若手研究会シンポジウム 第3部 研究会

哲学とユダヤ学の観点から―聖書解釈に見るブーバーの思想―

日時: 2010年05月15日(土)16:30−18:00
場所: 同志社大学 寧静館5階 会議室
発表者:
  • 発表1:「聖書における神の直接統治の思想的意義―ブーバーの士師記解釈より―」堀川 敏寛(京都大学 非常勤講師)
  • 発表2:「マルティン・ブーバーの聖書解釈における声の形態学―JudaistikとGermanistikの交叉」小野 文生(京都大学 特定助教)
コメンテーター:
  • 合田 正人(明治大学 教授)
要旨:
「聖書における神の直接統治の思想的意義―ブーバーの士師記解釈より―」
 本発表では、宗教哲学者マルティン・ブーバーが、ヘブライ語聖書「士師記」解釈を通して表明した「神の直接統治」と「ユートピア社会」思想について報告された。
 士師記における政治形態は、「緩やかにつながっている12部族の連合社会」であったことは、ドイツの聖書学者M・ノートの「アンフィクティオニー仮説」を通して語られていたが、それは聖所を守る宗教的な連合帯であった。ブーバーはその連合帯を政治/経済的に結びついたものと考える。
 まず政治的には、人間の王による国家の形態をとる統治ではなく、その都度期間限定で選出された指導者を通したカリスマ統治が目指された。つまり「神の直接統治」とは、具体的にこのような政体を通して成立するのである。
 次に経済的には、農業を主軸として、工業及び手工業との有機的連合の中で、生産と消費とが結合した共同生活が考えられる。これは国家のような上から統治する機能が縮小され、職種同士が連合し合う多元的経済システムである。これらはいずれも「士師記」という前王国期を特徴づける重要な視座である。
 更にブーバーは、この士師記における「神の直接統治」解釈から、自身のユートピア社会論を展開している。彼は20世紀初頭スイスやドイツで隆盛した宗教社会主義思想に影響を受け、必要最低限のライフスタイルを営む縮小経済、消費と生産が合致する完全協同組合の実現を提案した。これはブーバーがシオニズム運動の中で、パレスティナにて実現を考案した思想でもある。
 この協同組合や職業連合を軸とした社会こそが、ブーバーがイスラエルにおいて望んだユートピアであり、それが聖書解釈に根差していたことが、本発表で報告された。

京都大学 非常勤講師 堀川 敏寛


「マルティン・ブーバーの聖書解釈における声の形態学―JudaistikとGermanistikの交叉」
 本発表は、M・ブーバー『神の王権』というテクストを聖書学の文脈においてテクスト内在的に分析すると同時に、間テクスト的により広い思想的土壌から照射することで、彼の聖書解釈のユニークな側面とその意義を明らかにすることを目的とする。ブーバーはこの作品のなかで、「歴史」を「できごと」へと送りかえすこと、そして過去の歴史的な「できごと」の生成過程に「ことば」を媒介にして立ち会うすべを見出そうと試みている。歴史の起源に〈声〉を見出し、〈声〉の発生と伝承の「形態」を問題にしようとするブーバーを、本発表は〈声〉という「かたちなきもののかたち」を思考した哲学者と理解する。このようなブーバーの思考は、彼の聖書翻訳論にも見出せるものである。彼はテクスト読解から立ち現れる「形態(ゲシュタルト)」を聖書理解の中心に据え、それを翻訳の原理に据える。このブーバーのユニークな思考を生成させた土壌として、いくつかの同時代思潮に対するブーバーのコミットメントの痕跡を明らかにしてみる。たとえば、サヴィニー=グリムの歴史法学と民俗学、「形態」を問うゲシュタルト心理学、「様式」概念から芸術を歴史的に再構成する芸術史ウィーン学派、ヴァールブルク、エルヴィン・パノフスキー、カッシーラーなどイコノロジーや象徴の「形式」を問う思想などである。「ドイツとユダヤのあいだ」を生き抜いたひとりのドイツ=ユダヤ人の生の格闘が、聖書という書物の解釈とどのように共鳴しえたのか、そしていかなる思想をつくりあげたのか――こうしたことがらが問われるだろう。

京都大学 特定助教 小野 文生