公開講演会
第4回ユダヤ学会議
ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリムの相互作用−歴史的、文化的見地から
Jews and Christians, Jews and Muslims:The interactions of these religions in historical and cultural perspective
日時: |
2011年01月22日(土)13:00−15:00 2011年01月23日(日)13:00−15:00 |
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場所: | 同志社大学今出川キャンパス 神学館3階 チャペル |
講師: |
【1/22】Ilan Troen (米国ブランダイス大学・イスラエル研究科 教授) 【1/23】Avigdor Shinan (ヘブライ大学・ユダヤ文学研究科 教授) |
要旨: | |
【1/22講演会要旨】 トローエン教授は、ユダヤ人、キリスト教徒、ムスリムにおける、イスラエル/パレスチナに関する宗教的理論と世俗的理論を取り上げつつ、それぞれの一神教が主張する正当性を比較考察した。 まずユダヤ人の宗教的理論として、聖書を起源とする神との契約・約束を中心に説明がなされた。ユダヤ人がイスラエルを離れて約2000年が経つが、約束の地に戻るということは、それが誰の力によって行われるかという問いを含んでいる。シオニズムは人間の力によって、神の約束の成就を早めようとした。これに対しネトゥレイ・カルタは、メシアの到来をひたすら待ち、それまでその地がパレスチナであるべきとして、イスラエル国家に反対する。他方、ラビ・アブラハム・クックは、世俗的シオニズムの支持を表明して、「イスラエル国家は救済の始まり」というフレーズを祈祷書に足した。1967年以降は、国連が提示した分割案を拒否し、妥協をしないという考え方が宗教シオニズムを中心に広がり始める。これに対し、穏健的な宗教シオニズムは、神の約束の成就を遠い未来のことだと考え、アラブ・パレスチナとの和平を目指している。また世俗的な人々に強い影響を与えたマルティン・ブーバーは、道徳的な社会をつくることを宗教的義務と見做し、アラブ人と共に治める、バイ・ナショナリズムを提唱した。以上のように、現代のユダヤ人は聖地の約束に関して様々な見解をもっているが、聖地の約束を信じるという点で一致している。 一般的にキリスト教徒は、すべての聖なる約束の土地ではなく、イエスに関連している聖なる場所に関心がある。解放の神学では、神が普遍的であるため、ユダヤ人と神の特別な関係は無くなり、ユダヤ人の役割は歴史上消滅したと考えられた。これに対し、プロテスタントの福音主義は、ユダヤ人は彼らの父祖の地で、ハルマゲドンの戦争に参加する役割があるとする。この両者の中間にある考え方として、穏健的なキリスト教による聖なる義務(2002年)はパレスチナ人とイスラエル人を認めているが、アラブ・イスラエルの関係において、イスラエルの正当性を認めない。同じような背景からローマ・カトリック教会は、ユダヤ国家としてのイスラエル国家の正当性ならびにユダヤ人が主権と独立を再び得る妥当性に関して、及び腰である。 ムスリムにとって、中東全体は聖なる性質をもつ多くの土地であり、それは「イスラームの家」である。パレスチナは特別ではあるものの、このような「聖なる土地」の1つである。イスラームの家では、ユダヤ人もキリスト教徒も二級の保護された集団として存在することを認められているが、主権や独立を達成することは認められていない。1888年のシオニストによる最初の入植から、1948年のイスラエル建国までの間にユダヤ人は多くの土地を購入しており、パレスチナにおける最高指導者であるムフティもユダヤ人へ土地を販売するなど、イスラーム神学の適用には柔軟で現実主義的な態度があった。しかし最近になって土地購入が認められなくなり、1988年のハマスの設立憲章には、パレスチナの地の一部であっても割譲されてはならない、またパレスチナの地が一体として聖なる「ワクフ」(宗教的な寄進地)であるとしている。これは歴史上初めて、イスラームがパレスチナ全体をワクフとする先例のない主張である。 講演の後半では、神の約束を問題としない欧米由来の近代民主主義を中心にユダヤ人の世俗的理論の説明がなされた。宗教的な理論が自宗教に向っての対内的なものであるのに対し、世俗的な主張は世界に向っての対外的なものである。そして妥協による解決へと辿り着くには、宗教は妥協できないため、対外的な主張である世俗的な議論が必要である。公演後に行われた研究会では、イスラエルの独立宣言とパレスチナの国民憲章が比較され、世俗的でナショナルな解釈や近代 性の影響などが論点となった。 (同志社大学大学院神学研究科博士後期課程 平岡光太郎) 【1/23 講演会要旨】 2日目に行われたアビグドール・シンアン教授の講演では、聖書における人間としてのアブラハムの生涯に注目し、3つの一神教の聖典、つまり、キリスト教の新約聖書、ユダヤ教のミシュナ・タルムード、イスラームのクルアーン、がどのようにアブラハムを扱っているかを明らかにするものだった。 まず紀元前2~3世紀までに成立した聖書における、アブラハムの主要な物語の概観がなされ、以下の点が聖書以降に生じる議論の基礎となると指摘がなされた。ハランからの出立、カナンへの旅路、侵略的な王たちとの戦い、神との契約としての割礼の儀式、イシュマエルの誕生と彼の追放、イサク供儀などである。 3つの一神教の聖典のうち、書物としての成立が最も早い新約聖書は、その「新約」という名称が示すように、ユダヤ人の聖書に加えられたもので、そもそもユダヤ人の会衆に向けられたものであった。このため、新約聖書は聖書の物語とその登場人物を大きく扱っており、その宗教領域での革命が、実際に革命ではなく、先んじている聖書の自然な連続と理解されていた。新約聖書においてアブラハムは、父祖の一人、民族の父、義人、信仰深い人間として言及されている。またアブラハムの出来事や生涯を語る記録は少なく、彼を偉大なる信仰の人と見做し、彼の来世における役割を語るなどの神学的イメージや宗教的理念を強調する。しかし、アブラハムと彼の生涯に関する記述も散見される。シンアン氏の理解では、その中心的なテキストはステファノの説教(使徒言行録7章)であり、アブラハムの割礼の契約に強調があるのは興味深い点である。しかし、行いではなく心による信仰を宗教の核としたパウロにとって、アブラハムは割礼以前から義人で信仰深い人間であり、割礼の契約が、神に近づけられるための中心的な役割を果たしていないことが分かる。 新約聖書と同じ時代に世に出現し始める、ユダヤ人の文学、ミシュナでは状況がかなり違う。ミシュナでは、割礼を受けて初めて、アブラハムが完全な人間となったと見做されており(ネダリーム3・11)、これはまさに新約聖書との論争であったと思われる。そもそもミシュナは、口伝の膨大な伝承が紀元後3世紀初頭に編集されたもので、この解説と解釈としてのタルムードが加えられ、後に文書化された。ミシュナの内容は、道徳や哲学、また生活における様々なユダヤ法(祝祭、家族、社会、神殿など)であり、聖書の物語やその登場人物は、ミシュナの関心事ではなかった。これは、ミシュナの読者には聖書が既知のもので、繰り返しを避けたと理解できる。ミシュナにおいて興味深いのは、アブラハムを単に偉大な信仰の人として捉えるのではなく、全ての戒律を行動によって遂行した人物と見做している点である。 次に登場するイスラームのクルアーンは、新約聖書との間に重要な違いとして、ムハンマド以前の聖典に対する見方がある。つまり、聖書と新約聖書には、意図的あるいは間違いによって生まれた誤謬があるという理解である。クルアーンは、それらを訂正し、真理を提示するためにもたらされたと理解されている。アブラハムはアラビア語でイブラヒームである。クルアーンによれば、彼は預言者の一人で、イスラーム以前の時代における唯一の一神教徒だった。彼はまたイスラームの信仰の父であり、イシュマエルの父であり、イシュマエルからアラブ民族が生まれた。クルアーンでは聖書のアブラハムの生涯への加筆も行っており、これは新約聖書に見られない現象である。そのような聖書に言及のない加筆の中には、アブラハムの幼年時代、イスラームの創始とのその関連付け、唯一神の発見、アブラハムによる彫像との戦い、アブラハムのイスラームの聖地であるメッカとの関係などがあり、このようにクルアーンは、アブラハムを宗教的目的のために動員している。 講演の最後には、シンアン教授自身が参加された、パレスティナ自治政府の企画による、3つの一神教がアブラハムを論じる学会での体験が語られた。教授の考えでは、アブラハムが共通の父祖であることを指摘することで豊かな対話の基盤を作ることができる。そして以下の聖書の一節は、今日の現実的な文脈で理解することが出来るはずである。「我々は、皆、唯一の父を持っているではないか。我々を創造されたのは唯一の神ではないか。なぜ、兄弟が互いに裏切り我々の先祖を汚すのか」(マラキ書2章10節)。 その後にもたれた研究会では、聖書注解における問題の正当化などが主な議論となり、聖書の理解という課題において3つの一神教の立場は、人間の試みとして同等であることが指摘された。 (同志社大学大学院神学研究科博士後期課程 平岡光太郎) |
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1/22(土) 【テーマ】 "The Right to the Holyland: Contending Jewish and Arab Claims of Legitimacy (聖地の権利:ユダヤ、アラブの正当性をめぐる論争)"IIan Troen教授より *英語講演:逐次通訳あり] 1/23(日) 【テーマ】 "The Life of the Man Abraham as Reflected in Ancient Jewish, Christian and Moslem Literature(人間アブラハムの生涯―ラビ・ユダヤ教、キリスト教、ムスリムにおいて)"Avigdor Shinan教授より *ヘブライ語講演:逐次通訳あり 【共同主催】 同志社大学 神学部・神学研究科 |
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