第1プロジェクト 第2回研究会

Contemporary Islam and the Question of Modernity

日時: 2010年07月03日(土)13:30−17:30
場所: 同志社大学 渓水館1階 会議室
発表者:
  • Farzin Vahdat(ヴァッサー大学 研究員)
コメンテーター:
  • 嶋本 隆光(大阪大学 教授)
要旨:
 現代のイスラーム世界の運動と何百万というムスリムの立場を理解するためには、イスラーム社会におけるイスラームと近代性の複雑な関係を学ぶ必要がある。近代化は様々な段階から成る複雑な現象である。ヨーロッパの近代化において極めて重要なのは、最初の段階である規律によって自立した個人が現れた宗教改革であった。ヴァフダット氏は、イスラーム世界は現在この重要な段階の真っただ中にあると考えていると述べた。氏は近刊の著作であるIslamic Ethos and the Specter of Modernityにおいて、八人のイスラーム思想家を取り上げ、このような重要な段階に直面するイスラーム世界のムスリムたちの近代世界に対する態度や感情を分析している。 
 西洋に限らず、どの社会においても、個人の自立と近代化には大きな関係があることは言うまでもない。人口の多くが力(agency)あるいは主観性(subjectivity)を獲得した場合にのみ、民主主義や人権といった概念が成立する社会が可能となるからである。こうした人間の力や主観性の考えは、イスラームにおいては、地上における神の後継者としての人間というカリフの概念に見られる。現代のイスラーム思想において、人間の力は主として代理的かつ間接的な作用という観点から概念化されている。
 ヴァフダット氏が近刊の本で取り扱った思想家たちは、近代化への反応の土台としてこの「代理としての力」の概念を持ち出している。しかし、これらの思想家のほとんどが、この概念は神の至高性を否定する矛盾を秘めているという共通した見解を持っていた。したがって、ムスリムの新たな展望を構築する際、彼らは力を付与された新たなイスラーム的人
間像を描くのだが、同時に近代化の主要な構成要素である人間の力を否定してしまうことになった。人間が力を持つようになることは、神の無力化を意味するからである。近代化に関するムスリムたちの意識を理解するためのこうした方法は、近代主義のムスリム思想家の抱える動揺と矛盾を明らかにするものである。
 今回の研究会では、その思想家のなかからムハンマド・イクバル(Muhammad Iqbal、1877−1938)サイード・クトゥブ
(Sayyid Qutb、1906-1966)を取り上げ、現代イスラーム世界と近代性の問題についての分析がなされた。イクバルの思想の中心にあったのは、彼がkhudiというペルシャ語で表そうとした人間の自我である。khudiという言葉によって、彼は人間の個の自立性の概念を構築しようとした。イクバルは、宗教的な基礎において人間は自由であると信じ、一貫して自由意志の概念を主張した。
 イクバルは、近代西洋哲学をふまえたうえで、イスラームの再解釈を行おうとしていた。しかし、イクバルによるムスリムの自己の構築は、結果として「西洋」という他者の創造につながった。イクバルは西洋への批判とムスリムとの対比を通して、ムスリムの自己を構築していった。彼の政治的立場の基盤にあったのは、神でないものへの不服従という考えであった。人間が捕われた状態にあるのは宗教的あるいは世俗的権力に関わらず、地上の権力に服従しているからであり、人間は神への服従によってのみ解放されると、彼は信じていた。さらに、政治に関して、イクバルは    人間の主観性と自由は神に由来するものであると信じていたことから、宗教と政治、正確には共同体の政治問題の分離を支持しなかった。しかし、彼は神の代わりに聖職者が統治する神権政治を支持することもなかった。
 サイード・クトゥブは、エジプトだけでなくスンナ派さらには、シーア派においても最も影響力のあるイスラーム主義運動の思想家と考えられている。クトゥブは、独裁国家だけでなく自由民主主義による福祉国家や今では機能していない共産主義システムに取って代わるような新たなイスラーム的文明を創造しようとした。
 イクバルと同様に、クトゥブもムスリムとしての自己を構築することが、近代世界の勢力に対抗する唯一の方法だと考えていた。神以外の者への服従から解放されることがイスラームの基盤にあるとクトゥブは考えていた。イクバルのように、神にのみ従う自己の意識を確立することで、人間の力を向上させることがクトゥブの思想の土台にあった。クトゥブは、こうした自己の強化は厳しい鍛錬によってのみ可能となると考えていた。しかし、この自己の強化は神の力に依存するものであった。ここにおいても、人間の力を強調しつつも、神の存在から人間の能力や意志には限界があるというクトゥブの思想の矛盾が見受けられる。
 以上のように、イクバルとクトゥブは、イスラームの知識に基づいた人間の力と主観性の思想の形成に大きな役割を果たした。人間の主観性は近代世界の根幹として不可欠であり、イクバルとクトゥブの思想は今後ムスリム世界の近代性の形成に重要であったことが示されるかもしれない。

CISMORリサーチアシスタント 山下 壮起