2009年度 第1回研究会

イスラームにおける人権および言論の自由について

日時: 2009年05月23日(土)13:00~17:30
場所: 新島会館 E会議室
発表者:
  • 富田 健次(同志社大学・神学部神学研究科・教授)
  • 中田 考(同志社大学・神学部神学研究科・教授)
コメンテーター:
  • 濱 真一郎(同志社大学・法学部法学研究科・教授)
  • 高木 久夫(明治学院大学・教養教育センター・准教授)
要旨:
「イスラームにおける人権および言論の自由」をテーマに2つの報告が行なわれた。富田氏報告は現代のイスラーム法学者による言説を事例として、イランのシーア派世界と近代西欧における人権、自由などの諸概念についての比較考察を行なうものであった。中田氏報告は政教分離や聖俗二分といった近代西欧から析出された概念の特殊性を補助線に、イスラームにおける宗教、信仰、言論の自由について説明を行なうものであった。
富田氏報告の内容は、現代イランを代表するアーヤトッラー・アーモリー師による言説の整理を中心とした。人権はその前提となる「人間(観)」が重要であるとアーモリー師は説くが、人間は物質と魂(精神)から構成されており、それらの内、人間の本質である精神が優先されるべきであるとする。また自由とは、「神以外のものに従属することからの解放」を意味すると説くが、そうした従属をも選択が可能とする近代西欧の「自由」を人間の道徳的基礎の危機と考える。これらに加えてイスラームと近代西欧との違いについて富田氏は、近代西欧では諸権利を政府や国家に委譲することなく、各人が保持し、政府や国家はそれらが侵犯されないよう保証に努めるのに対し(社会契約説)、イスラームでは諸権利が指導者の保護に委ねられることを指摘した。
中田氏報告の内容は、政治と宗教の分化が特に耳目を集めるシステム分化の観点に着目し、近代西欧から析出された聖俗二分や政教分離といった着想がきわめて特殊なものであると考え、それらをイスラームの世界観に移行して論じることの不可能性の説明を中心とした。具体的には、ローマ帝国とキリスト教会という2つの集権的官僚組織を受け継いだ西欧近代に対して、それを有さないイスラームにおいては、「俗」には概ね該当する概念「現世」があるが、その対義語「来世」は「聖」とは全く概念的に重ならないこと、また政治システムと宗教システムの分化に焦点を当てる「政教分離」が存在しない点を挙げ、「政治からの自由」を意味する西欧近代の宗教/信仰/言論の自由がイスラームでは問題としてそもそも取りあげられなかったことを指摘した。
2つの報告は、いずれも宗教的世界観に根付いた現世における人間の諸々の自由が、来世を他極とする線上でどのように規定されているかについて述べ進めるものであった。コメンテーターである濱氏と高木氏からは様々な点について意見が出たが、とくに人権や言論の自由に関する法規定についての問いは、その後のオープン・ディスカッションにも引き継がれる興味深いものとなった。

(CISMORリサーチアシスタント 高尾賢一郎)