2012年度 研究会

セッションE:日本語からヘブライ語への翻訳

日時: 2012年10月07日(日)16:00-18:00
場所: 同志社大学今出川キャンパス クラーク館25教室
発表者:
  • ドロン・B・コヘン(同志社大学)
  • ミハル(ミキ)・ダリオット-ブル(ハイファ大学)
要旨:
 まずコヘン講師の報告は、⽇本⽂学のヘブライ語訳の出版にまつわる歴史を論じたものであった。⽇本⽂学に関するヘブライ語訳の出版数は、現在81冊にのぼる。1940年代から80年代までの⽇本⽂学の翻訳状況は、『むかし話』(1944年)を除き、すべて第⼆外国語(英語、ドイツ語)からヘブライ語へ翻訳されていた。1980年代になると、禅に精通した学者Yoel Hoffmann、また夏⽬漱⽯や遠藤周作の⼩説を翻訳したことで知られているYaacov Razが原作からの翻訳作業に貢献した。80年代になると原作からの翻訳数は⼆桁へと増加し、2000年以降、10年間で32冊も出版されている。これは「村上シンドローム」との関連が考えられるだろう。村上春樹の『ノルウェイの森』を⽇本語からヘブライ語に訳した事でも知られているコヘン講師の指摘によると、イスラエルでは村上春樹のヘブライ語訳は⽇本語からの翻訳に先んじて、英語訳からの翻訳本が出版される場合が多い。村上の作品以外には、川端康成やよしもとばなな、詩の分野では松尾芭蕉や⼩林⼀茶などの古典作品に加え、⾕川俊太郎や俵万智などの現代作品もヘブライ語訳が出されている。イスラエルにおいて、⽇本⽂学は多様なジャンルにわたり翻訳作業が⾏なわれてきたのに⽐べ、⽇本でのイスラエル⽂学の翻訳作業は極めて少ない。⺟袋夏⽣といった優れたヘブライ語翻訳家が存在するものの、⼩説、政治的エッセイ、児童⽂学を含めても、出版数は未だ限定的である。また、⽂学こそ各⽂化を理解するための最良の⼿段であると考えるコヘン講師は、イスラエルと⽇本のより良い交流を築くうえで、さらなる良質な翻訳を⽣み出す必要性を訴えた。
 続いてブル助教の報告では、翻訳時の問題が扱われた。翻訳は概して原作の隠喩を完全に喪失してしまう。対抗策として翻訳技法の駆使が必要である。しかしそれでも翻訳に関しては様々な問題が付きまとう。「良質な翻訳」とは翻訳される⾔語においてテキストを書き改める作業である。つまり読者が翻訳を読む際、訳語が⾃然に受け取られることである。⽇本語からヘブライ語に翻訳する場合、以下の事柄が問題とされる。1)意味が幾通りにも解釈できる場合。2)固有の慣習や概念。この場合は註を⽤いることにより問題は解決される。また本⽂中に短い説明を挿⼊する事で解決される問題もある。3)独特の表現。4)短歌のもつ五句体を保つ事。5)タイトルの含意を維持すること。6)第⼆外国語の翻訳を経由しないこと。例えば、村上春樹の『神の⼦供たちはみな踊る』に収録された短編『かえるくん、東京を救う』に出てくる、かえるくんの「くん」が英語訳では⽋落しているのに対し、ブル助教は「くん」を⽋落させるとその⽂章が持つ⾯⽩みに⽋けるという理由から、「くん」をそのままヘブライ語訳に残した。
 翻訳を巡る議論は尽きない。ブル助教は最後に、「良質な翻訳」を⼼がけるのと⽭盾するが、翻訳⽂学はそれが外国語の⽂学であるという「異質」な感覚を読者に抱かせる事も⼤切である、と指摘した。
 両⽒による報告の後、作家、翻訳家、研究者各⾃の⽴場から多岐にわたるトピック(良質な翻訳の産出、⽂学の在り⽅、原作と翻訳の関係など)について活発な議論が交わされ、イスラエルと⽇本の国交60周年を記念する会議として相応しい締めくくりとなった。   (同志社⼤学神学研究科博⼠後期課程 ⼤岩根安⾥)