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On Dialogue between Islam and Judaism:“Others” and “Ours” in Re-thinking

研究プロジェクト

2009年度 ワークショップ/シンポジウム

On Dialogue between Islam and Judaism:“Others” and “Ours” in Re-thinking

日時: 2009年07月02日(木)-
2009年07月03日(金)-
場所: 新島会館 F会議室
要旨:
・7月2日(木)
【セッション1】
“From Religious Perspectives in Theories”
■ 司会
手島 勲矢(同志社大学・神学部神学研究科・教授)
■ 発表者
Yakov Rabkin(モントリオール大学・教授)
Hashim Kamali(マレーシア国際イスラーム研究所・所長/教授)
■ コメンテーター
三浦 伸夫(神戸大学・国際文化学研究科・教授)
中田 考(同志社大学・神学部神学研究科・教授)
市川 裕(東京大学大学院・人文社会系研究科・教授)
仁子 寿晴(京都大学・イスラーム地域研究センター人間文化研究機構・研究員)

・7月3日(金)
【セッション2】
“From Historical Perspectives at Issues”
■ 司会
森 孝一(同志社大学・神学部神学研究科・教授)
■ 発表者
Esther Benbassa(ソルボンヌ大学高等研究実習院・教授)
Osman Bakar(マレーシア国際イスラーム研究所・副所長/教授)
■ コメンテーター
臼杵 陽(日本女子大学・文学部・教授)
Samir Nouh(同志社大学・高等研究教育機構・教授)

【セッション3】
“From Reflections and Visions in Dialogue”
■ 司会
中田 考(同志社大学・神学部神学研究科・教授)
■ イニシエーター
板垣 雄三(東京大学・名誉教授)
岡 真理(京都大学大学院・人間環境学研究科・教授)
池田 明史(東洋英和女学院大学・国際社会学部・教授)


7月2日(木)
ワークショップの初日はラプキン氏とカマリ氏による報告を中心として進められた。二つの報告はいずれも法規定を出発点とし、他者としてのユダヤ教徒とムスリムとの関係を取り扱うものであった。
まずラプキン氏の報告であるが、氏によればユダヤ教徒に関するこれまでの研究が、他者がユダヤ教徒をどう見てきたかという視点を中心とするのに対して、近年はユダヤ教徒が他者をどう見てきたかという視点を備えたものが増えてきているという。それにならい、報告はユダヤ教徒にとっての他者視観がどのように形成され、変遷していったのかについて述べ進めるものとなった。従来、ユダヤ教徒のアイデンティティーはとくにユダヤ法ハラハーによって隔絶や差異化といった特徴を備えてきたが、後世にはレヴィナスのように、他者からの呼びかけに対してどう応答するかという点にアイデンティティーを確認するという主張も現れた。またイスラームとの関係については、多くのユダヤ教徒の学者がイスラームを厳格な一神教と見なしており、実質的に偶像崇拝者を指す他者概念「異邦人」とイスラームはやや異なる位置にあることなどを指摘した。
続いてカマリ氏の報告は、クルアーンにおける「啓典の民」としてのユダヤ教徒に関する言及から始まった。クルアーンにおいてユダヤ教徒は「ヤフード」、あるいは「バヌー/バニー・イスラエル」(イスラエルの子孫)と呼ばれ、他の宗教と比較した場合の優先的な扱いがとくに聖遷(ヒジュラ)後のマディーナ期の啓示の中で保証されている。氏はそれを示すものとして、ムスリム国家の下でのユダヤ教徒の信仰の自由、また様々な分野の社会生活を保証した、マディーナ憲章をとりあげた。その後も多くのユダヤ教がムスリムの生活世界に住んでいたことを考えると、ムスリムとユダヤ教徒との社会生活における関係を規定したマディーナ憲章の重要性はきわめて高い。以上のように、報告はクルアーンにおけるユダヤ教徒とトーラー、聖書への言及、およびマディーナ憲章に代表される預言者ムハンマドの時代に見られたムスリムとユダヤ教徒との関係について、広範にわたって整理するものであった。
以上の二つの報告に対してコメンテーターの三浦氏と仁子氏からは、近世イランの翻訳における他宗教の宗教用語の翻訳の問題や中世の哲学者ファーラービーのヨーロッパにおける影響といった、史実に基づいた比較材料が提示された。また中田氏と市川氏からは、マディーナ憲章は預言者ムハンマドによってあくまでも特例だと述べられていたことを考慮する必要があることや、報告にあった教義内容と現代ムスリムの一部に見られるラディカルな思想との根本的な関係、また現実的には世俗主義政党が主導するイスラエル国家とユダヤ教徒との関係をどう考えるかについて意見が述べられた。

7月3日(金)
ワークショップの二日目は、前半はベンバッサ氏とバカル氏の報告を中心として、後半は板垣氏、岡氏、そして池田氏による問題提起を中心として進められた。
まずベンバッサ氏の報告であるが、氏は聖書に見られるユダヤ教徒(イスラエルの民)とそれに敵対する民族と見なされていたアマレク人(出エジプト記17章参照)との関係や、聖書ヘブライ語とイディッシュ語に見られる非ユダヤ教徒を示す用語(goy/goya、shekets、shikse)を取り上げ、ユダヤ教徒にとっての他者について史的、言語的側面から説明した。また氏は自身の活動拠点でもあるヨーロッパのユダヤ教徒あるいはユダヤ教観について、サルトルの著作に見られる反ユダヤ主義の歴史を中心にとくにフランスの事例から説明した。
続いてバカル氏の報告であるが、氏は宗教における根本問題としての排他性と包括性を、イスラームにおける集合的な救済可能性の視点から論じるものであった。氏はここでの救済を、来世ではなく現世の生活世界におけるもの(societal salvation)として規定し、そしてその現世での救済が来世での救済の決定要因となることを述べた。氏はイスラームの立場から、現世においてなされるイスラーム法の統治による共同体(ウンマ)が、その体内の他者をどのように包括すべきであるか、現状と可能性の双方を論じた。
以上の二つの報告に対するコメントとしてまず臼杵氏からは、モロッコのユダヤ教徒と彼らのイスラエルへの移住についての事例が説明され、とくにベンバッサ氏によるヨーロッパのユダヤ教徒の報告を、より地域的な視点から眺めることができるのではないかという提言がなされた。またヌーフ氏からは、前日の三浦氏のコメントで触れられたイスラーム世界の拡大に伴う翻訳の問題についてアラビア語とヘブライ語の文学に焦点を絞った説明がなされ、また現代ヘブライ語(日常用語としてのヘブライ語)の父と呼ばれるエリエゼル・ベン・イェフダーへの言及もなされた。板垣氏、岡氏、そして池田氏による問題提起では、現代の中東を専門とする立場から一神教と多神教における宗教観構造の差異やパレスチナ難民についての問題に関する意見が多く出された。岡氏、また中田氏とヌーフ氏からは、パレスチナ難民の帰還権の問題や、これまで周辺国が難民の受け入れに対してどのように対応してきたかについて詳細な事実が提示され、議論は今日的な問題を含む実りあるものとなった。
二日に及んだワークショップでは、各報告がイスラームとユダヤ教、それぞれの聖典についての解釈を含みつつ、報告者の出身国や活動拠点となる地域で見られるムスリムとユダヤ教徒の関係史について詳細な説明がなされた。また各コメンテーターが現代の問題に言及することでその関係史の考察によりグローバルな視点が加わり、議論は活発なものとなった。

(CISMORリサーチアシスタント 高尾賢一郎)
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