2012年度 研究会

セッションB:ヘブライ文学とヘブライ-ユダヤ文化

日時: 2012年10月06日(土)16:00-18:00
場所: 同志社大学今出川キャンパス 神学館G31教室
発表者:
  • A.B. Yehoshua(イスラエル作家)
  • Nitza Ben-Dov(ハイファ大学)
  • 村田靖子(東邦大学)
要旨:
A. B. イェホシュア氏は公の場での作家の役割に関して、特にイスラエルの作家に着目し、自身の見解を述べた。作家の公共における役割とは、社会問題全般やナショナルな問いを社会に提示することにある。近代シオニズムが作家らによって形成された点は重要である(例:T・ヘルツルはジャーナリストであった)。
次に重要とされるのは、イスラエルの作家はユダヤの伝統的な役割を継承する立場にあることである。ヘブライ語聖書に見られるイザヤ等の預言者は時の権力、また民衆に対して批判的な見解を述べ、彼らの行動を正そうとした。今日のイスラエル作家はこのような預言者の姿を担うべきである。一般的に作家にはモラルが求められる。また他者への理解のために想像力を通した多様な視点をもつ必要がある。最後に第一に市民として、第二に作家として積極的に社会へ関与する重要性を述べた。
続くニッツァ・ベン-ドヴ教授の報告は、比較文学研究者としての教授の博士論文の主題を決定するに至る過程、およびカリフォルニア大学の当時の雰囲気や学問の流行に関すること等、多岐にわたる個人的な体験談を初めて語った貴重なものであった。
イスラエルにおける著者と読者との関係性を紹介するにあたり、“And It Is Your Praise”(2006年)を出版した時のエピソードを披露した。当時面識のなかったドロン・コヘン氏からEメールで同著に関する豊かで建設的なコメントを受け取ったことはドヴ教授にとって喜ばしいものであった。また作家であるA. B. イェホシュアやアモス・オズとの個人的な交流についても述べた。両者はドヴ教授の解釈に同意する事は稀であり、度々厳しい批判を行うが、それが私的な交流に影響することはないという。イェホシュア氏の近著“Spanish Charity”が自伝小説ではないにも関わらず、内容を吟味した上でドヴ教授は “Written Loves”(2011年)の著書で“Spanish Charity”を自伝小説のジャンルに含めて出版した。これに対しイェホシュア氏との私的な会話から、ドヴ教授の試みが承認された出来事を紹介し、報告の締めくくりとした。
村田靖子名誉教授の報告は、イェホシュア氏の作品“Mar Mani (Mr. Mani)”(1990年)の重要性を指摘するものであった。同作品は、六世代にわたるスファラディに出自を持つマニ家の系譜を辿る物語である。物語はマニ家の男たちを中心に展開され、いずれの世代も家系が途絶える危機に直面しながらも、かろうじて男児を授かり、マニ家の家系は居住地を変えつつ次世代へと受け継がれていく内容である。この小説のユニークな点は以下の三点に集約できる。一点目は物語が年代順とは逆に展開されている点。マニ家の家系の物語は、第一話、1982年のキブツから始まり、最終的に第五話はアテネ(1848年)まで遡る。年代順に反した物語の展開はイェホシュア氏が精神分析の手法を文学に取り込んだ試みである。二点目の特徴は、「アケダー」(イサクの犠牲)のモチーフを用いている点である。三点目は、エルサレムを中心に物語が展開している事である。
“Mar Mani”はイスラエルにおけるアシュケナジー中心の歴史記述の陰に潜んだスファラディの歴史を描いた作品である。
この点で同作品は現代イスラエル文学において異彩を放っている。現代イスラエル文学の要点は「多様性」であるが、“Mar Mani”はまさにイスラエル社会の多様性を描いた記念碑的な作品と言えるだろう。
以上の三氏の報告後には、作家のシオニズムへの立場、エルサレムの帰属問題などを中心に活発な議論が展開された。

(同志社大学神学研究科博士後期課程 大岩根安里)
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