同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

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第4回国際会議 宗教における価値

公開講演会

第4回国際会議 宗教における価値

日時: 2015年09月13日(日)13:00-15:30
場所: 同志社大学烏丸キャンパス志高館SK112教室
(京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車3番出口を北へ200m〈徒歩10分〉)
講師: 小原 克博(同志社大学)
アマル・レファット・ユーセフ(カイロ大学)
モハメッド・ハワリー(アイン・シャムス大学)

要旨:
 小原氏によれば、最近の国際的ニュースでconscienceの語が頻出した例として、一つはトルコの海岸にシリア難民の子供の遺体が漂着した事件がある。この悲痛な現実に初めて個々人の良心が傷み、世界に共有される中で事態は変化しているが、価値の対立も生じている。もう一つはケンタッキー州の女性が自らのキリスト教信仰、自らの良心に基づいて連邦最高裁が認める同性カップルへの婚姻証明書の発行を拒否した事件である。これらの例には良心によって人々が一方向に進むわけではなく、価値の対立が見出せる。
 「良心」と訳されるconscienceの語源的意味は「共に知る」で善悪の概念は含まれない。現代は簡単に善悪が色分けされ敵味方が峻別されることで、テロやそれへの報復による暴力の連鎖が止まらない。だからこそ原義に立ち帰り、共に知り考える過程が重要である。西洋の伝統では共に知る相手とは自己の内面、他者、神だったが、18世紀啓蒙主義以降は神無しに知ることも重視され、リベラリズムにはこの面もある。他方、ムスリム移民の多くは神無しに何かを
知ることは考えない。神と共にある自由と神からの自由の二つの価値観の対立とも言える。氏は「良心」を拡張する必要があるとし、イスラーム的な価値と対話し得る良心の構築、対話を包摂した価値の多元主義、善悪を早々に決めず議論するための懐の深い良心の育成を提案した。
 Youssef氏によれば、近年、日本のアニメはエジプトでもよく観られている。以前はカートゥーン世代で、週一度一時間しか観られず、アメリカの影響があった。その内容は現代のアニメと異なり非常に穏やかだった。また知識や価値観、情報を本から得た世代でもあった。本の内容に感化され行動をすることで、政府を動かし、時に新しい歴史も作られた。しかし今の学生は本を読むよりもアニメをよく見ている。
 若者世代へのアンケートによれば、アニメに見られる宗教像に対しては、それよりも日本の想像力や世界観への関心を重視しているという。アニメを好きになったきっかけは、日本の文化や社会の特性などがうまく紹介されている点、主人公が諦めないことや友情の重視、ストーリーの深さや意外性、人間の苦しみの写実的描写などが挙げられた。また覚えているアニメの名言の中には暴力的な内容もあった。アニメは将来的に我々の世界が暴力的に振舞う一つの
理由となり得ると同時に社会で知識や価値観を深めるのに役立つと考えらえる。マイナス面を除去して良心の教育、対話を可能にするアニメの活用を提案した。
 Hawary氏によれば、三つの一神教は預言者や唯一の神などだけではなく、不倫(adultery)に対する見方にも類似点がある。ユダヤ教では聖書は不倫をした者に死刑を定めている。また聖書には婚前交渉を禁じる明確な言及はなく、何の処罰も課さないが、習慣の違反行為とみなされた。キリスト教もいくつかの聖書箇所に基づいて不倫が不道徳で罪とみなす。イスラーム法では不倫は一般に男女共に結婚相手ではない人との性交であり、イスラームは婚前と
婚外の両方の結婚外部の性交を禁じる。
 トーラーは不倫を死刑とするが、有罪判決には人格者である二人の目撃者を必要とする。聖書によれば、既婚男性が未婚女性と関係しても罪とみられない。不倫の罪は既婚・未婚男性が既婚女性と関係することである。キリスト教は結婚外部のどんな性交も禁じ、パウロは不倫をする者は神の国に入れないと述べた。しかしほとんどのキリスト教徒は、既婚者が不倫をしても神によって許され得、結婚が回復され得ると信
じている。多くの文化は不倫を深刻な罪とみなしてきたが、20世紀以降、不倫を禁じる法は議論の的になっていると述べた。
(CISMOR特別研究員 朝香知己)
 
※一部英語講演・逐次通訳あり
※入場無料・事前申込不要

【主催】カイロ大学オリエント研究センター
     同志社大学一神教学際研究センター
     同志社大学良心学研究センター
【共催】 同志社大学神学部・神学研究科