同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

>

研究

>

宗教コミュニティの政治的協調に関するイスラーム法学の学説とその地域的影響 (マレーシア)

研究

宗教コミュニティの政治的協調に関するイスラーム法学の学説とその地域的影響 (マレーシア)

img_earth01

マレーシアは、イスラームを国教としながら、近代国家形成の中で宗教と政治の関係を模索し、他宗教との関係を含め、バランスの取れた社会形成を行ってきた。東アジアにおける宗教コミュニティ間の共生と対話の問題を研究する事例としてマレーシアを選定し、国際イスラーム大学と連携する。

マレーシア国際イスラーム大学

 

研究会

ジョイントセミナー

“Shariah, Governance and Interreligious Relations”

日時:2013年10月26日(土) 8:30~17:15
会場: マレーシア国際イスラーム大学(クアラルンプール)
当日のプログラム

2013年10月26日、マレーシア国際イスラーム大学にて、頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラムの一環として、同志社大学一神教学際研究センターとマレーシア国際イスラーム大学比較宗教学部の共催で、ジョイントセミナーが開催された。

オープニングリマークでは、文明同盟国際センター(INTAC)理事のカマル・オニア・カマルッザマン氏、マレーシア国際イスラーム大学比較宗教学部サミーン・ウシャマ氏、同志社大学神学部助教の塩崎悠輝氏がそれぞれ開会の辞を述べた。

セッション1では、日本からのスピーカーである日本学術振興会の松山洋平(報告者)と同志社大学の塩﨑悠輝助教(上記)が発表を行った。非イスラーム圏の研究者による独自の視角からの発表に対して、批判的意見も含め、ディスカッサントからの積極的な反応があった。

セッション2では、マレーシア国際イスラーム大学側から、3名の若手研究者(ハスリナ・ビンティ・イブラヒム助教、ロスリザワティ・ラムリ氏、シャフィーク・フリン氏)の発表が行われた。マレーシアの時事に関する問題にも焦点が当てられた他、宗教と政治の関係や、アラビア語単語のマレーシアにおける独自の展開など、議論は多岐に及んだ。

セッション3では、マレーシア国際イスラーム大学の教授陣(アブドゥッラー・アハサン教授、ムハンマド・ターヒル・アル=ミーサーウィー准教授、イブラーヒーム・ゼイン教授)による発表が行われた。3名とも、イスラーム法を包括的に理解する立場から、宗教間対話やガヴァナビリティの可能性が検討された。特に、イブラーヒーム・ゼイン教授が提起した「シェパード・メタファー」という概念に触発され、イスラームにおける統治の方法論について活発な議論が交わされた。

Shariah, Governance and Interreligious Relations
Shariah, Governance and Interreligious Relations

 

ジョイントワークショップ

"Shariah, Governance and Interreligious Relations"

日時:2013年3月1日 9:30~17:00
会場:同志社大学(京都)

プログラム

ジョイントワークショップ報告書 『Shariah, Governance and Interreligious Relations』

DSC_0420
DSC_0416

 

ワークショップ

“Workshop on Shariah, Governance and Interreligious Relations”

日時:2012年2月29日(土) 9:00~16:30
会場: マレーシア国際イスラーム大学(クアラルンプール)

2月29日、国際イスラーム大学にて“Workshop on Shariah, Governance and Interreligious Relations”と題されたワークショップが実施されました。午前中は、イブラーヒーム・ザイン先生と中田先生からの挨拶、塩崎によるプログラムの説明があった後、CISMOR側からの二名(塩崎と松山さん)の発表に対して国際イスラーム大学イスラーム啓示人文学部基礎神学・比較宗教学科の准教授二名からコメントがあり、さらに全体で質疑応答が行われました。昼食を挟んで、午後は国際イスラーム大学イスラーム啓示人文学部基礎神学・比較宗教学科側の二名(Haslina助教授とShafiqさん)の発表に対して中田先生からコメントがあり、さらに全体で質疑応答がありました。
発表者4名とそれぞれの題目は以下の通りです。発表者それぞれのセッションは1時間15分ずつでした。今後2年間続くプログラムの初期段階にあって、各発表は、リサーチ・プロポーザルというべき内容のものでしたが、コメンテーター、その他の出席者からは多くの質疑やアドヴァイスが寄せられて活発な討論が展開され、非常にインテンシヴなワークショップでした。出席者は12名で、全員が積極的に討論に参加しました。

(報告:塩崎悠輝)

20120229Malaysia
 
 

 

 

研究ノート 

派遣者:松山洋平(日本学術振興会特別研究員PD)

「ムスリム・マイノリティのためのイスラーム法学」の方法論

「ムスリム・マイノリティのためのイスラーム法学」の方法論
本研究の目的は、二十世紀終盤から議論されている、非イスラーム諸国にマイノリティとして居住するムスリムを対象としたイスラーム法学、「ムスリム・マイノリティ法学 (fiqh al-aqallīyāt al-muslimah)」の論客の方法論を類型学的に解明することである。
 
マイノリティ法学は、特定の思想潮流や学派を形成する特定のグループではなく、活動地域も言論内容も異なる様々な人物に採用され、論じられている。本研究では、マイノリティ法学の論客が著した書籍と、彼らのファトワー(fatwā:教義解答)の中で採用されている方法論を分析し、彼らの理論を類型学的な視点から整理することで、その理論的射程を粗描した。

類型化する際の基準は、各論客が、自身の議論の中で古典イスラーム法学の解釈をどのように位置づけているのかという点に置く。この基準に従って筆者は、マイノリティ法学の論客を、新たなイジュティハード(ijtihād:独自の法解釈)によるマイノリティ法学の構築を志向する「古典イジュティハード脱却型」と、古典的イジュティハードの成果に依拠した解釈に努める「古典イジュティハード依拠型」に分類した。

「古典イジュティハード脱却型」に分類できる論客は、マイノリティ法学の理論構築や実践における古典的学説の拘束力を否定する傾向が強い。マイノリティ法学の提唱者であるアルワーニー(Ṭāhā Jābir al-‘Alwānī)と、フランスで活動するウーブルー(Tareq Oubrou)が、この類型の最良のモデルである。彼らは、マイノリティのための特殊な議論を展開する際に、普遍的な上位の法/可変的・蓋然的な下位の法(具体的には、「シャリーア」と「フィクフ」)との間を区別し、法を分節化することによって、過去の個別的な法規定を可変的・歴史的なものとして位置づけ、上位概念である自然法的なシャリーアから現代的・地域的な法規定を導出する手続きを取っている[Al-Alwani 2003; al-‘Alwānī 2005; Oubrou 2004]。

これとは対照的に、一定数の論客は、むしろ古典的イジュティハードの膨大なデータを探索することに、マイノリティ法学を運用するための主要な手段を見出している。彼らは、学派の通説に縛られない柔軟な法解釈が必要であるとの認識を「古典イジュティハード脱却型」の論客と共有するが、同時に、古典的な学説との連続性を慎重に保ちつつ、マイノリティ法学を論じようと試みている点に特徴がある。この類型のモデルとしては、カラダーウィー(Yūsuf al-Qaraḍāwī)やイブン・バイヤ(‘Abdullāh Ibn Bayyah)の名を挙げることができる。カラダーウィーの議論はイスラーム法学のフルーウ(furū‘:個別的法規定)の領域、イブン・バイヤの議論はウスール(uṣūl:法理)の領域に重きが置かれているという違いはあるものの、共に、自分たちの解釈が、古典的な学説に依拠し、そこから導出されたものであることを論証しようとする特徴を共有する[al-Qaraḍāwī 2005; Ibn Bayyah 2006]。

このようにマイノリティ法学の問題は、古典的な学説を現代においてどのように解釈・実践するかという大きな問題と関連づけられながら、さまざまに異なるアプローチから理論武装が行われており、活発な議論が展開されている。マイノリティ法学を巡る言論は、現代におけるイスラーム法改革の最先端分野として、ひとつのフィールドを形成していると言える[松山 2013]。
参考文献
Al-Alwani Taha Jabir. 2003. Towards a Fiqh for Minorities: Some Basic Reflections. London and Washington: IIIT.
al-‘Alwānī, Tāhā Jābir. 2005. Maqāṣid al-Sharī‘ah. Beirut: Dār al-Hādī.
Ibn Bayyah, ‘Abdullāh. 2006. Ṣinā‘ah al-Fatwā wa Fiqh al-Aqallīyāt.
(http://islamtoday.net/bohooth/artlistn-86-950-2.htm、http://islamtoday.net/bohooth/artlistn-86-950-1.htm、2011年12月9日取得)
Oubrou, Tareq. 2004. “La sharî‘a de minorité: réflexions pour une intégration légale de l’islam.” In Lectures contemporaines du droit islamique-Europe et monde arabe. F. Frégosi (ed.) Strasbourg: Presses Universitaires de Strasbourg. pp. 205-230.
al-Qaraḍāwī, Yūsuf. 2005. Fī Fiqh al-Aqallīyāt al-Muslimah: Ḥayāt al-Muslimīn Wasṭ al-Mujtama‘āt al-Ukhrā. Cairo: Dār al-Shurūq.
松山洋平2013年「現代イスラーム法思想の概念的検討 ―ムスリム・マイノリティ法学がイスラーム法学に提起する問題を中心に―」東京外国語大学大学院総合国際学研究科、博士論文。
 

 

イスラームにおける多文化共生の課題に対する神学的基盤の研究:マートゥリーディー学派を中心に 

本研究の目的は、現代のムスリムが、非イスラーム地域における非ムスリムと宗教間対話を行う際の神学的な基盤を検討することである。そのために本研究は、宗教間対話における対話の相手が、神学的な文脈でどのように位置づけられるのかという問題について、スンナ派神学の一学派であるマートゥリーディー学派の神学書を対象とした文献研究によって考察を行う。

マートゥリーディー学派神学は、非イスラーム地域、つまり「異教の地 (arḍ al-shirk)」におけるムスリムと非ムスリムとの宗教間対話に有益な教義を内包している。ここで「異教の地」とは、イスラームの教義が知られておらず、その宗教実践も見られないような空間を指す。

マートゥリーディー学派の教説では、イスラームの宣教が到達してない人間にも、創造主の存在を理性によって推認する義務が課されるとされる[al-Ūshī 2010: 301; al-Nasafī 2000: 82-83; al-Bazdawī 2003: 214-217; al-Ṣābūnī 1969: 150-151]。この教義は、必然的に、「異教の地」に住まう民が抱く神信仰を、彼らがイスラームの基本教義を知らないままに、つまり、狭義の実定宗教であるイスラームの信徒とならないままに、承認する態度に帰結する。同学派の最重要古典神学書簡のひとつである、アブー・ハニーファ(Abū Ḥanīfah al-Nu‘mān bn Thābit)に帰される『広大なる理解(al-Fiqh al-Absaṭ)』においても、「異教の地」の住人は、クルアーンや預言者などのイスラームの基本的信条を知らず、礼拝などの宗教的義務を全く果たさずとも、創造主の存在を承認するだけで全き「信仰者(mu’min)」とみなされることが断言されている[Abū Ḥanīfah 2004: 600-601]。この教義は、マートゥリーディー学派における信仰論全体に影響しているほか[al-Nasafī 2004: 38-61; al-Lāmishī 1995: 135-144; al-Bazdawī 2003: 154-155]、同神学派とつながりの深いハナフィー学派法学においては、多神教徒のイスラーム入信の規定に深い関連性がみられる[al-Mawṣilī 1998 vol. 4: 424]。

この教説に基づけば、イスラームの正しい宣教が到達していない非イスラーム地域においては、ムスリムと非ムスリムの境界線は極めて不透明となり、「信徒たる我々/非信徒たる彼ら」という関係は瓦解する。マートゥリーディー学派に依拠した場合、「異教の地」におけるムスリムは、創造主への信仰を共有する全ての人間と、信仰の同胞として対話する神学的正当性を獲得する。

もう一点、本研究の関心から重要となるマートゥリーディー学派の教説がある。すなわち、同学派においては、事物の善(ḥasan)/悪(qabīḥ)あるいは事物の美/醜は、理性によって認識が可能であるとされる(これは、啓示に依らなければそれらを把握することはできないと説くアシュアリー学派と対立する)[Ibn al-Humām 2002: 151-152; Ibn Abī Sharīf 2002: 151-152]。この教説は、啓示の価値を共有しない異教徒と、倫理道徳的領域において対話を行う可能性・妥当性を、神学的レベルで支えるものである。なぜなら、アシュアリー学派においては、共通の啓示を奉じない異教徒と事物の善/悪の問題で合意に達することは原理的に不可能であるが、マートゥリーディー学派においては、善/悪が理性によって認識されるため、それが可能となるからである。

このように、マートゥリーディー学派の教説を援用することで、非イスラーム地域におけるムスリムと非ムスリムの共生、あるいは、宗教間対話の課題に対する、イスラームの神学的基盤の一端を描出することができる。

参考文献
Abū Ḥanīfah, al-Nu‘mān bn Thābit. 2004. al-Fiqh al-Absaṭ. In al-‘Aqīdah wa ‘Ilm al-Kalām min A‘māl al-Imām Muḥammad Zāhid al-Kawtharī. Muḥammad Zāhid al-Kawtharī (ed.) Beirut: Dār al-Kutub al-‘Ilmīyah. pp. 595-615.
al-Bazdawī, Abū al-Yusur. 2003. Uṣūl al-Dīn. Cairo: al-Maktabah al-Azharīyah li al-Turāth. 
Ibn Abī Sharīf, Kamāl al-Dīn. 2002. al-Musāmarah. ed. by Maḥmūd ‘Umar al-Dimyāṭī. Beirut: Dār al-Kutub al-‘Ilmīyah.
Ibn al-Humām, Kamāl al-Dīn. 2002. al-Musāyirah fī al-‘Aqā’id al-Munjiyah fī al-Ākhirah. ed. by Maḥmūd ‘Umar al-Dimyāṭī. Beirut: Dār al-Kutub al-‘Ilmīyah.
al-Lāmishī, Abū al-Thanā’. 1995. Kitāb al-Tamhīd li Qawā‘id al-Tawḥīd. Beirut: Dār al-Gharb al-Islāmī.
al-Mawṣilī, ‘Abdullāh bn Maḥmūd bn Mawdūd. 1998. al-Ikhtiyār li Ta‘līl al-Mukhtār. Beirut; Damascus: Dār al-Khayr.
al-Nasafī, Abū al-Mu‘īn. 2000. Baḥr al-Kalām. Damascus: Maktabah Dār al-Farfūr.
al-Nasafī, Abū al-Mu‘īn. 2004. Tabṣirah al-Adillah. Ankara: Diyanet İşleri Başkanlığı.
al-Ṣābūnī, Nūr al-Dīn. 1969. Kitāb al-Bidāyah min al-Kifāyah fī al-Hidāyah fī Uṣūl al-Dīn. Egypt: Dār al-Ma‘ārif.
al-Ūshī, Sirāj al-Dīn ‘Alī bn ‘Uthmān. 2010. Bad’ al-Amālī. In Jāmi‘ al-La’ālī Sharḥ Bad’ al-Amālī fī ‘Ilm al-‘Aqā’id. Muḥammad Aḥmad Kan‘ān. Beirut: Dār al-Bashā’ir al-Islāmīyah.