同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

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I.バーリンとL.シュトラウス:政治マイノリティとユダヤ世俗主義

2009年度 第3回研究会

I.バーリンとL.シュトラウス:政治マイノリティとユダヤ世俗主義

日時: 2009年07月11日(土)14:00~18:00
場所: 同志社大学 寒梅館6階 大会議室
発表者:
  • 濱 真一郎(同志社大学・法学部法学研究科・教授)
  • 高木 久夫(明治学院大学・教養教育センター・准教授)
コメンテーター:
  • 内藤 正典(一橋大学・大学院社会学研究科・教授)
  • 会田 弘継(共同通信社・編集委員室・編集委員)
要旨:
濱真一郎: 「I.バーリンのリベラリズムにおけるユダヤ的なもの」
アイザイア・バーリンは、ロシア生まれのユダヤ人であり、のちにオックスフォード大学の教授となった政治思想史家である。かれが1958年に提示した「二つの自由概念」すなわち自由を「積極的自由」と「消極的自由」に分ける議論は、それ以後、自由について考察する場合に不可欠な前提となっている。
濱氏はまず、バーリンの自由論の中心には、価値多元論があることを説明した。価値多元論とは、諸価値は通約不可能で、両立不可能であり、衝突は避けられない、という認識のことである。そのことを確認したうえで氏は、バーリンについての最新の研究に依拠しながら「バーリンのリベラリズムにおけるユダヤ的なもの」を明らかにしていった。
バーリンは「ユダヤ・アイデンティティ」についてどのように考え、それはかれの「シオニズム支持」とどう関係していたのであろうか。それらを理解しようとするならば、かれの「ナショナリズム」についての考え方に注目するのがよい。
マルクス主義者であれリベラリストであれ、19世紀から20世紀の政治思想家は「ナショナルな思想の力」を過小評価する。対してバーリンは、それを重視する。「ナショナルな思想の力」といっても、価値多元論を基礎とするからには、それは排他的なものでも攻撃的なものでもない。バーリンは、「政治的ナショナリスト」と「文化的ナショナリスト」を区別し、後者のもつ「ナショナルな意識」を擁護したのであった。
一般的なリベラリストは次のことを見落としている。近代化によって孤立状態が生じている今日では、新しいアイデンティティの探求が必要になっている。アイデンティティの探求のためには共同体が必要であり、そうした「帰属へのニーズ」をふまえるならば、「ナショナルな意識」の意義が理解されるだろう。同様に「ユダヤ・アイデンティティ」や「シオニズム」も、この「帰属へのニーズ」にかかわるものにほかならない。
さらにバーリンがシオニズムを支持する背景には、ユダヤ人のおこなった同化の試みは失敗であった、という認識がある。同化は、安定したアイデンティティをもたらさなかったし、そもそも「真正性」を持ちえない。真正性や自己決定、自律のためにはシオニズムが必要なのである。とはいえ、すべてのユダヤ人はイスラエルに移住しなければならず、さもなければユダヤ人としての独自性とアイデンティティを放棄するしかない、といったような二者択一的な不寛容は拒絶する。シオニズムはユダヤ人に「ユダヤ的環境と非ユダヤ的な環境のどちらで生きるか」という選択の自由を与えた、というのがバーリンの考えである。かくしてバーリンは、リベラリズムとシオニズムを統合したのであった。
かれは生涯を通してイスラエルの熱烈な支持者であったが、その著作にはユダヤ思想についての言及はなく、イスラエルの侵略行為についても言及がない。そうした問題や批判を紹介したうえで濱氏は、バーリンが「絶望的な状況よりも少しマシな社会」という意味での「品位ある社会(decent society)」を目指していたところに、その思想の意義と可能性があることを示して発表を終えた。

高木久夫: 「二重のマイノリティ:ユダヤ人レオ・シュトラウスの哲学的近代批判」
レオ・シュトラウスは、ドイツ生まれのユダヤ人で、ナチスの迫害をのがれて1938年にアメリカへ移住、のちにシカゴ大学の教授となった政治哲学者である。近年では、ネオコンの思想的始祖として俄かに衆目をあつめたが、研究のうえでは、そうした情勢論には到底おさまらない、多様なシュトラウス像が明らかにされつつある。
高木氏によれば当初、シュトラウスの哲学におけるユダヤ性は、ほとんど重要な要素とみなされていなかった。しかし、1990年前後を境に「ユダヤ思想家としてのシュトラウス」が再発見されることになる。この再評価の重要な証拠として繰り返し挙げられるのが、かれが『スピノザの宗教批判』(英訳版)に付した序文である。そこには、スピノザを経て中世最大のユダヤ哲学者マイモニデスに向かう、かれの生涯にわたる中心的な関心が伺える。青年期にはシオニズムにかかわったものの、かれは現実政治よりも、近代のユダヤ知識人を捕らえた「〈神学-政治〉問題」を正面に据え、「ユダヤ人問題」に取り組んだのであった。
そこでとくに問われたのが、表現の自由と価値相対主義に立つ近代のリベラル・デモクラシーが、「悪意をもつ自由」や「攻撃的な言説」までをも認め、果てはナチズムを容認したことである。シュトラウスの課題は、この種のリベラリズムや合理主義を批判的に吟味することであり、さらには「理性と啓示の相克」という古典的な「信知問題」を再検討することにあった、といえよう。高木氏は、その一端をH・コーヘンやF・ローゼンツヴァイクへのシュトラウスの批判によって例示した。
では、何を手がかりに、そうした課題を検討すればよいのか。シュトラウスは、それを中世や古代に、具体的には「秘教的著述家としてのマイモニデス」に求める。マイモニデスの課題は、中世のユダヤ人の敬虔な信仰とアリストテレスの哲学に、いかに折り合いをつけるか、ということであった。シュトラウスによれば、マイモニデスは「二重の言葉」を使う。すなわち、ひとつの言葉により、表面的には聖書の権威に依った道徳をわかりやすく説き、裏面では韜晦をまじえて哲学の真理を語る。近代のリベラリズムを批判的に検討するには、哲学的真理を内包した「秘教的著述」の注意深い読解が欠かせない。ゆえにシュトラウスは晩年、その技術を若者が身につけるための「教養教育Liberal Education」をとりわけ重視したのであった。
近代の世俗的リベラリズムにたいする以上のような処方には、素直に受け容れがたいものがある。なぜならかれは、正統的なユダヤ人からすれば、律法学者マイモニデスを一面的にアテネの側に立たせたと見做されるし、哲学の伝統や「教養教育Liberal Education」に期待をかけるといっても、現代の大衆的なリベラリズムからすればエリート主義と見做されるからである。ユダヤ人であり哲学者であるという二重の少数者性を生き、そのいずれにおいても多数者の基本的了解を逆撫でした、というシュトラウス像を、高木氏は示したのである。

(CISMOR特別研究員 藤本龍児)