2012年度 研究会

セッションC:グローバル世界におけるヘブライ文化

日時: 2012年10月07日(日)13:30-15:30
場所: 同志社大学今出川キャンパス 神学館G31教室
発表者:
  • 高尾千津子(立教大学)
  • 赤尾光春(オックスフォード大学)
  • 細田和江(中央大学)
要旨:
 会議最終⽇の午前中には、⾼尾千津⼦⽒、⾚尾光春⽒、細⽥和江⽒が発表した。⾼尾⽒の発表は、ユダヤ⼈啓蒙運動(ハスカラー)に⾔及しつつ、近代ヘブライ⽂学の展開を明らかにした。18世紀末のベルリンでヘブライ語新聞“Ha-Meʼaseef”が発⾏された。これは、イディッシュ語の⽇常使⽤の中、聖書の⾔葉であるヘブライ語による⽂学(世俗⽂学)をハスカラーが開始したことを意味する。こうして18世紀末のプロイセンで始まったハスカラーは、19世紀になると、東欧、ロシアへとその中⼼地を移動した。帝政ロシアにおけるヘブライ⽂学発展に重要な役割を果たしたのは、“Ha-melitz”などの定期刊⾏物だった。同紙はヘブライ語作家の登⻯⾨であると同時に、ロシア国内を中⼼とした様々な事件も報じた。19世紀中葉の代表的な著述家である、アブラハム・マプーとモシェ・リリエンブルムの作品は、ロシアのユダヤ⼈⻘年層、特に伝統的教育を受けた⻘年に広く受け⼊れられた。マプーの『シオンへの愛』は、ハスカラーの思想や⾃然回帰を教えた。マプーの次世代にあたるリリエンブルムは、前世代の主張するハスカラーの未来像、教育によるユダヤ⼈改⾰の可能性に疑問を抱く。彼の著作『⻘春時代の罪』は、⻘年時代の神存在への疑問を扱ったことによりユダヤ教の権威から禁書とされた。1881年にポグロム(ユダヤ⼈迫害)が起こり、これを契機にハスカラー思想は廃れる⼀⽅で、ヒバト・ツィオン運動などのシオニズムの先駆けが⽣まれた。こうしたヘブライ⽂学の展開にとってオデッサは重要地であった。しかし、ヘブライ作家集団がオデッサ港を出港しヤッフォへ向かったことにより、ロシアでのヘブライ⽂学は終焉を迎えた。質疑応答では、港町オデッサが何故重要になったかなどが問題となった。
 ⾚尾⽒は、近代ユダヤ系⽂学のユートピア⼩説の系譜に⾒られる「ユダヤ国家」像の発展を概観しつつ、そこに共通して⾒られる「他者」の不在を指摘した。「どこにもない場所」という意味のユートピアは、トマス・モアによる同名の⼩説以来、世相⾵刺や社会改⾰を主眼とする空想物語という含みを濃厚に持つ。これに対し、シオニズムの進展において創造された「ユダヤ国家」というユートピアは、後に現実の存在になったという点で、社会運動史上はもとより、世界⽂学史上においても特異な位置を占める。1885年に出版されたエドムンド・アイズラーの『未来像』では、主⼈公の⻘年が祖⽗の姿に象徴された伝統的ユダヤ教の受動性からの決別を宣⾔し、パレスチナの地に誕⽣した新⽣ユダヤ王国の王位につく。また1892年に発表されたエルハナン・レイブ・レヴィンスキーの『2040年、イスラエルの地への旅』は、⼤地との絆の回復やヘブライ⽂化の復興といったロシア・ハスカラーの流れを汲んだユダヤ⼈⼊植者の世界観を反映した作品である。最も有名なユダヤ・ユートピア⼩説である。テオドール・ヘルツルの『古き新しき⼟地』では、パレスチナのユダヤ社会が、最先端の科学技術に⽴脚した⼀⼤貿易拠点となり、市⺠的平等の原則と寛容の精神に裏打ちされた多⽂化共⽣も実現させる。これらのユートピア⼩説は、模範的理想国家、「他者」への寛容、平和を説くが、「アラブ⼈問題」を扱わない。⾚尾⽒は、ユートピア論における利他主義の普遍的主張が、往々にしてナショナリズムの利⼰的な権利主張を隠蔽する可能性をもつ、と注意を喚起する。質疑応答では、ユダヤ・ユートピアの特徴が問題となった。
 細⽥⽒は、イスラエルにおけるアラブ⼈の⽂学を概説し、特にサイイド・カシューアのヘブライ語⼩説に⾒られる特徴を明らかにした。1948年のイスラエル建国に際し、パレスチナの多くのアラブ⼈が祖地を追われ難⺠化した。とりわけ知識⼈層の喪失によって⽂化的活動が⼤打撃を被り、イスラエル政府の軍政によりアラブ⼈の活動は⼤幅に制限された。こうした状況下、マフムード・ダルウィーシュらの「アラブ⼈」詩⼈による、イスラエルのパレスチナ占領に対する抵抗詩は、⼤衆に⼈気を博した。1966年、キリスト教徒であるアタッラー・マンスールの『新たな光のもとで』が刊⾏され、アラブ⼈初のヘブライ語⼩説として話題となった。特に焦点が当てられたカシューアは、アラブ⼈の町ティラに⽣まれた。ヘブライ⼤学で社会学と哲学を専攻し、その後、フリーのジャーナリストとして活躍した彼は、2002年に『踊るアラブ⼈』の刊⾏により、ムスリムとして初のヘブライ語作家となった。この作品は、匿名の主⼈公のアラブ⼈への憎悪とユダヤ⼈への盲⽬的賞賛を全体に散りばめつつ、ユダヤ⼈とアラブ⼈の双⽅を集団名詞で描くことにより、登場⼈物の個性が失われる様⼦を提⽰する。匿名性と集団化の⼿法はカシューアの特徴の⼀つである。また彼は、『ヘルツェルは真夜中に消え』において、昼にユダヤ⼈であるが、真夜中にアラブ⼈へと変貌する主⼈公を描く。前の世代とは異なる⾔語観と作品世界を描いたカシューアであるが、「宙ぶらりん」で⾮現実的な状態を描く点で、エミール・ハビービーのような先達のイスラエル・アラブ⼈作家の系譜に位置づけることが出来る。質疑応答では、ポスト・コロニアル⽂学との⽐較、同化問題などが話題となった。   (同志社⼤学神学研究科博⼠後期課程 平岡光太郎)
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