2009年度 第2回研究会

ユダヤ教内におけるイエス派宗教運動―内在から分離へ

日時: 2009年06月13日(土)13:00~16:40
場所: 同志社大学 寧静館5階 会議室
発表者:
  • 石川 立(同志社大学・神学部神学研究科・教授)
コメンテーター:
  • 村山 盛葦(同志社大学・神学部・助教)
要旨:
キリスト教はイエスが教えを広め、それを弟子達が継承した宗教と一般的に理解されているが、「キリスト教」に相当する言葉が歴史に初めて登場するのは、せいぜい紀元2世紀初めのことである。「キリスト教徒」に相当する語も、第一次ユダヤ戦争とエルサレム神殿崩壊が起こった紀元70年頃以降に初出が確認できるにすぎない。したがって、ユダヤ教とは異なるキリスト教という独立した宗教が徐々に形成されてきたのは、紀元70年以降と推定できる。
当時のガリラヤ地方は伝統的なユダヤ教文化から切り離された場所であり、「異邦人のガリラヤ」と揶揄されていた。またそこは肥沃な土地であったため、人々の流入と大土地所有者による土地の占有が生じ、その結果、貧富の格差が拡大した。宗教的、経済的に軽蔑と搾取の対象となっていた民衆を目の当たりにしたイエスは、その宗教運動において、父なる神との直接的な関係を説き、罪人として排除されていた病人や貧者に光を当てることで、ユダヤ教の儀式や律法を相対化し、その聖別システムを批判した。だが、イエスの宗教活動はユダヤ教そのものの相対化やそこからの離別を意味せず、ユダヤ教内部の宗教運動と看做すことができる。 イエスの死後、弟子達は一旦離散するが、イエス復活の証言の元に再び集結し、イエスをキリストと告白する新たな運動を展開する。それは主に、エルサレム教会に留まったヘブライオイと、アンティオキアを中心に活動したヘレニスタイという二派によって担われた。前者が律法や神殿を尊重するのに対し、後者はそれらには批判的に距離を取る。後者を代表するパウロは、復活のキリストに救いの道を求め、律法を相対化することで、異邦人伝道を展開した。しかし、パウロの意図はユダヤ教からの離脱ではなく、愛そのものであるキリストとの一致による、本来的なユダヤ教への帰還にあった。ヘブライオイは言うにおよばず、ヘレニスタイにしても自身をユダヤ教から独立した集団と看做すことはなく、ユダヤ教の一派という自己理解を持っていたのである。
第一次ユダヤ戦争の結果、神殿が崩壊すると、ユダヤ教はその中核部分を失い、壊滅的な打撃を受けることになる。それによりイエス派宗教運動の担い手も、アイデンティティ確立の問題に直面した。また、ユダヤ教徒に課せられた税である「ユダヤ金庫」の設立は、ユダヤ教とは異なる独自性の追及に拍車をかけた。そのために、イエス物語としての福音書が作成され、律法ではなくキリストを救いの道として明確に主張したパウロが再評価されることになる。これらの作業を通じて、ユダヤ教から独立したキリスト教と呼ぶべき集団が形成されていった。
その後、キリスト教が地中海世界に広がり、異邦人の信徒が増えると、キリスト教内部では、キリスト教がユダヤ教にその出自を持つという事実の忘却が始まる。またローマ帝国内の反ユダヤ主義も影響して、ユダヤ人に対する差別意識が芽生え始める。最終的にキリスト教教会がユダヤ教との血縁関係を切ることはなかったが、両者の間にはわだかまりが残り続けた。キリスト教は親近感を伴う愛憎の感情をもってユダヤ教と共存してゆくことになった。

(CISMORリサーチアシスタント 上原潔)