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道徳的価値から社会的価値へ-トルコにおける市民社会運動の人道的支援活動-

研究プロジェクト

2014年度

道徳的価値から社会的価値へ-トルコにおける市民社会運動の人道的支援活動-

日時: 2014年10月11日(土)14:00-17:00
場所: 同志社大学室町キャンパス 寒梅館6階大会議室
発表者:
  • イディリス・ダニシマズ (高等研究教育機構高等教育院助教)
要旨:
 イディリス氏はトルコ最大の市民運動ヒズメト運動について、運動の傘下にある支援団体キムセヨクム(Kimse Yok Mu)の事例を交えながら発表した。
キムセヨクムは現在世界中に活動を展開しているギュレン運動に属する人道支援団体であることから、ギュレン運動の歴史的経緯の説明から始まった。オスマン帝国の崩壊とトルコ共和国の成立により、トルコは世俗主義の導入、宗教が世俗的国家の管理下に置かれるという政治的状況、西洋文明の流入という急激な政治的、文化的変化を体験した。世俗主義国家としてのトルコ共和国の成立は、神の法(シャリーア)に代わり人間の法が人を支配することを意味し、それは従来のイスラームによる統治に支えられた伝統的文化と教育の存亡の危機につながった。トルコ共和国の市民たちは新しい国家の枠組みの中で、「市民的な」宗教解釈をもってイスラーム的伝統を新たに解釈し存続させる必要にかられた。このような伝統の維持とその革新に努めたイスラーム知識人としてサイイド・ヌルスィーなる人物がいる。そしてこのサイイド・ヌルスィーが遺した『光の書簡』に影響を受け、彼のイスラーム改革をさらに近代的な解釈を加えフェトヒュッラー・ギュレン師である。彼の率いる市民運動は神への愛の許に人々へ奉仕することを目的とすることからヒズメト(奉仕)運動とも呼ばれ、現在トルコ最大のイスラーム市民運動にまで成長している。ヒズメト運動は慈善事業、ロビー団体、学生団体、ラジオ、テレビ、新聞など幅広く影響を持つが、中央的な管理システムはなくそれぞれの地域団体が個々のプロジェクトベースに活動を展開することで柔軟な対応を可能にしている。中でも人道支援団体キムセヨクムはシリア難民支援から東日本大震災の被災地での炊き出しなど世界中で活動を行っている。
 しかし政治的文脈においては、ヒズメト運動は深刻な危機に陥っている。トルコは現在まで多数のイスラーム主義政党が存在していたが、いずれも解党命令や軍部のクーデターによって崩壊させられるといった事態に悩まされながらも、そのたびに新党を設立することで生き延び、世俗主義政党の汚職問題や倫理的荒廃から現在ではイスラーム主義のAKPが政権をとるまでになった。ヒズメト運動はこれらイスラーム主義政権とは断続的な協力関係にあったが。イディリス氏によれば、ヒズメト運動は社会における宗教的伝統に支えられていた諸価値の危機に対する運動であるのに対し、イスラーム政治運動はオスマン帝国崩壊以来のイスラームによる統治権の損失に対する運動であることから、両者には目的の相違があるとする。
 イディリス氏は、現政権の新オスマン主義と揶揄される帝国主義的ともとれる政策への批判、ゼロ問題外交の挫折、大規模な汚職問題により勢力を失いつつあるイスラーム政治社会運動が、汚職摘発を行った警官や検察官を支持し、思想・表現の自由、透明性、民主主義の強化を要求したヒズメト運動を競走・対立関係にある市民運動と認識したことによりAKP政権とヒズメトの衝突が起こったと分析する。また最近ではヒズメト運動傘下のキムセヨクムの活動停止命令を出されるなどヒズメト運動に対する弾圧が広範囲に及び始めている現状を指摘した。
 コメントでは、民主主義を支持するヒズメト運動が、一方で中央アジアの権威主義政権と強く結びついていた事実もあり、それが許せたのであればなぜ国内の汚職には声を挙げたのかという運動のダブルスタンダートな態度についての指摘があった。それについては、報告者が、次のように答えた。運動は、人道支援や教育支援を通して国際社会の市民への奉仕を重視し、そのために様々な国に進出しているが、その地域の行政システムや内政に介入しないことを前提にしている。そのような戦略があるからこそ、国のシステムや政府が変わっても、運動がその国における活動を続けることができる。例えば、運動は、90年代にアフガニスタンへ進出を始めている。運動の活動は、タリバン政権の時も、その後の米国の侵略の時も、続くカルザイ政権の時も拡大し、現在も大きな問題はなく続いている。運動によって運営されている教育施設は、首都カブールにもあれば、タリバン政権支配地においても存在している。運動が、困難状況下にある市民に支援を持って行けるためにその地域住民によって民主主義的な選挙あるいはそれ以外の何かしらの方法で承認されている支配層から許可をもらわなければならない場合もあったりする。仮に、その勢力に権威主義的な傾向があったとしても、運動は市民への支援ができるためにその勢力との対話に強いられることになる。だからと言って、運動について、特定の勢力、とりわけ権威主義政権と強く結びつくという評価は必ずしも適切ではないと思われる。
(京都大学大学院 山本直輝)
 
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