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古代エジプトで愛された異郷の神々-比較と翻訳

公開講演会

日本オリエント学会共催 公開講演会

古代エジプトで愛された異郷の神々-比較と翻訳

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日時: 2015年01月11日(日)13:00-15:00
場所: 今出川キャンパス 神学館3階礼拝堂
講師: 田澤恵子(公益財団法人 古代オリエント博物館研究員)
要旨:
 田澤氏は、古代エジプトにおいて異郷の神々が、どのように受容されていたかについて説明した。
 古代エジプトの神々には体系的な神話が欠如しており、他の文化圏で見られるように、創世神話や人類誕生の物語などは神話の中心に位置していなかった。「ひとつのものは必ずふたつのものから成り立っている」という二元論に基づいて、エジプトを上下に、ナイル川流域を東西に分けて、神々も男神と女神がペアとなるかたちで理解された。それらの神々はエジプト全土で信仰される遍在神(オシリス、イシスなど)ないし特定の地域との結びつきが強い地方神(バステト、クヌムなど)であった。当時の王権に深く関わった神々もいれば、一般の人々の生活に寄り添うような神々もいた。神々は、顔が動物(特定の動物が特定の神と結びつけられていた)である半人半獣、動物そのもの、また人間の姿と、3つの方法で表現された。
 おそらく中王国時代から新王国時代前半(1550B.C.頃)に、カナン(現在のシリア・パレスティナ)から六柱の神々(バアル、レシェフ、ハウロン、アナト、アシュタルテ、ケデシェト)がもたらされ、特に、エジプトのデルタ地帯に成立した外来のヒクソス王朝(1650-1580 B.C.)や、トトメス3世(1479-1425B.C.)の17回のカナン遠征が、異郷の神々の伝来した大きな原因であった。シリア・パレスティナを治める際にその地方神をエジプトが取り込んでいき、おそらく、土地を安寧に治めるために地方神の機嫌をとることが推奨された。また当時エジプトに存在しなかった戦車と馬が導入される際に、エジプトにはこれらを司る神々がいなかったため、レシェフやアシュタルテのような神々が「パッケージ商品」(Package deal)として同時にもたらされた、との理解もある。これらの神々は、支配層や自発的に移住していた職人、戦利品として連行された人々によって持ち込まれた。神々は石碑、彫像などに図像として描かれ、パピルス、レリーフなどに銘文が刻まれた。
 それらの資料では男神であるバアルは軍隊や川の名前として採用され、「バアルの如く」という表現が、王の強さ、偉大さを誇示するために使用される。シリア・パレスティナで「豊穣神」や「天候神」として祀られたバアルであるが、エジプトでそういった属性は見られず、王朝神として描かれる。武器をもった右手を上げ威嚇するような姿で通常描かれるバアルは、エジプトでは両腕を下し、権威の象徴である杖をもつ姿で描かれる。エジプト的に描かれる一方で、円錐形の
冠の頂部からリボンを垂らす、西アジア的な要素なども見られる。姿の脇にある碑文にはセト神と書かれ、バアルはセト神と同一視されていたことも伺える。
 天空の女主人」というエジプト土着の女神に普遍的な「エピセット」(形容辞)をもち、ラメセス2世の神母として「王の母」とも呼ばれた。王の肩に手を置き、守護している彫像も見つかっている。アナトは、エジプトの大神の娘のように表現されることもあり、その例として、「(太陽神)ラーの娘」、エジプトにおいて遍在神と地方神の両方として認識されていたプタハの名を冠した、「プタハの娘」というエピセットが挙げられる。そして西アジアにおいて戦闘の女神という点が強調されるのに対し、エジプトでは、戦闘という属性の代わりに治癒女神としての側面が強調された。また女神であったアシュタルテはエジプトの王妃の称号を転用した「二国の女主人」というエピセットを有した。この二国とは上下エジプトのことである。アナトと同様に、彼女の名前は第19王朝の王ラメセス2世の子どもたちの名前に散見される。アシュタルテは手に武器と盾を持つ騎馬姿で描かれる。現在のシリア西部の地域から出土したウガリット文書では、彼女の図像はないが、椅子に腰かけているという描写は存在する。必ずしも馬上の姿で表現されるだけでなく、武器の代わりに杖をもつ戦闘的でない様子も見つかっている。シリア・パレスティナで「神聖な」という形容詞は、エジプトにおいて「ケデシェト」という名で独立した女神として、アナトとアシュタルテと三柱の女神として共に描かれる。この三柱の女神は、エジプトの大女神であるハトホル神へと収斂していった。田澤氏はこの収斂について考察し、ハトホルという固有の神ではなく「母なるもの」という「単一神」とも言えるような枠組みの中に、三柱の女神が受け入れられていったとの理解に近年に至っている。
 古代における神々と人間の関係は、貢納関係(Tributary Relationship)、つまり、貢物に対し恩恵を返すという互恵的な関係であったと考えられている。人間から神々に供物や儀礼が捧げられ、神々は人間に五穀豊穣、家内安全、戦勝などを与えたと理解されていた。エジプトにおける神々と人間の互恵関係の中に、シリア・パレスティナの神々も組み込まれていった。そして取り込まれる際には、元々の形のままで導入されるのではなく、翻訳的適応
(Translative Adaptation )、つまり、導入された場所における必要性に応じて適宜修正・変更が施されて、受容されたのである。 (CISMOR特別研究員 平岡光太郎)
※入場無料、事前申込不要
※講演言語:日本語
【主催】日本オリエント学会
     同志社大学 一神教学際研究センター(CISMOR)
【共催】同志社大学神学部・神学研究科
プログラム20150111オリエント学会