同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

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多文化共生時代における一神教間の相互作用と対話

研究プロジェクト

頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム 総括研究会

多文化共生時代における一神教間の相互作用と対話

日時: 2013年12月14日(土)10:00~17:45
場所: 同志社大学寒梅館6 階大会議室
発表者:
  • 松山洋平(学振特別研究員、東京大学東洋文化研究所特別研究員)
  • 浜本一典(同志社大学神学研究科博士後期課程)
  • 平岡光太郎(同志社大学神学研究科博士後期課程)
  • 神田愛子(同志社大学神学研究科博士後期課程)
コメンテーター:
  • 高木久夫(明治学院大学准教授)
  • 三宅威仁(同志社大学教授)
  • 水谷周(アラブ・イスラーム学院学術顧問、日本ムスリム協会理事)
  • 勝畑冬実(立教大学非常勤講師)
  • 森山央朗(同志社大学准教授)
  • アダ・タガー・コヘン(同志社大学教授)
要旨:
2013年12月14日(土)、研究発表会「多文化共生時代における一神教間の相互作用と対話」が開催された。2011年度秋に採択を受けスタートした「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」は、2014年3月に期間満了により終了する。この研究発表会は、その総括として、CISMORのプロジェクトで派遣され研究を行ってきた若手研究者らが、研究成果を発表し、意見交換を行うために企画された。
 午前のセッションでは「宗教間対話の課題に対するイスラーム学の思想的基盤」というテーマのもと松山洋平氏と浜本一典氏が、午後のセッションでは「中世と現代におけるユダヤ思想の課題―イスラームの観点を含めて」というテーマのもと平岡光太郎氏と神田愛子氏が、それぞれ研究発表を行った。また研究発表会の後、小原克博氏(同志社大学教授、CISMORセンター長)の司会で、参加者による討論が行われた。
 以下は若手研究者による研究発表の概要である。

松山洋平
「不信仰の地」における信仰者と不信仰者の境界―マートゥリーディー学派における宗教間対話の神学的基礎」
 現代における宗教間対話の思想的基盤を考察する際、「他者」の位置づけが肝要である。ここでは宗教間対話に有効な見解としてマートゥリーディー学派の信仰論に着目する。イスラームから見た「他者」の一範疇として「不信仰の地」(イスラームの宣教が到達していない土地)や「中間時」(ひとりの預言者の教えが消滅し次の預言者が出現するまでの空白期間)の非ムスリムに焦点を当てる。アシュアリー学派は、造物主は啓示の到達によってのみ知られ、中間時に生きた民はすべての人間が例外なく救われると説き、伝承主義学派は、死後に試練を受け、楽園行きの者と地獄行きの者に振り分けられるとする見解である。どちらも現世では神を信じる義務はないという点で共通している。これに対して、マートゥリーディー学派の最大多数説では、「理性」によって造物主の存在を確認することは理性をもつすべての人間の義務であり、たとえ「不信仰の地」においても、造物主の存在を信じなかった者は救済に与らない。
 しかし、「不信仰の地」の人間は、イスラームの教義を信じずイスラームの法的義務を果たさずとも、造物主への信仰の一点をもって「真の信仰者」として認められる。つまり「不信仰の地」においては、ムスリムと非ムスリムの区別は意味をなさず、一神教徒と多神教徒が区別される。すべての一神教徒は有効な信仰を共有する「信仰者」とされる。「無名のキリスト者」のイスラーム版を見ることができる。ここに宗教間対話の一つの地平を見出すことができる。

浜本一典
「キリスト教とイスラームにおける信教の自由―対話の重要性と合意の可能性」
 世俗的な人権理解において、信教の自由は人間にとって最も根源的な権利とされている。しかし、多くのムスリム諸国は国際人権法の定める信教の自由に反対している。その理由は、背教に関して国際人権法がシャリーアの伝統的解釈に違背していることに加え、信教の自由が相対主義に立脚していることである。
 相対主義に対する警戒心は、キリスト教にも同様に見られる。実際、今日では信教の自由を肯定する諸教派においても、20世紀前半までは否定的な見解が支配的であった。カトリック教会は第二バチカン公会議で信教の自由を認めたが、これは、相対主義の帰結としての信教の自由と、人間の共存のために必要な信教の自由を区別した結果である。プロテスタントにおいても、北米の一部の州を除き、信教の自由は無神論を含意するものとして拒否されてきた。だが、第二次大戦への反省とエキュメニカル運動が流れを変えたのである。
 背教に関して、伝統的なイスラーム法学は、ハディースに基づいてムスリムの背教者に死刑を科してきた。この解釈が現在でも多数説であるが、近代以降、これに反対する者が増えている。その根拠は、クルアーンが説く、信仰における強制の禁止の原則と、敵対的な異教徒と友好的な異教徒を区別するという原則である。これによると、背教者に政治的な悪意がない限り、処刑せず、神の裁きに委ねることになる。
 この新しい解釈が主流になれば、平和的共存のための信教の自由がイスラームにおいても認められることになる。しかし、ムスリムが背教に関して頑なな態度をとる背景には、西洋列強の植民地支配と手を携えてなされたキリスト教の宣教活動に対する反発もある。このような不信感の払拭が、両宗教間の対話における課題の一つである。

平岡光太郎
「マルティン・ブーバーの聖性理解―『民と地のあいだ』を中心に」
 マルティン・ブーバー(1878-1965)の『民と地のあいだ』(Bein ‘am le-artso, 1944)は、当時パレスチナで主流となりつつあった政治シオニズム(ユダヤ人の国民国家創設)の主張に対する代案としてブーバーが提案したものである。
 ブーバーは、一般的なナショナルな考えと、シオンという地名を冠するナショナルの考えを比較して、シオンは「聖なる」民と「聖なる」地の交わりであると言う。彼は、自然の中に生きる部族に見出される原始的な概念として、民と地に関わる聖性を考えた。諸部族一般とイスラエル部族の違いは、神自身が民と地を直接選び、この二つを結ぶ際に聖性を付与することである。ブーバーの主張は、民と地の統一をなす国民国家機構を求めたパレスチナのユダヤ人に対する、聖書的観点からの諫言と見なすことができる。
 ブーバーは、イスラエルの地の獲得の重要性が三段階の議論でなされるとする。第一段階は、その地でなければ、この民が自身の実存に至ることができない。第二段階は、この地においてのみ、自身の業、精神/霊を創生する自由な機能を見つけることができる。第三段階は、再び聖性を受け継ぐためにその民がその地を必要とする。彼は、ハラブ・クックを、第三段階を他の二段階との関係を保ちつつ最も包括的に捉えたと評価する。
 ブーバーは、パレスチナのアラブ人との平和運動グループに関わり、そこにおいてユダヤとパレスチナの二民族一国家論を説いた。ブーバーにとっては、パレスチナの地にユダヤ人国家ができることよりも、聖書以来のユダヤの伝統に従った聖性によって、民と地が結びつくことが重要であった。

神田愛子
「マイモニデスとカラーム―キリスト教神学に対する批判を中心に」
 モーセス・マイモニデス(1138-1204)は、コルドバでラビの子として生まれた。ヨーロッパのキリスト教会を背景にした権力闘争はイベリア半島へも波及し、「レコンキスタ」の影響によりイスラーム勢力とキリスト教勢力の狭間でユダヤ人が翻弄された時期であった。その間、イスラーム王朝の変遷の中にイスラームの神学的かつ思想的対立が絡んでおり、その背景にキリスト教の護教神学があると彼は指摘している。
 アラビア語で「神学」を意味する「カラーム」(kalām)の語源は、ギリシア語の「ロゴス」に由来するが、ここから派生した「ムタカッリム」は、護教的な論説を行う学者を指すようになった。マイモニデスは、カラームは論証に基づかず、まず結論ありきの議論であると批判している。
 マイモニデスは、キリスト教に対して非常に批判的であった。彼は『迷える者の手引き』(Dalālat al-hāʾirīn)第1部50章で、「もし、誰かが神は唯一であると信じ、しかしある数の本質的偶有を持つとするならば、その者は口では神は唯一と言いながら、思いの内では神は多くあると信じているのである」とし、キリスト教の三位一体説に否定的見解を述べている。
 イスラーム神学における神の唯一性の概念とこの概念に負うものの議論に関して、ユダヤ教徒の中でもゲオニームやカライ派はムウタズィラ派が採用した見解をある点では負うようになったが、それはムウタズィラ派の見解を論証により証明されたものと見なしたからだとマイモニデスは論じている。彼は『手引き』第1部71章で「イスラーム教徒のすべての言明は、すべて哲学者の見解に対抗し、彼らの言明を否定しようとしたギリシア人やシリア人の書物から採られた前提によって構築された見解である」と述べ、イスラームのカラームは、すべてキリスト教の護教神学者に源泉をもつと考察している。
 今後の方向として、マンチェスター大学に提出した『イスラーム初期のキリスト教とイスラームの神学対話』と題した修士論文を用い、イスラーム神学に影響を与えたキリスト教の護教論をマイモニデスがどのように受け止め、それが彼のイスラームとキリスト教に対する評価にどう影響したのかにつき研究を深めていきたい。 (CISMORリサーチ・アシスタント 佐藤泰彦)
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