捕囚や神殿崩壊の経験を経てトーラーを中心とする言葉の宗教になった。キリスト教はユダヤ教を意識しつつイエス・キリストの神学的理解から犠牲を捧げない宗教として始まった。またイスラームではマッカ巡礼の最後に犠牲祭が行われる。キリスト教以前の西洋では、ピタゴラス学派などは輪廻転生の考えから動物供犠を否定したが、主流のストア学派は人間だけがロゴスを有するとし動物との違いを強調した。このような中で育まれたキリスト教の動物観は人間と動物の根本的相違、動物供犠の廃止、メタファーとしての動物の利用を特徴とする。
 日本では、東アジア一帯で見られる動物供犠ではなく放生や殺生禁断令が雨乞いにおいて採用された。このような土着的観念に仏教的な輪廻思想と不殺生が重ね合わされ、独特の自然観が形成された。また古代では人間と自然のいのちの根源的つながりが想定され、立春から秋分まで死刑が禁じられたほか、長門向岸寺の鯨鯢過去帳などの動物供養や『鳥獣人物戯画』の動物への繊細で優しい眼差しも見られる。またかつては人間と動物の共生を語る昔話を通して人間の生存が動物の犠牲を必要とすることに痛みと感謝を感じる回路があったが、明治期の近代化、産業化の中で両者のある種の対称性は崩壊し、動物は家畜化され、現在に至っている。
 最後に氏は問題提起として、人間を特権化する近代的「宗教」概念の再考、文化ナショナリズムに陥らない文化比較、人間の「動物性」(身体性)を排除しない人間観・歴史観、近代的な犠牲のシステム(国家、工場畜産)に対する批判的考察の四点を挙げ講演を締めくくった。両氏の講演の後、参加者との質疑応答の時間がもたれ、盛況のうちに終了した。
(CISMOR特別研究員 朝香知己)
※入場無料、事前申込不要
※講演言語:英語・日本語/逐次通訳あり

【主催】同志社大学 一神教学際研究センター(CISMOR)
     テュービンゲン大学同志社日本研究センター(TCJS)
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
プログラム20150129 講演会