同志社大学 一神教学際研究センター CISMOR

> 研究プロジェクト > 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業アーカイブ >

Islamic World and Globalization−Beyond the Nation State the Rise of New Caliphate(イスラーム世界とグローバリゼーション―国民国家を超えて ネオ・カリフ制の台頭)

非公開研究会

Islamic World and Globalization−Beyond the Nation State the Rise of New Caliphate(イスラーム世界とグローバリゼーション―国民国家を超えて ネオ・カリフ制の台頭)

日時: 2011年03月12日(土)15:30-18:30
2011年03月13日(日)10:00-18:10
場所: 同志社大学今出川キャンパス 至誠館3階会議室
発表者:
  • 発表1 Hamit Bozarslan (社会科学高等研究院(EHESS) 教授)
  • 発表2 Ismail Yusanto (ハムファラ・イスラーム経済高等学院学長)
  • 発表3 Recep Senturk (ファーティヒ・スルタン・アフメット大学、文明間同盟研究所所長)
コメンテーター:
  • 発表1 見原礼子 (同志社大学助教)
  • 発表2 見市建 (岩手県立大学准教授)
  • 発表3 中田考 (同志社大学教授)
要旨:
発表1: Hamit Bozarslan 「The End of Caliphate: Turkish Debates of 1924 カリフ制の終焉:1924年のトルコにおける議論」

Hamit Bozarslan氏の報告では、1924年に、トルコ革命の指導者でありトルコ共和国初代大統領であるムスタファ・ケマル(Mustafa Kemal Atatürk, 1881-1938)によってカリフ制が正式に廃止された背景が、ケマル主義者とそれに対抗するアクターに焦点を当てながら、歴史学的な視角から検討された。
 氏によれば、1924年にカリフ制が正式に廃止された時点で、カリフ制は既に時代錯誤的な制度とみなされていた。当時の議論の焦点は、トルコ共和国の今後のあり方についてであり、カリフ制の是非はあくまで副次的主題に過ぎなかった。当時オスマン朝は、イスラームの盟主というよりも、ローマ帝国の継承者としての自己認識を有していた。彼らは何よりもまず、自らを「帝国(empire)」と規定しており、イスタンブールを第三ローマの首都と考えていた。
 1924年の時点でカリフ制が既に政治的重要性を欠いていたという事実は、それ以前にケマル主義者と反ケマル主義者の間で交わされた論争の性格に如実に表れているとされる。氏によれば、ケマル主義者と非ケマル主義者の間の議論は、カリフ制の是非についてではなく、ケマル主義が革命運動か、西洋化運動か、トルコ主義か、という論点で主に争われていた。
 氏は、この時期にカリフ制について積極的に議論したのはケマル主義者だけであると言う。ナショナリストである彼らは、メフメト6世が西洋連合国に降伏したことなどを受けて、カリフ制を敵視していた。彼らによれば、カリフは近代にはそぐわない非制度的な存在であり、歴史的に見ても政治権力に名目上のみ推戴される存在でしかなかった。また、正統カリフ以降のカリフは不当な存在であり、イスラームの神学的知の構築に貢献したこともなく、宗教的な正当性を持つ制度ではないと論じられた。この点は、カリフ制のイスラーム的正当性を、ライクリックの原則を掲げるケマル主義者が議論するという、パラドクシカルな現象として指摘された。
 反ケマル主義者のある者は、ケマル主義の急進的革命的性格を、ある者はその西洋主義を、ある者はそのトルコ主義を批判したが、その中に、カリフ制を問題とするアクターはいなかった。当時政治的重要性を欠いていたカリフを擁立しようと試みる者は、反ケマル主義者の中にも存在しなかったのである。1920年代から50年代にかけて、様々な反西洋植民地運動が展開されたが、カリフを擁立する大きな運動は発生しなかった。1924年のカリフ制廃止後も、インドにおける小規模の運動を除けば、アラブ世界を始め、イスラーム世界のどこからも、この決定への反発は起らなかった。
 今日のトルコにおいても、アルメニア人問題、EU加盟問題、民主主義の問題など、種々の問題が活発に論じられるが、カリフ制に関しては全く議論が存在しない。
 結論では、今後のトルコにおいて、ムスリム同胞団やヌルジュといったイスラーム団体の活動が更に活発になる可能性は認められるが、カリフ制の再興という政治的アジェンダは、全く現実味を持たない主張であるとされた。
 以上の報告を受けた議論では、歴史的にカリフは政治的重要性を持っていなかったとする氏の見解への反論が提示された。また、カリフが廃止された要因が外的なものであったか内的なものであったかという論点や、トルコにおける解放党(Hizb al-Tahrir)党員の処遇について、活発な意見交換が行われた。


発表2: Ismail Yusanto 「Establishment of Khilafah in Indonesia, Current Opportunities and Challenges インドネシアにおけるカリフ制の樹立 −現在の可能性と挑戦」

 Ismail Yusanto氏の報告では、カリフ制復興を党の目標に掲げる国際的政治組織であるインドネシア解放党(Hizb al-Tahrir Indonesia)のスポークスマンの立場から、(1)インドネシアにおいてカリフ制を建設する可能性と、(2)カリフ制建設に立ちはだかる障害が論じられた後、(3)インドネシア解放党の活動が紹介された。
 氏によれば、ムスリムの栄光を約束するクルアーンの章句や、カリフ制の復興を予言する預言者ムハンマドのハディースの文言、あるいは、現在のムスリム大衆の期待の高まり、更にはカリフ制を志向する組織的活動の活発化を鑑みれば、カリフ制の再興は十分に現実味を帯びた政治目標であるとされる。
 このカリフ制をインドネシア国内にまず建設させることが氏の目標であるが、この目標の実現可能性は非常に高いものとされる。その根拠は以下の5点に求められる。
 第一は、インドネシア国民のカリフ制・解放党支持の拡大である。統計調査のデータによれば、シャリーアの施行やカリフ制の復興、インドネシア解放党の活動に支持を表明する国民の割合は増加している。さらに、多岐に渡る社会機構は、インドネシア解放党への支持を表明していると言う。第二は、解放党がインドネシア国内で強い影響力を持っていること、また、解放党の活動が禁じられている中東諸国とは対照的に、国内での自由な活動が許されていることである。第三は、現行のインドネシア政府への信用が失われていることである。第四は、インドネシアが、新生カリフ制を支えるだけの人口と天然資源を抱えていることである。第五は、インドネシアには、シャリーアの施行に関する豊富な経験があることである。例えば、840年にアチェがスルタン・アブドゥル・アジズ・シャーの統治下に入ってから、1903年のアチェにおけるオランダへのスルタンの降伏に至るまで、アチェではシャリーアが施行されていた。
 カリフ制建設に立ちはだかる障害は次の2つとされる。ひとつ目は、インドネシア政府である。氏によれば、米国主導のグローバルな支配構造は、(1)資本主義国家、(2)IMFや世銀などの経済団体や国際貿易機構、(3)多国籍企業、(4)第三世界の為政者たちといったアクターによって支えられているが、現インドネシア政府はこの中の(4)に含まれ、米国を中心とする西洋的ヘゲモニーに追従する反イスラーム政権であるとされる。しかし近年、国民は政府のこういった性格に気づき始め、政府に叛意を抱き始めているため、インドネシア解放党はこの機に及び、シャリーアに基づいたイスラーム政体を宣伝し啓蒙活動に励んでいる。二つ目の障害は、世俗主義的・資本主義的なイデオロギーである。このイデオロギーは、インドネシア政府によって政治・経済・教育など各領域に拡散されている。これに対してインドネシア解放党は、国民の政治意識(al-wa‘y al-siyasi)を高め、正しいカリフ制への理解を広げるべく思想闘争(al-sira‘ al-fikri)を繰り広げているという。
 氏の所論では、カリフ制を妨げるアクターの力は徐々に弱体化しており、インドネシアにカリフ制が建設される可能背は非常に高い。解放党の影響力を考えれば、カリフ制の再建はこの10年以内にも実現され得るものと締めくくられた。
 以上の報告を受けて、参加者によって政治学における統計調査のデータの扱い方の問題、インドネシアにおける解放党の真の政治的影響力、インドネシア・ナショナリズムとカリフ制待望論の関係性などについて議論が交わされた。


発表3: Recep Senturk 「Unity in Multiplicity: Islam as an Open Civilization−Istanbul Approach 多様性の中における統一:開かれた文明としてのイスラーム −イスタンブール・アプローチ」

 Senturk氏の報告では、イスラームにおける地球倫理(global ethics)の可能性が、「カリフ(khalifah)」、「アーダミーヤ(adamiyyah)=人間であること」、「ウンマ(ummah)」などの概念を軸に理論的側面から解説された後、それが具体化された歴史的事例として、オスマン朝のミレット制、および現トルコ共和国に焦点が当てられた。同氏の議論においては、「カリフ」はイスラーム法で定義される「イスラームの家(dar al-islam)」の為政者の地位ではなく、より根源的な「地上における神の代理人」の意味で一貫して使用された。後者の意味での「カリフ」は、クルアーンの中にも登場する。
 イスラームの世界観では、人間は地上における創造主の「カリフ=代理人」であるとされる。人間がカリフとしてその他の被造物と差異化される理由は、彼が理性(‘aql)、信用(amanah)、尊厳(karamah)を備えているからである。こうしたカリフとしての特性を持つ人間は、生命、財産、理性、宗教、家族といった要素を必然的に備える存在とされている。これらの要素は、イスラーム法基礎学においてダルーラート(根本原理)と名付けられるが、これらのダルーラートは、ムスリム/非ムスリムを問わず、ただ人間であること=アーダミーヤ(アダム性)を根拠として保護の対象とされる。このアーダミーヤの概念は、ハナフィー学派の父祖である法学者アブー・ハニーファとその追従者によって発展させられた。
 このような倫理的な観点から人間を分類したとき、ムスリムと非ムスリムは質的に断絶されているわけではなく、両者の間には本質的な連続性が認められる。つまり、全人類は凡そ「ムハンマドのウンマ(共同体)」であり、その内ムハンマドの呼びかけに応えた者(ムスリム)は「応召のウンマ(ummah ijabah)」であり、未だ応えていない者(非ムスリム)は「召致のウンマ(ummah da‘wah)」、つまり未だ呼びかけの対象である人々であるとされる。
 以上のようなアーダミーヤを基礎とした普遍的な人間観は、イスラーム法の実践の中では、オスマン朝の統治法レベルでミレット制が設けられ、開放性を備えた法体系として制度化された。ミレットとは、各宗教によって運営される一定の自治権を持った宗教共同体である。ミレット制によってオスマン朝は、異教徒の諸権利を保護する、多文化主義的な統治を実現したとされる。
 そしてこの政治システムは、「タンズィーマート」改革による近代化を経て、現トルコ共和国に継承されていると言う。トルコ共和国は、ヨーロッパの非ムスリム諸国および東側のムスリム諸国との間に良好な外交関係を保っている。国内に関しては、民主主義的な価値に基づいた政治が行われている。氏によれば、現トルコ共和国のこの開放性は、アーダミーヤの概念に基づいたイスラームの世界倫理、具体的には、オスマン朝で制度化されたミレット制が素地となっている。氏によれば、現トルコ共和国のモデルは、ムスリム/非ムスリムを問わず、地球レベルの調和の構築に寄与する可能性を有している。
 以上の報告後には、西洋的なreligionとイスラームにおけるdeen(宗教)の概念の異同、イスラームにおける法の根本的な目的、デモクラシーの定義、イジュティハード(独自の法解釈の行使)の資格の問題など、多岐にわたるテーマを主題とし、活発な議論が展開された。

(東京外国語大学大学院 総合国際学研究科博士後期課程  松山洋平)
研究会プログラム