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International Conference on Conflict Prevention in the Middle East: Searching for Alternative Ways

公開講演会

国際会議 in イスタンブール

International Conference on Conflict Prevention in the Middle East: Searching for Alternative Ways

日時: 2012年11月08日(木)13:00~
2012年11月09日(金)9:00~
場所: トルコ、イスタンブール旧総領事館事務所
講師: Recep Senturk, Fatih Sultan Mehmet University
Norman Cook, Former Executive Policy Director in Charge of the Middle East and Africa
要旨:
会議の全体目標
 本会議は、中東の紛争緩和に向けた新たな⽅策と展望を探ることを全体⽬標に据え、⽂部科学省の助成による三カ年プロジェクト「中東の紛争防⽌:学際的研究の構築」(2010年4⽉〜2013年3⽉)の成果発表を⽬的に開催されたものである。
 会議では⽇本、イラン、トルコ、アラブ諸国の著名な研究者が発表を⾏い、以下の四つのセッションのテーマが取り上げられた。1)「⻑期化する紛争における⼈間の安全保障:パレスチナとアフガニスタン」、2)「紛争緩和のために⾮国家主体が担うべき役割:より包括的な制度構築に向けて」、3)「湾岸地域の安全保障」、4)「紛争の波及の防⽌」。


Recep Senturk
“ Open Civilization: Towards a New Diversity Management Strategy”(開かれた⽂明:新たな多様性管理戦略に向けて)
 多⽂化主義が叫ばれる昨今、新たな多様性管理のあり⽅を探ることが⼀段と⼤きな重要性を帯びている。複数の⽂明と多様な社会集団が混在する今、そして将来に向けて、平和的共存を実現するための新たな戦略が求められている。そのためには、⼈々が違いを乗り越えて向き合い、協働するための前向きな⽅策を模索することが必要である。ムスリムが多様性の管理に⻑けていることは歴史が証明している。イスラームの政体がムスリムだけの共同体を構築しようと試みたことは、かつて⼀度もなかった。それどころかムスリムは、アンダルシアからインドに⾄るまで、多様な⽂化的背景を持つ⼈たちが共に暮らす開かれた⽂明を築いてきたのである。それが可能になったのは、重層的な世界観を持ち、アーダミーヤの原則を実践してきたからに他ならない。
 アーダミーヤは、イスラーム法の下で権利と義務を付与するための基本原則とされる概念で、すべての⼈間は、性別、⼈種、宗教、階級、国籍、⺠族といった先天的、後天的違いにかかわらず、ただ⼈間であるという理由だけで不可侵的な存在であると説く。アブ・ハニーファを始祖とするこの伝統は、オスマン帝国と現トルコ共和国におけるイスラームを普遍主義的視点から解釈するための基盤となっている。またイスラーム的観点に基づき、現代社会で新たな多様性管理を実践するための法的根拠を提⽰している。
 多様性を原則とする世界では、アーダミーヤの思想に基づいた新たな多様性管理戦略が必要になる。またそのためには、同胞と他者を完全に区別するという発想ではなく、絶対的価値観と相対的価値観が多重的な枠組の中で共存するという重層的な世界観を持つことが求められる。思想やディスコースの構造が重層的であれば、学問上あるいは神学上の⾒解が⼀致しなかったとしても、それが社会的紛争や政治的紛争に発展する恐れはない。このような多様性管理戦略を打ち出すことができれば、個⼈も共同体もそれぞれが⾃らの違いと統⼀性を内包しつつ、グローバル社会の共通の利益に資することが可能になる。


Session 1: Human Security in Protracted Conflicts: Palestine and Afghanistan
(⻑期化する紛争における⼈間の安全保障:パレスチナとアフガニスタン)
 セッション1の前半では、アフガニスタンの復興と安全保障部⾨改⾰をめぐるトピックが取り上げられた。まず混迷するアフガニスタン情勢と、他の国際的主体の役割、ならびにアフガニスタンにおけるその利害についてAhmet Han⽒が詳しい解説を⾏った。同⽒によると、中国は、インドとその核兵器開発計画、およびカシミール問題との関係でアフガニスタンを重視しており、またイスラーム主義がこの地域に蔓延して域内の中国の影響⼒を減じることに警戒感を抱いているという。アフガニスタンは中央アジアへの⽞関⼝であり、⽬下欧⽶諸国と中国の利害が集中する勢⼒地域の要衝である。この事実がアフガニスタンの重要性を決定づけている、と⽒は説明する。
 伊勢崎賢治⽒は、武装解除(DDR)の役割と安全保障部⾨改⾰の課題を取り上げ、DDRのプロセスとこれからの改⾰の課題について詳しく検討した。また国境を越えて活動し、時が経つにつれ戦略や利害がどんどん変わる移動集団の武装解除がいかに困難であるかという問題を論じた。さらにカシミールの重武装地域など、国境を越えて広がる対⽴の深刻さ、この地域の反政府集団の存在、そしてこの地域に対する国際社会の関⼼の薄さにも触れた。
 セッション後半では、「アラブの春」以降のイスラーム教徒の役割とアラブ・イスラエル紛争、ならびに昨今のトルコ・イスラエル関係の悪化がテーマとなった。このセッションで特に⼤きな関⼼を集めたのがイスラーム集団の役割、中でもハマスとイスラエルの関係である。この問題に関してAzzam Tamimi⽒が、上記集団による事実上のイスラエル承認の可能性について論じるとともに、対⽴する双⽅が交渉の席につくためにはエジプトなどが仲介役を務めることが必要であるとの指摘を⾏った。同⽒は次いで、アラブ地域の他のイスラーム集団の役割に⾔及し、その中でもムスリム同胞団がアラブ地域で抜きん出た存在感を⽰しており、現在徐々にその勢⼒範囲を拡⼤している現状について説明した。また「アラブの春」以降のパレスチナのデモに触れ、そのルーツにはニ通りあることを指摘した。⽒の説明によると、⼀部のデモが分裂の解消を求める⺠衆の声に端を発しているのに対し、パレスチナの⼀連のデモは、この地域の⺠衆が共通して直⾯する経済的苦境に触発されたものだという。
 Asgarkhani⽒は、イランの核兵器開発疑惑がこの地域の勢⼒図に及ぼす影響について解説した。⽒の⾒解では、イランが核兵器を保有すれば、イスラエルは早晩、より対等な⽴場でイラン、アラブ、パレスチナと交渉を持とうとするだろうという。Ozlem⽒はトルコとイスラエル間で続く緊張関係の性質とその背景で働く⼒について述べ、次のように論じた。トルコにはアラブ諸国とイスラエルの仲介役を務める⼒があるが、イスラエルとの関係を悪化させるような事態に関わるつもりはさらさらない。トルコの⽴場はあくまでも国の威信に⽴脚したものであり、両国間の緊張は⾼まっているように⾒えるものの、これ以上エスカレートするとは考えにくい。


Norman Cook “Security and Development Nexus in the Emerging New Middle East”
(台頭する中東における安全保障と開発の結合)
 「安全保障」という概念が「⼈間と開発」に軸を移しつつある今、激動する相互依存的なグローバル環境を背景に、今新たな現実が姿を現そうとしている。新しい安全保障観は、経済、⾷糧、保健、環境、⼈、共同体、政治的安全、価値観の安定等の領域にまで及び、そこからわき起こった様々な要求が「アラブの春」と総称される⺠衆蜂起に⽕をつけたのである。中東・北アフリカ(MENA)地域にとっては、この新たな安全保障観と、国防を中⼼とする従来の安全保障観を結合することがとりわけ重要である。
 MENAの⼈⼝のニ⼤特徴である「成⻑」と「移動」抜きには、この問題を論じることはできない。MENAの⼈⼝は世界ニ番⽬の早さで増加しており、国内外の⼈⼝移動も盛んである。この地域から流出した多くの移⺠が、MENAの政治や経済の未来に直接、間接に影響を及ぼしている。このニ⼤特徴が、開発と安全保障の領域に膨⼤な課題と機会をもたらしているのである。MENA地域の⼈⼝動態の変化は、⼈間の安全保障にかかわる様々な重要局⾯に影響を及ぼしている。具体例としては、少数⺠族の流出に伴う⽂化的多様性の喪失、開発レベルの格差を伴う急速な成⻑、天然資源の乱⽤に起因する環境破壊、⾷糧不⾜、重要資源をめぐる国家間の緊張の⾼まりなどが挙げられる。こうした課題と重ね合わせて、新しい持続可能な開発戦略に無職の若者や貧困層を取り⼊れることの必要性が叫ばれている。MENA地域の安全保障を脅かす懸念事項として最後に挙げられるのは、今も続くシリア内戦であり、内戦が拡⼤して中東全域を巻き込んだりグローバル規模の影響を及ぼしたりすることである。つまりより広い意味での安全保障を確保し維持することが、この地域の短期的、⻑期的な運命を⼤きく左右する。


Session 2: Preventing the Spillover of Conflicts (紛争の波及の防⽌)
シリア紛争と中東地域への影響
 シリア危機は、以前から顕在していた宗派間分裂を⼀層深めるとともに地域的連携を強化し、「新たなアラブ冷戦」のきっかけを作った。その結果、近隣諸国が紛争に巻き込まれる危険性が増⼤し(例:レバノン)、正統性の基盤が揺るがされ(例:ヨルダン)、権⼒の限界が露呈される事態に⾄っている(例:トルコ)。宗派間対⽴の様相を帯びたこの紛争は、政府のみならず、社会や国家主体、⾮国家主体・集団までも分断しつつあり、由々しき事態に発展している。
 またイランとヒズボラが中東におけるシリアの主たる同盟相⼿であることから、シリア紛争は、危うい均衡を保つレバノンの勢⼒図にも打撃を与えている。とはいえヒズボラは、アサド後の政局を視野に⼊れながら、将来的に⾃国の政策をどのように調整すべきかを抜け⽬なく計算しているふしがある。トルコでは、シリア危機を機に政府の対外政策や国益における倫理の役割について⾒直しや再検討が迫られている。またクルド問題やその対応のあり⽅をめぐっても緊張が⽣じており、トルコに対する評価の低下を招いている。この傾向は深刻な宗派間分裂を抱える国で特に顕著である。さらに紛争地帯から⼤勢の難⺠がトルコに流⼊していることが国内事情を悪化させ、トルコ経済やトルコ南東地域の問題の深刻化に拍⾞をかけている。イスラエルの場合、シリア関連の重⼤事項として次の三点が挙げられる。⼀つ⽬はアサド政権に代わってイスラーム政権が樹⽴される可能性であり、ニつ⽬はヒズボラがシリアの化学兵器を⼊⼿するのではないかという懸念である。三つ⽬は、イスラエルがこれまで、イランとの関係を通してこの地域の動向を読んできたことに関連する。現体制が崩壊すれば域内のイランの影響⼒が弱まる可能性があり、そうなればイスラエルにとって歓迎すべき事態である。パレスチナの場合、ハレド・メシャルがダマスカスからドーハに拠点を移し、ハマスとシリア政権の繋がりが弱まった結果、パレスチナ政府はPAとハマスの間で分裂し、ガザの政治は欧⽶から⼀層遠ざかったと考えられている。

シリア紛争におけるロシアの利害
 ロシアは武器の供給から幅広い外交活動に⾄るまで、様々な形でシリア紛争を⽀援してきた。これまでにも外交活動を通し、安全保障理事会を活⽤してシリアに圧⼒をかけようとする動きを封じこめることに成功し、また幾度となくアサド政権の時間稼ぎに貢献している。こうした活動は、外交の場でこの国を孤⽴させ、アサド後のシリアや中東全域で今後ロシアが本来の役割を果たせるかどうかが危ぶまれる事態を招いている。シリア紛争に対するロシアの⽴場は、この国の権⼒観や権威観と深く結びついている。つまりシリア関係において、ロシアは物質的な利害関係は⼆の次としか考えておらず、むしろ⾃国が掲げる価値観の⽅を優先しているのである。こうした価値観の中⼼にあるのが、⼈権とは普遍的性質のものではなく、国家によって与えられるものであるというロシアの理解であり、また国家主権と内政不⼲渉の重要性は⼈権保護に勝るという理念である。ロシアの⽴場がこうした考えと結びついているのであれば、国際社会から圧⼒がかかろうと、駆け引きが持ちかけられようと、シリアに対するロシアの⽴場が変わることは考えにくい。またロシアが紛争の有利な解決を望んでいることは確かであるが、その関⼼は、紛争解決の結果ではなく、むしろ解決の過程の⽅に向けられているのである。

難⺠保護の問題
 新たな不穏地域から派⽣した紛争が⾶び⽕する可能性や、当事者や関係国間の緊張が拡⼤する可能性とは別に、中東では⻑期化するパレスチナやアフガニスタンの紛争が今も地域の安全保障を脅かす問題となっている。問題の⼀つが、パレスチナ難⺠の保護である。パレスチナ難⺠問題は共通した⼀つの問題と考えられがちであるが、現実には、難⺠キャンプをめぐる状況は千差万別であり、地域の新たな緊張が、難⺠キャンプの⽇常⽣活や管理のあり⽅に⼀層⼤きな格差を⽣み出すことが予想されている。こうした難⺠保護の問題に向き合うためには、統治、被統治能⼒、⼈間の安全保障という観点も含め、それぞれのキャンプをより包括的に理解し、管理することが必要である。シリア市⺠暴動はじめ、域内で新たに勃発する問題が、周辺国の難⺠キャンプで暮らすパレスチナ⼈をさらなる脅威にさらしている。イラクの事例のように難⺠が過激派のターゲットにされる恐れや、再定住を余儀なくされる可能性もある。またパレスチナ難⺠がレバノンのキャンプに移動することになれば、既に貧困と不安が蔓延するキャンプの惨状がさらに悪化することも懸念される。
 アフガニスタン紛争の⻑期化を受け、EUに流⼊するアフガニスタン難⺠の数が年を追うごとに増加しており、難⺠保護と、欧州・中東双⽅の安全保障の前に⽴ちはだかる新たな課題が浮き彫りになっている。難⺠の早期帰還や、警察による現状把握調査等の結果、欧州に新たな社会的弱者集団が誕⽣し、⼈間の安全保障が脅かされている。
 若者を避難に追いやった社会不安は欧州にも存在しており、紛争地帯と欧州の緊張関係がそのまま持ちこされている。英国で⾏われた数々の⾯談調査からも分かるように、若いアフガン⼈男性の移⺠はジハード集団の⼀員というレッテルを貼られ、欧州のほとんどの警察当局から忌避される存在となっている。彼らをめぐる状況を調査した結果、明らかになった重⼤な事実がニつある。⼀つは、若い男性の⽅が⼥性よりも弱い⽴場にあるという男⼥逆転の格差現象が⽣じていること、もう⼀つは、EUの⾏動と政策の不⼀致が原因で、こうした集団がますます弱体化する可能性があるということである。


Session 3: Security in the Gulf(湾岸地域の安全保障)
 今⽇の湾岸地域には、武⼒衝突の解決や地域の保護に資する信頼性の⾼い局所的・地域的集団安全保障制度が依然⽋如している。1970年から1980年代にかけて、湾岸地域の安全保障制度は不安定ながらも「勢⼒バランス」を維持していた。しかしイラク軍撤退と共にこのバランスは崩壊し、地域はニつの⼤きな戦争に巻き込まれてゆく。さらにポスト冷戦時代には、従来からの脅威に加え、新たに⽣じた危機がこの地域を襲うことになる。今や湾岸地域は⼀触即発の状況にあり、紛争緩和のための新たなメカニズムと安全保障に対する⾒直しがますます重要になっている。
 安全保障に関する最重要問題の⼀つが、2002年来のイラン核兵器開発疑惑である。この疑惑は反体制派組織MKOがイランの核兵器開発の⽬論⾒を暴露したことにより明るみに出たもので、イランと欧⽶諸国との交渉が暗礁に乗り上げているという状況と相まって、紛争緩和の⼤きな障害となっている。その中⼼にあるのは、イラン政府の曖昧な態度と、イランの脅威を煽るアメリカのプロパガンダのニ点である。    
 イランの曖昧な対応は、核兵器開発疑惑をめぐる国際社会の懸念を⼀層深めている。アメリカとイランの外交関係は1970年代の在イラン・アメリカ⼤使館⼈質事件に伴う国交断絶以来膠着状態にあるが、そこには多くの要因が絡んでいる。⼈質事件に端を発する不信感もその⼀つであるが、両国の交渉を妨げているのはそれだけにとどまらない。2003年にサダム・フセインが失脚して以来、イランはシリアと並んで、中東随⼀の反⽶勢⼒に名乗りを上げた。しかしシリアは「アラブの春」以降内戦に突⼊し、統治は崩壊してしまう。結果として中東で反⽶を掲げる国はイランただ⼀国になってしまった。こうした中アメリカはイランに対する経済制裁の強化に乗り出し、特に過去ニ年間はこの⽅針を強⼒に押し進めた。その結果イランのウラン濃縮政策は⺠衆の⽀持を失いつつある。アメリカの経済制裁が反政府活動の⾏く末を左右する可能性もある。
 シリア紛争の余波を受けて、イラク、レバノン両国で宗派間対⽴が激化しているが、こうした事態は現⾏の中東統治体制を解体する可能性をはらんでいる。イランは現宗派間紛争の過程に⼤きくかかわってきたため、対⽴が激化すればその影響を被る公算が⾼い。これに対し、イランの核武装の脅威が原因で、中東の諸問題をめぐる様々なステークホルダー間の対⽴が深まることは考えにくい。むしろこれまで政治的、経済的、社会的リソースの配分にかかわり、今後もこうした役割を担ってゆく様々な⾮国家社会主体や⾮国家政治組織が多くの⽅⾯で⾃律的に活動を推進し、その結果政治的、社会的変容が⽣じていると考える⽅がより現実的だろう。
 先の⾒えないイランの核開発問題は、中東の紛争をいかに緩和・防⽌するかという問いにとってさほど重要ではない。湾岸地域の紛争防⽌・緩和の要となるのはむしろ、リソースへのアクセスとその配分、社会が⺠主主義体制へ穏健に移⾏するためのメカニズム、そして地域政策とグローバル政策のあり⽅なのである。


Session 4: The Role of Non-state Actors in Conflict Mitigation toward the More Inclusive Systems
(紛争緩和のために⾮国家主体が担うべき役割:より包括的な制度構築に向けて)

レバノンのヒズボラ
 レバノンのヒズボラ(神の党)は、多元的なイスラーム運動組織として広く知られており、社会運動組織、武装集団、政党、NGOとして幅広い活動を展開している。ヒズボラ研究といえば、その政治的⾏動や軍事的⾏動を対象としたものがほとんどであるが、今特に注⽬すべきなのは、レバノンの社会運動や共同体建設を⽬指す包括的な仕組みとしてのヒズボラの社会活動の⽅ではないだろうか。この集団は、いわゆる「抵抗社会」という⼤義の下で社会運動を展開してきた。この⾔葉はもともと、欧⽶の植⺠地⽀配とイスラエルの侵略に対する⺠衆抵抗を表すヒズボラの基本理念であったが、今では汚職、独裁、疾病、環境破壊等、あらゆる問題に対する抵抗という意味合いを帯びている。新たな意味をまとったヒズボラの抵抗運動は共同体を団結させ、⺠衆(特に下位中流階級)に参加の途を開いている。 こうしてヒズボラの下には続々と⽀持者が集まり、指導者の⼀声で⾏動を起こす体制を整えている。欧⽶のメディアはヒズボラの⽀持者を「多分に同質的な集団」あるいは「狂信者」と伝えているが、実際にはそのメンバーは決して⼀枚岩ではなく、様々な思惑を持ってヒズボラの活動に参加しているのが現状である。さらに⽀持者の間では、ヒズボラの宗教的、政治的、軍事的⽴場よりも、むしろ社会活動や共同体建設活動の⽅に共感している者が多数を占めている。「抵抗社会」戦略を掲げてはいるが、ヒズボラの⽀持者をテロリスト予備軍または狂信的な反体制派と決めつけるのは間違いだろう。
 
ムスリムの市⺠社会
 昨今、ムスリムの市⺠社会は⼈道援助や開発援助に⼒を⼊れている。ムスリム系のNGOがサービスを提供したりプロジェクトを組織するなど国境を越えて活躍しており、ムスリム社会だけでなく、援助を必要としている⾮ムスリム社会にも⽀援の⼿を差し伸べている。トルコを本拠とするNGOであるIHHや、⼈権基⾦、⾃由⼈道援助基⾦等のグループや、キムセヨクム連帯・援助協会をはじめとする⽀援団体がますます活躍の場を広げ、国際援助機関の取組を継承、補完するとともに、世界各地で紛争緩和の⽀援に当たっている。このうちIHHはガザに常設の事務所を開設し、⼈道援助や開発の領域で国境を越えた⽀援活動を展開している。⼈道援助活動の例としては、ガザ地区の孤児に対する経済⽀援、奨学⽀援、緊急医薬品の⽀給、トルコの病院に収容されたパレスチナ⼈負傷者の治療等が挙げられる。また開発の領域では、ベイト・ハヌーン病院建設等のプロジェクト⽀援や、医師の育成、⽼朽化した⼤学研究室の建て替えの⼿配と資⾦援助等を⾏うとともに、⽔道整備や削井等のインフラ関連プロジェクトの調整にも携わっている。この組織の活躍ぶりからも、ムスリム的価値観の下で活動する市⺠社会組織が、新たな⼈道・開発援助機関として中東で頭⾓を現していることが良く分かる。
 ⾮国家主体、とりわけ政治や軍事と⼀線を画す団体の存在は、これまで中東紛争というテーマにとってさほど重要視されてこなかった。しかし中東の紛争防⽌・緩和を実現するために社会に⽀持される新たな⽅策が模索される今、こうした主体はますますその存在感を⾼めつつある。   (JSPS Scholar, Doshisha University, Elisa Montiel Welti)
* 本会議はトルコ、イスタンブールにて開催致します。使用言語は英語です。
* 来場歓迎、事前申し込み不要。プログラム詳細は上記PDFをご覧ください。
* お問い合わせ: info@cismor.jp
主催:
同志社大学グローバル・スタディーズ研究科、一神教学際研究センター
在イスタンブール日本国総領事館
プログラム(英語)