公開講演会

第1プロジェクト 公開講演会

変化するエジプトと宗教
Changing Egypt and Religion

日時: 2011年06月11日(土)13:00−15:20
場所: 同志社大学今出川キャンパス 神学館3階 礼拝堂
講師: ワリード マハムード アブデルナーセル閣下
H. E. Dr. Walid Mahmoud Abdelnasser (駐日エジプト・アラブ共和国大使)
要旨:
 今回の講演は駐日エジプト・アラブ共和国大使のアブデルナーセル閣下に、古代エジプトの宗教からイスラーム、現在のエジプトの状況から中東外交などについて幅広い内容の講演をしていただいた。閣下は、政治学や外交の専門的な知識だけでなく、宗教にも造詣が深く、幅広い内容について触れられた。また今回の講演は、1月に起きた革命について振り返るにあたって、エジプトの宗教について考えるという点で重要な意義を持つものとなった。
 古代から、エジプト人にとって宗教は彼らの生活において重要な地位を占めるものであった。古代エジプト社会や精神世界を形成したのは宗教的な力であったことは、ナイル文明の遺跡などからも容易にうかがえる。現在では古代の宗教の姿は見られなくなったが、多くの宗教が存在している。
 今日のエジプトでは人口の約9割がムスリムであり、スンナ派がほとんどを占めている。その他にも様々な宗教を信奉するものがいるが、そのなかでも、マルコによって1世紀に始められ、5世紀にローマから独立したコプト教会は、エジプトの歴史を通して社会に大きな影響力を持ってきた。また、エジプト人口の大半がムスリムとなってからも、コプト教会の社会的な影響力は維持された。しかし、ムスリムもコプト教徒の間に大きな衝突は生まれず、むしろ共通の歴史とエジプト国民であるというアイデンティティーによって平和に共存してきた。
 エジプトの近代化においても、ムスリムとコプト教徒は互いに協力しあって近代のエジプト国家の建設に貢献した。それはイギリスによる支配への抵抗や王制打倒の革命運動においても見られた。しかし、革命後の政治の揺れ動きから、両者間に対立が生じることがあった。特に、パレスチナ問題や、両者の関係にも少なからず影響を与えたといえるだろう。
 1970年以降、サダト政権によって政治の世界へのイスラーム主義が政治の世界に持ち込まれた。ナセルは宗教に対して中立の立場をとってきたが、サダトは左派からの反対に対して政治的バランスを取るために、イスラーム主義派を含む保守派が政治参加できるように方向転換を行った。しかし、サダトの対イスラエル政策などへの不信から、イスラーム主義者たちの反発が起きた。同時に、サダトがイスラーム主義を政治に持ち込んだことに対して、コプト側から寛容政策や多様性を認める政策、そして政治や社会における平等な権利を求める動きが生まれた。1970年代のエジプトの政治的問題が宗教問題にすり替えられ、両者の間の対立が表面化することがしばしば起きた。
 1月25日の革命以降、それまでの独裁政権への反発・反動から、表現や対話の自由が求められるようになったことは明らかである。エジプトの人々の間で市民権に対する意識の高揚が見られ、ムスリムやコプト教徒における様々な立場からの議論も活発になされるようになった。特に、エジプトの宗教に関する重要な憲法である第二条についての議論が起こっている。エジプト憲法第二条ではイスラームが公式の宗教であること、新法はシャリーアに則って制定されるものと定められ、同時に宗教に基づく政党設立の禁止が記されている。しかし、現在この法律を巡る議論がなされており、9月の議会選挙と11月の大統領選挙の結果が鍵を握っているといえる。
 革命以降のエジプト社会において、個人の宗教的帰属に関係なく、エジプト人としての共通した意識から、それぞれの共同体を守り、治安を維持するという光景が各地で見られた。こうした草の根の意識改革は、エジプト人であるという意識だけでなく、個人の信奉する宗教の持つ価値観に起因するものである。
 革命後のエジプトは現在復興に向けて歩んでいる最中であり、失業や食料価格の高騰、低賃金など、問題は山積みとなっている。革命の中心を担った人々が宗教の違いを超えて協力しあった精神を忘れることなく、今後の新しいエジプトを築いていくことができることを願うばかりである。

(CISMORリサーチアシスタント 山下壮起)
※英語講演:同時通訳あり/入場無料
【共催】同志社大学 神学部・神学研究科
講演会プログラム